「神に呼びかけて生きる」

宣教要旨「神に呼びかけて生きる」「命(ぬち)どぅ宝(たから)の日」  副牧師石垣茂夫  2017/06/18

招詞 出エジプト記223~25(旧約p96)

2:23 それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた

聖書 ローマの信徒への手紙822~27 (新約p284)

8:26 同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。

 

6月23日の『命どぅ宝の日』にあたりまして、女性会のご準備に感謝します。

招詞で「彼らの叫び声は神に届いた」との御言葉が読まれましたが、沖縄の人たちの叫びは、神に届くのでしょうか。悲惨極まる体験を強いられた人びとの、「命どぅ宝」、「命こそ大事だ」との叫びが、神に届くことを信じて、祈りの内にこの礼拝を守りましょう。

では、だれがその叫び声を神に届けてくださるのでしょうか。それは「聖霊」の働き無しに、なしえないことだと思います。

旧約聖書「創世記1章2節」にはこのように書かれています。

「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」。

ここに「神の霊」という言葉があります。たとえ、世界が混沌としていても「神の霊」はその上を動いていた」という、大変慰め深い言葉です。「聖霊」はこのように、聖書の最初に登場します。

そして現代のわたしたちには、新約聖書によって、様々な言葉や現象で「聖霊」について教えられています。特に福音書記者ルカ(ルカ・使徒)によれば、「聖霊」は「復活した主イエス」の姿をしています。主イエス・キリストは、父なる神の救いの約束は必ず実現すると、繰り返し弟子たちに語ってきました。その後、深い決断をされてご自分は十字架の死に身をゆだね、間もなく「復活のキリスト」となって弟子たちに現れました。

わたしたちも「聖霊」という言葉をよく口にして祈ります。それなのに、「その聖霊とはなんですか」と問われると、明解に答えることが出来ない、そのようなもどかしい経験をしています。

今朝与えられたローマ8章は、使徒パウロが特に「聖霊」について語っている箇所です。

それでは、パウロはどうなのか。パウロは聖霊について明解に語っているでしょうか。

実は、「パウロ先生といえども、大変苦労しているのだ」ということが、わたしには伝わってきました。

ローマ書8章26節を丁寧に見ますと、パウロはこの短い箇所でこのように言っていっています。聖霊はわたしたちを「助けてくださる」と言っています。また、聖霊はわたしたちと「一緒にうめいてくださる」と言っています。そればかりか、その「うめき」を神に持ち運び「執り成してくださる」と言っています。

パウロが使いました聖霊についての言葉、「助けてくださる」、それはギリシャ語アルファベットで17文字の、とても長い単語です。三つに分けられ、「わたしと一緒に」、「わたしに代わって」、「手遅れにならないように」という意味を持つ単語です。

この単語の最後は「手遅れにならないように」という言葉です。確かに、助けようとしても、手遅れになったら助けたことにはならないのですから、当然のことなのでしょう。大変面白い言葉です。そのように「助ける」という言葉で、聖霊は、「わたしたちと一緒になってわたしたちに代わって(手伝って)手遅れにならないように働いてくださる」。それがパウロの選んだ、聖霊の働きを表わす「助ける」という言葉の詳しい意味でした。

それでは、「聖霊」は、わたしたちの何を助けてくれるのでしょうか。ある方は、わたしたちの弱さとは、祈れないということだ。これを助けてくれるのではないか」と言っていました。わたしたちの弱さは「祈れない」ところに現れてくるというのです。その「祈れない」わたしと、一緒になって「うめきつつ」支えてくださる。それが聖霊だとパウロは伝えたいのでしょう。続けてパウロは、「わたしたちはどう祈るべきかを知りません」と言いました。パウロですら「どう祈るべきか知りません」と、そう言っているのです。

わたしたちは、どう祈るのか分からないままで祈っているのだとパウロは言います。わたしたちの祈りの、そのような時にこそ聖霊は助けてくださいます。

26節と27節の終わりに、わたしたちのために執り成してくださる」と書かれています。これも聖書では珍しい言葉のようです。

聖霊は、言葉を失っているわたしたちのうめきと一つとなり、わたしたちの「うめき」を、確かな言葉にして神に届けてくださいます。聖霊はそのように、わたしたちの思いを越えて働いてくださいます。

わたしたちは、その様な、「聖霊」の助けをいただける恵みの時代に、今、生かされています。

聖霊の助けをいただいて「神に呼びかけて生きる」、この事が私たちの生活であるならば、これにまさる豊かな人生はないと思います。

今週は、「命どぅ宝」、「命こそ宝」と叫ぶ、沖縄に響く声が神に届くように、なお祈りましょう。わたしたち叫び声を、神が聞いてくださることを信じ、みことばに励まされ、祈りをもって、この一週を歩みましょう。