あなたの造り主を覚えよ

「あなたの造り主を覚えよ」 一月第二主日礼拝(成人祝福式) 宣教要旨 2014年1月12日

 創世記1章26〜28節、伝道の書12章1節      牧師 河野信一郎

 「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹き入れられた。そこで人は生きた者となった」と創世記2章7節にあり、この人・男が一人でいるのは良くないとお感じになった神は、「この人を深く眠らせ、その人のあばら骨の一つを取って、その骨でひとりの女を造り、人の所へ連れてこられた」と22節にありますが、一つ質問です。

 神に造られた当初、この男女は何歳であったでしょうか。聖書には記されていませんが、1章28節に「神は彼らを祝福して言われた、『生めよ、増えよ、地に満ちよ、地を従わせよ。・・すべての生き物を治めよ』」とあります。つまり年齢は不明ですが、神は彼らを祝福し、彼らは生む力、増える力、地に満ちる力、地を従わせる力、治める力と知恵が与えられていたのです。しかし、これらの力は支配力でなく、主なる神に忠実に仕え、主から委ねられたものに誠実に仕える力であったことを覚えましょう。

 わたしたちには、主なる神から命、身体、健康、時間、知恵、能力、富み等が与えられています。いえ、「委ねられている」のです。そしてこれらをどのように管理し、取り扱い、用いるかの責任(いえ、大きな恵み)がわたしたちにあります。これらを自分のためではなく、与えてくださっている神とまた隣人と自然のために用いることが御心であり、神が喜ばれることです。

 ある人は「自分のものは自分のために使いたい。使う権利がある」と主張するでしょう。しかし、そういう考えの人たちで満ちている現代社会、世界の現状はどうでしょうか。世界レベルの大きな人権・環境問題、複雑で深刻で緊急性の高い国際問題が山積しています。これらの原因は何処にあるのでしょう。それは、わたしたちが神から委ねられた力の使用法を間違い、神の命令に従わないで、自分たちの至福のために乱用しているからです。聖書はそれを「罪」と呼んでいます。わたしたちが苦しんだり、痛んだり、涙を流したり、生きる気力を失うのは、神から委ねられている管理責任を忘れ、自分の知恵と力だけに頼ってしまっているからです。

 わたしたちは、神によって造られ、命与えられて生かされている存在です。生きてゆくために恵みが多く与えられています。しかし、それらをしっかりと管理して使用しているでしょうか。使用法を間違ったり、自分のためだけに使っていないでしょうか。優先順位はどうなっているでしょうか。自力だけで頑張りすぎて心身共に疲労困憊で、自分を見失っていないでしょうか。もしそうであれば今すぐに立ち止まって、自分は何のために生きているのか、人生の本来の目的とは何か、どこへ向かっているのかと考えてみてください。そして答えが判らない場合は、あなたを造られ、生かしてくださっている神に尋ねてください。答えは、神にあります。

 わたしたちを暗闇の苦しみから救い出し、光のうちに歩ませるために神はひとり子を救い主として地上に遣わしてくださいました。今わたしたちに必要なのは立ち止まって、自分の弱さ、罪を認め、悔い改めて神に立ち返ることです。過去を心配する必要はありません。アダムとエバに過去がないのをご存知ですか。理由は、神は彼らに神に信頼して、未来の祝福へ向かって歩んで欲しかったからです。同じ事がわたしたちにも示されます。神は、わたしたちが主に信頼して将来の祝福へ向かって歩んで欲しいと願っておられます。そのために救い主をお与えくださいました。イエス・キリストは、わたしたちの罪を帳消しにするために十字架に架かって死んでくださり、永遠の命を与えるために甦られ、わたしたちと共に歩んでくださいます。伝道の書12章1節の御言を心に刻みましょう。「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って『わたしには何の楽しみもない』というようにならない前に。」 

 人生の意味、目的、喜び、平安、希望という力は、主イエス・キリストを通して神から与えられます。造り主を信じ、感謝をささげましょう。