キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい

宣教「キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」大久保バプテスト教会副牧師石垣茂夫  2023/05/21

聖書:使徒言行録3章1~10節(p217)

招詞:ヨエル書3章5節(p1425)  応答賛美:新生363「キリスト 教会の主よ」

「はじめに」

先週、14日の礼拝は、大久保教会の礼拝を休ませていただき、連盟・Aバプテスト教会に、宣教者として派遣していただきました。大久保教会では、これまで一度も、そのようなことはなかったのですが、この度は、礼拝の御用が終わりましたなら、急にお腹が痛くなってしまいました。自覚していなかったのですが、とても緊張して宣教をしていたのだと思います。

A教会の皆様としては、三年ぶりに、他の牧師の宣教で、礼拝を守ることが出来たと言っておられました。少なくとも、それだけは良かったと思います。

「A教会の事」

今朝は、はじめにこの度の訪問で得られたことを、お伝えします。

A教会は、市の中心部から車で10分ほど離れた住宅地にあり、「H幼稚園」を運営しています。

教会の創立は、大久保教会とほぼ同時期です。10年間ほど中心部で宣教活動をした後、教会幼稚園開設の働きに導かれ、現在地に移転しました。当時の牧師が40年間、牧会を続けてこられましたが、建物は30年を過ぎた頃から、雪の多い気候によって、会堂も園舎も老朽化していきました。

12年前、卒業を前にして、M神学生が、ご夫妻でA教会に伺ったときには、主任牧師は既に退任し、教会と幼稚園との関係は対立して悪くなっていました。そのうえ園児も激減しているといった状況でした。その日、「この教会に来てほしい」という教会員の要望には、ご夫妻の心は一致して「はい、就任します」と、答える事しかできなかったそうです。

【写真1】A教会の村上牧師夫妻とわたしたちは、出身教会が同じN教会です。そのM牧師は、現役の銀行マンであった53歳のとき、神学校に入学されました。マネージメント能力(管理・経営能力)の優れた方で、定年前には執行役員(シニアマネジメントsenior management)となり、激務の中で神学校の学びを続けられました。そのため、わたしと同期入学でしたが、卒業はわたしが一年先になりました。そうした関係で、以前から、一度Aに来てほしいと言われていました。

「Aバプテスト教会の宣教」

M牧師は幼稚園の園長でもあります。最初の五年間は、教会と幼稚園の関係修復、幼稚園に対する周囲の評判の回復が主な仕事でした。そのために、M先生は、月曜日から土曜日まで、毎朝7時半から幼稚園玄関の外に立ち、9時ころまで園児を迎え、子どもを連れてくる父母たちと、言葉を交わすように努めて行かれました。「休みの日はあるのですか」と聞きますと、「全くない。毎日働いていますが、子どもたちに元気をもらっています」と答えられました。

送り迎えする父母たちとの対話の中で、評判の悪かった昼の給食を、自前で作ることに導かれ、厨房を新設し、調理スタッフを雇用して評価の改善を図りました。そうした努力の甲斐があって、園児数は少しづつ増えて行きました。

このように改善してきたある日、教会の外壁が剥はがれ落ちるという事態が起きてしまいました(2016)。会堂と広い園舎を建て替えるには多額の資金が必要ですが、蓄たくわえは、必要の半分にも届かない状況でした。そのため、一時は幼稚園を止めることにまで、議論が及んでいきました。

そのように悩んでいた時に、思いがけず、A市から幼稚園に対して、A市として交付金を出すことが出来るので、建築の計画を立て、市に申請してみないかとの声が掛かりました。

初めのうちは、交付金を受けた後は、行政からの制約を受けるのではないかと心配しましたが、その懸念はないことが分かりました。三年かけて計画を練り、2019年、無事に1億5千万円の交付金を受けることが決まりました。2020年の夏休み(8月)から、八か月という短期間で、既存の建物を壊しながら工事を終え、2020年度末(2021/3)に、教会の礼拝と園児の卒園式を行い、新しい建物での働きが始まりました。

現在、新しい建物になって三年目に入ったばかりですが、ゼロ歳児から5歳児までの、園児90名、職員25名という規模の幼稚園になっています。

教会の皆様と、幼稚園に関わる人たちは、行政からそのような支援を受けられるとは、まったく予期しておらず、「思いを超えた神の恵み」に、ただ驚いたという事でした。

ご存じの方も多いと思いますが、「婦人の友」という、キリスト教理念の雑誌があります。雑誌の購読者を中心に、日本の各地に「友の会」という集まりがあります。5年前から「A市友の会」との交流が始まっていて、M牧師は毎月一回、聖書の講話をしています。

三年前まで、5,6名であった職員は、現在25名となり、地域に雇用を生み出し、地域に根付いた活動が実を結びつつあるのを感じました。

コロナ感染回避のため先延ばししていた、会堂と園舎の献堂感謝礼拝を、来週28日、幼稚園関係者も一緒に、ペンテコステの日に守るとのことでした。

当日は、東北地方連合の皆さんが集い、T教会のO牧師が宣教者だという事でした。

14日の礼拝は、来会者20名ほどでした。「思いを超えた神の恵み」との宣教題で、聖書朗読でお読みしました、使徒言行録3章から宣教をさせて頂きました。

教会と幼稚園の様子をスライドで説明します。【写真2,3,4,5,】

2.ドローンで撮影した全景。(左端が教会。続く右側までが幼稚園。記念誌の表紙)

  1. 園児たち

4.教会玄関

5.礼拝堂

「立ち上がり、歩きなさい」

聖書に目を移してみましょう。

エルサレムの使徒たちは、ペンテコステの経験を経て、いよいよキリスト教としての宣教を開始しました。

初めの内こそ、ユダヤ教の中の小さな一分派として、会堂シナゴーグでの集会を許されていましたが、間もなく会堂での集会を拒否されます。

【写真6】お読みいただいた個所のすぐ後、11節に「ソロモンの回廊」という場所があります。神殿内部の中庭に面し、祈りの場所に通じる、二列の柱が連なる長い廊下です。

エルサレム神殿にある、この「ソロモンの回廊」(3:11)は、集会などが許される場所でした。

3節までをもう一度お読みします。

3:1「ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上のぼって行った」。

3:2 すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。

3:3 彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。

ペトロとヨハネ、この二人が神殿に上のぼるのは、「ソロモンの回廊」に行って人々を集め、主イエスの福音を伝えるためでした。

その神殿に入る門は三つあり、そのうちの一つは装飾が美しく、人々から「美しい門」と呼ばれていました。その門前には、毎日午後三時になると、生まれつき足の不自由な男が運ばれてきたました。

この男が求めるのはいつも、行き交う人々からのわずかな金銭でした。

男は、わずかな金銭を求めたにすぎなかったのですが、

「ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、“わたしたちを見なさい”と言った」(3:4)。

「彼をじっと見て」、「わたしたちを見なさい」と、「見る」ことが二度繰り返されています。この時の「見る」という言葉は、「しっかりと見る」という意味を持つ言葉です。

この男の、長い物乞ものごいの生活の中で、「わたしたちを見なさい」と言われたことがあったでしょうか。

3:5 その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、

3:6 ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

男が二人を見つめ、施しを期待して待っていると、二人は思いがけない言葉を彼に投げかけてきました。

男は「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」とペトロに言われたのです。

彼は、足の不自由な男です。「いや、わたしは立てない。できるわけないじゃないですか」と断ることもできたはずです。

ところが男は、ペトロが、右手を取って立ち上がらせたとき、ペトロが求めるままに従って立ったのです。その時、この男にとって全く別の人生が始まっていました。

その男は、わたしを癒してくださいとペトロに頼んだわけではありません。ペトロも、この男に信仰を持ちなさいと呼びかけてもいないのです。

男が逆らわずに立ち上がったように、ペトロ自身も疑わず、神に命ぜられていたままに、「主の名を呼んだ」のです(ヨエル3:5)。これは、ペトロが働きかけたペトロの業ではありません。

ペトロは、「イエス・キリストの名によって」と、主の名を呼んだのです。これによって、復活の主への信仰とその力、その希望を、ペトロが男に伝えることになりました。男は、与えられた恵みを、ただ受け取るだけでした。

3:7 そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、

3:8 躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。

これは、復活の主のなせる働きでした。男の病んでいた足はいやされ、新しい命に生きる者とされました。

すると、男の口からは、神を賛美する言葉が生まれてきました。

「イエス・キリストの名によって」

わたしは、M先生からいただいた、メールやお手紙、竣工の記念誌を読み返しながら導かれたのが、この朝お読みいただいた使徒言行録3章の物語です。この物語は、3章1節に始まり、4章22節まで続きますので、皆さまが、ぜひお読みくださるようにお勧めします。本日は、その初めの部分だけお読みしました。

使徒言行録4章6節~10節にこのような言葉があります。

4:6 大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司一族が集まった。

 4:7 そして、使徒たちを真ん中に立たせて、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問した。

 4:8 そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。「民の議員、また長老の方々、

4:9 今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、

 4:10 あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。

「美しい門」で起きた出来事と、「ソロモンの回廊」での集会とは、回廊を行き来する人からは丸見えです。もちろん、神殿関係者の目に留まります。そのため、集会で起きていたことについて、神殿関係者から、「何の権威で、誰の名でこのようなことをするのか」と、ペトロとヨハネは咎とがめられ、尋問じんもんされます。二日目に釈放されますが、「今後は、イエスの名によって話したり、教えたりしないように」と命令されました(4:18)。

「イエス・キリストのみ名によって」とは、この場面では「イエス・キリストの命令によって」という事です。

「イエス・キリストの命令」はいつも、聴く私たちにとっては、実行不可能に思えることが多いのではないでしょうか。

わたしは、この度のA教会の出来事を知った時、「イエス・キリストのみ名によって」取り組んだ、教会や幼稚園の皆様は、あの、足の不自由な男のように、思いを超えた恵みをいただいたのだと感じました。周囲の方々の目は、教会の人たちが感じている以上に、絶えずこの集いと働きに注がれていたのです。使徒言行録のこの出来事、「思いを超えた出来事」が、このAで起きたと、そのように導かれました。

教会の状況も、保育を取り巻く状況も、いずれも厳しいものがある中にあっても、そこから、今、託された事業を、新しい思いで立ち上がるようにと導いたのは、やはり神なのです。

A教会では、「わたし共の力」や「わたしたちの名」によっては、何も成されていません。

Aバプテスト教会と、H幼稚園が、「キリストの名によって立ち上がり、歩いた」ことで、復活の主への信仰とその力を得たのです。そのような出来事であったと信じることが出来ました。

3章6節の初めで、ペトロは言いました。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう」と。

「わたしが持っているもの」とは何でしょうか。

わたしたち、教会に生きる者は、「周囲の人々の目が、イエス・キリストをしっかりと見つめることが出来るように」、思いを新しくして、わたしたちが持っているもの、「福音の宣教」に力を注いでいきたいと、励まされました。

【祈り】