イエスの名によって立ちあがり、歩きなさい

宣教「イエスの名によって立ちあがり、歩きなさい」 大久保バプテスト教会石垣茂夫    2021/05/16

聖書:使徒言行録3章1~10節(p217)     招詞:ミカ書4章5節

はじめに

 皆さんお早うございます。今朝もライブ礼拝の配信により、皆様とつながる恵みに感謝いたします。

 現在、教会の祈祷会と教会学校、この二つの集まりの聖書テキストは、バプテスト連盟発行の『聖書教育』に添っています。この5月のテキストが「使徒言行録」でありますため、わたしの宣教も、今月は「使徒言行録」からということになりました。

さて、28章もある「使徒言行録」の中から、わたしは一回の宣教を、どのみ言葉からメッセージとしてお伝えしようかと、思いめぐらしてきました。

 迷いに迷っている中で示されたのが、お読みいただきました3章1節~10節、「美しい門」での出来事でした。

その中でも特に、3章6節のみ言葉が強く迫って来ました。

3:6 ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

この聖書のみ言葉は、わたしが若いころの礼拝で、当時の牧師が大声で繰り返し語っておられたみ言葉です。

その時の様子がわたしの脳裏によみがえってきました。

その牧師は説教で、「教会は、人々に何を与えるのか」、「そのためには、何を語り、何を伝えるのか」としきりに問い掛けていました。そして、教会がいつも、最も中心に置くのはこのことではないか。

こう言って、このみ言葉の説教を繰り返しておられた、その印象が強く残っています。

「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

わたしは、このみ言葉に、教会の目的と、福音宣教の目的が明確に示されていると思い、選ばせていただきました。

「使徒言行録」について

 はじめに、「使徒言行録」につきまして、短く説明させていただきます。

「使徒言行録」の著者は「ルカによる福音書」を書いた医者ルカです。

ルカはギリシヤ人であり、パウロの第二回伝道旅行の途中、アジア州(トルコ)の西端トロアスで現れた「幻のマケドニア人」、この人物がルカであろうと言われています(使徒16:6~10)。このときの出会い以降、パウロは彼を、「愛する医者ルカ」(コロ4:14)と呼んで、信頼関係の深い間柄になり、一緒に伝道の旅を続けました。

もし「使徒言行録」がなければ、初期の教会にはどのような人々が集い、教会はどのように形成されていったのか、福音はどのようにして世界に広まっていったのか、そうした、初期の教会の働きを、わたしたちは知ることが、できなかったことでしょう。

 お読みいただいた個所は、キリスト教会の最初の伝道者たちが、命を賭けて人々の前に立ったときの一コマです。本来は、2章から3章4章までを通して読むべき箇所と言われています。どうぞ挑戦してみてください。

「美しい門」での出来事

さて「美しい門」での出来事ですが、今朝は、3章1節から10節までを、聖書の順に従って読み進んでみることにします。

3:1 ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。

この短い、第1節の言葉に、始まったばかりの教会と礼拝の情報が、ぎっしりと詰まっています。

聖書の午後三時とは、夕刻の五時頃であり、神殿に詣でる人の数が、最も多い時間帯です。ペトロとヨハネも「美しい門」と呼ばれる門を通って、礼拝場所へと向かおうとしていました。

「キリストの集会」は、イエスがナザレの人であった事で、初めはユダヤ教の中では「ナザレ派」と呼ばれる一派でした。このグループは、次第にユダヤ教会との距離を置くようになっていきました。そのため、集まる場所は、神殿の中ではあっても、「ソロモンの回廊」という通路でした。ユダヤ教の習慣をそのままに、朝と夕べの礼拝を神殿の回廊で守っていたのです。回廊は多くの礼拝者たちが行き交う、人目に付く場所です。そうした場所で賛美し、祈り、礼拝をはじめていました。

3:1 ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。

このみ言葉は、初期の礼拝の様子を、そのように、わたしたちに語っています。

3:2 すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。

「生まれながら足の不自由な男」、この短い言葉に、この人の、どれほど厳しい定めが秘められたいることでしょうか。

自分では一歩も歩くことが出来ず、成人になっても、毎日、誰かが運んでくれるのを頼りにし、施しを受ける以外に、生活の術がなかったのです。

実は4章22節に、「このしるしによって癒された人は四十歳を過ぎていた。」と、足の不自由な人のことが書かれています。

先ほど、この箇所を理解するためには、2章、3章、4章を通して読むようにとお勧めしたのは、4章に至ってもこの人が登場するからです。

 

3:3 彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。

 神殿に流れ込むようにして入っていく人々の中に、ペトロとヨハネが居ました。

二人は、施しを乞う男の前を素通りするのか、立ち止まって施しをするのか、ほんの一瞬、問われたことでしょう。ある方は、この瞬間的なできごとについてこう言っていました。

『もしも二人が、この男を無視して通り過ぎたなら、信仰と日常生活とは分離したままであったでしょう。しかし二人は、施しを乞う男に気付き、立ち止まり、互いに見つめ合った。このことによって、復活信仰の力と希望がこの男に届いたのである』、このように言っていました。

「無視して通り過ぎる」ということは、わたしたちの日常にも起きてきます。ハッとさせられる言葉ではないでしょうか。

3:4 ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。

この言葉によれば、二人の行動は、行きずりに“ちらりと見る”というような態度ではなかったのです。聖書は敢えて、「じっと見て」と書いています。

多くの視線がこのひとに絶えず注がれていたとしても、そのほとんどは無関心の目に過ぎなかったのです。しかしこの日、二人は、このひとを「しっかりと、丁寧に見た」のでした。

「じっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。」

「わたしたちはあなたと、顔と顔とを合わせて向き合いたい」と迫ったのです。

そのように理解してもよいと思います。この時、この人は生まれて初めて「しっかり見てもらう」という経験をしたのでしょう。この人にとって本当に必要なことは、「じっと見てもらう」という事でした。

3:5 その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、

 しかし、この時この人は、いつものように、なにがしかの施し以上には、期待していなったとも言えます。それがいつものことだったからです。

しかしそのとき、福音を身に帯びた者に求められたのは、その人に相応しい仕方で向き合うということです。

3:6 ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

「わたしには金や銀はない」。ペトロは金銭を軽蔑してこう言ったのではありません。むしろ、いま、この人になにがしかの金銭が与えられても、この先、このひとの救いにはならないと導かれたのです。

「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

足の不自由な人に向かって、「立ち上がり、歩きなさい」とは、なんと乱暴な言葉でしょうか。

ところがこの人は、この言葉をそのまま受け入れたのです。彼は怒ったりはしませんでした。そのまま受け入れたのです。

「立ち上がり、歩きなさい」と書かれていますが、この言葉を「あなたは立てる!歩ける!」と翻訳している方がありました。このとき彼には、「あなたは立てる!歩ける!」と聞こえたのかもしれないと、わたしは思いました。

3:7 そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、3:8 躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。

 ペトロが手を差し出すと、この人は黙って従ったのでした。

この時のペトロに何かの力があったのではありません。この人がペトロに従った以上に、ペトロ自身が主イエスの言葉を聞き、従っていたのです。ペトロは主の言葉に従っただけでした。

「すると、たちまち・・」と書かれています。この人は間髪を入れずに立ち上がりました。

この時、彼の耳に響いてきた言葉は「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」という言葉でした。

この人は、この言葉によって、今自分に与えられている人生を、どう生きるのかと、初めて、真剣に問われたのではないでしょうか。

彼はこれまでも、今、生きているこの人生をどう生きていこうかと、幾度も考えてきた事でしょう。

しかしこの日の出会いは、これまでとは違っていました。この人自身にに“たちまち”起きたことでした。

この人は、今の自分の人生を受け入れ、喜んで、最善のものとしていこうとの覚悟に、一瞬にして導かれたのだと思われてなりません。

わたしたちには、段階的に導かれていく面と、一瞬にして導かれる面とがあるのだと思います。そのどちらもわたしたちには起きるのだと思わされてなりません。

「出会い」

わたしはこの3月まで、週に一日ですが、南浦和にある「日本バプテスト連盟・事務所」に通っていました。そのため、最寄りのJR錦糸町駅を利用していました。

二年ほど前に、駅前のバス停の傍に、薄い冊子を持って、人が立つようになりました。わたしが近づいて冊子を見ると、それは[THE BIG ISSUE](ビッグ・イシュー)という雑誌でした。私は以前、お茶の水駅で[THE BIG ISSUE]を、一度買ったことがありましたが、それ以来の出会いでした。

スライドで[THE BIG ISSUE]の何部かをご紹介します。これが[THE BIG ISSUE]の表紙です。

グレタ・トゥーンベリさん、宮本亜門さん、故人ですがジョン・レノンさん、大阪なおみさんです。

このように、主に、話題の人物が表紙になります。その人の言葉が巻頭に掲載されている、とてもまじめな内容です。教会に置かせていただきますので、お持ち帰りくださり、お読みいただければと思います。

[THE BIG ISSUE]の成り立ちについて、皆様はご存じでしょうか。

2003年にイギリスが発祥で、ホームレスの人たちが自立するための活動です。現在はヨーロッパを中心に、広まっています。日本では、2008年に会社として立ち上げられ、雑誌の販売によって、彼らを支援する仕組みです。これまで日本では1000人以上が参加し、200人以上の人が自立していったという事です。

現在、雑誌は450円で、その半分が本人の収入になります。毎月二回、一日と15日に発行されます。販売場所は日本全国で約100箇所、そのうち東京が60箇所ですので、電車通勤以外の方が、路上で出会うことは稀だと思います。そのため、最近は通信販売の形式も導入されました。

わたしがいつも出会うその人は、40代と思われる男性です。「美しい門」の人と同じ年ごろです。朝の8時前から、夕刻7時くらいまで、辛抱強く立ち続けています。今では短く言葉を交わすようになりました。わたしはこのお付き合いがこれほど長く続くとは思っていませんでした。

この先のことはわかりませんが、彼が辛抱強く立ち続けているように、この人が、立ち上がり、歩き出す日が来ますようにと祈りつつ、わたしも辛抱強く付き合っていこうと思っています。

今朝は、「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」、このみ言葉を聞くようにと導かれています。

わたしたちにも「立ち上がり、歩きなさい。」という声が響いてきます。あるいは「あなたは立てる!歩ける!」と、聞こえた方があるでしょうか。

わたしたち一人一人が生まれ育ち、今、生かされている場には、それぞれ課題があることでしょう。

どうぞ、そのことを受け入れて、「立ち上がり、歩きなさい」という声に導かれ、主イエス・キリストによって立ち上がらせていただき、わたしたちの生きる道を示され、喜びを持って歩ませていただこうと願っています。

【祈り】