世の光キリスト

宣教「世の光キリスト」 大久保バプテスト教会副牧師石垣茂夫   020/03/15

聖書:ヨハネによる福音書8章12節(新p181)

  8:12 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」

聖書:申命記1章33節(旧p281) 

「この方こそ、あなたたちの先頭に道を進み、あなたたちのために宿営の場所を捜し、夜は火、昼は雲によって行く手を示された方である」。

はじめに

皆さまはどのようにして、この一週を過ごされましたでしょうか。コロナウイルスの感染が世界的な規模で広まり、この先どうなっていくのか、今、どのように生活して行けば良いのかと、不安な日々が続いています。

祈祷会と朝の教会学校は、現在の所、中断しているのですが、1月から4月まで、「ヨハネによる福音書」をテキストとしています。これまで毎回、一つの特徴ある“主イエスの言葉使い”に出会ってきました。

それは主にイエスさまご自身の言葉で「わたしは・・・である」という宣言です。

≪わたしは・・・命のパンである≫(6:35,6,41,6:48,:6:51)

≪わたしは・・・世の光である≫(8:12)

≪わたしは・・・良い羊飼いである≫(10:11,10:14)

≪わたしは・・・まことのぶどうの木である≫(15:1,15:5)

「パン」「羊飼い」「ぶどうの木」など、これらは乾燥したパレスチナの人々にとってなじみ深いもので、パレスチナの日常生活そのものです。イエスさまご自身が「わたしはあなたがたの命であり、パンである」と、そのように言ってくださることに、感動を覚えています。そのようにして、イエスさまは、わたしたちの日常の中にいて下さるのです。そのイエスさまに、この朝もお会いしたいと願っています。

ヨハネによる福音書の学びから

特に、今朝お読みいただきましたヨハネ福音書の「光」は神殿の礼拝に関係する言葉です。聖書朗読で、申命記1章33節(p281) 「この方こそ、あなたたちの先頭に道を進み、あなたたちのために宿営の場所を捜し、夜は火昼は雲によって行く手を示された方である」と読んでいただきました。イスラエルの人たちは、その歴史の中で、神は、出エジプトの旅を、夜は火の柱昼は雲の柱、となって絶えず導いてくださったことを忘れないために、秋の仮庵かりいおの祭の夜に、巨大な燭台に火を灯して、夜の眠りの時も守ってくださる神を、象徴的に再現しているという事です。

この祭りの最後に、神殿の燭台に火が灯されると、人々の興奮は最高潮に達しました。そこには12もの賽銭箱さいせんばこが置かれ、人びとが投げ入れるコインの音が鳴り響いていました。音が大きくなる装置が付いていたという事です。イエスさまにとっては、お金こそ「世の光だ」と叫んでいるように聞こえてきたのでしょう。祭りの騒然としている中、主イエスはその光に照らされた賽銭箱の傍らで「わたしこそ世に光だ」と宣言されました。「世」とは神に背を向ける暗闇の世界です。人々はイエスさまの「わたしこそ世の光だ」という声を聞いても無視し続け、ほかの何かを探し求めています。

「わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」

暗闇とは、何といっても人の命が損なわれていく世界です。武力や暴力、いじめや憎しみによって命が損なわれる世界、それが暗闇です。人の命は、神がご自分にかたどって造られました。それはただ肉体が生きながらえる命ではなく、神と人との交わりによって生きる命です。そのことを忘れて騒いでいることに警鐘を鳴らすかのようにイエスさまは宣言なさいました。この度のウイルス感染は、どのような影響を残していくのでしょうか。ここでも、多くの人の命が失われ、希望を奪い取って行きます。終息の光が見えない中にあっても、このような時にこそ、わたしたちの日常の中にいて下さるイエスさまに出会わせて頂き、日々歩ませていただきましょう。

カミユと小説『ペスト』(la Peste)

毎日、コロナウイルス関連のニュースが報じられる中で、わたしは、この度の感染症は、あの小説『ペスト』の出来事に似ていると書かれている新聞記事が目に留まりました。近くの図書館で小説を借りようと思い、係の人に、アルベール・カミユ(Albert Camus)の『ペスト』(la Peste)という作品探してもらいました。図書館の人が“何があったのですか”とおもうほど、予約が殺到していました。それでも、残っていた1冊を借りることが出来ました。皆さんはペスト(pest)という伝染病の名前を知っておられると思います。

14世紀からはヨーロッパ諸国に蔓延し、500年後、19世紀になってようやくワクチンが出来て恐ろしい伝染病ではなくなったという事です。死者の数は5千万人とも、1億人とも言われています。 日本でも1900年頃に発症し、医学者・北里柴三郎(きたざと・しばさぶろう)がペスト菌を発見してワクチンが作られて、大流行を食い止めたということがありました。ネズミに巣食うノミにかまれることによって感染し、たちまち重症化することで恐れられています。コロナウイルスが、咳の飛沫によって、容易に感染するように、ペスト菌もその広がりの速さやしつこさが似ているというのです。

作者のアルベール・カミユ(Albert Camus)は1913年、北アフリカ・当時はフランス領アルジェリア(ALGERIA)の生まれです。元々はフランス人の家族でしたがアルジェリアに移住し、カミユは大変貧しい、その家庭に生まれました。しかも病弱でしたが、小学生のころに、彼の才能を見い出した教師に励まされて上級学校で学び、その才能が花開いていきました。その後は、多くの社会活動に積極的に参加して執筆を続け、28歳の時、小説『ペスト』の構想が浮かび、10年間かけて『ペスト』の出版に漕ぎつけました。そうした出版と彼の活動が評価され、47歳の時にはノーベル文学賞を受けています。ところが、ようやく次の目標を持ってパリに向かいましたが、友人が車の運転を誤り、49歳で惜しくも事故死してしまったのです。

小説『ペスト』(la Peste)のあらすじ

1940年代4月16日、アルジェリアの港湾都市オラン(Oran)での出来事です。現在、オランの人口は60万人で、アルジェリア第二の町です。オランは真冬でも摂氏26度、真夏は45度にもなる、砂漠のような過酷な場所です。一人の医師リウーが、部屋の外階段で一匹の死んだ“ねずみ”につまずきます。リウーは同じ日に、同じようなことに二度出会ってしまいました。程なくして“死んだネズミ”は町中に見られるようになり、身近な人たちが次々と熱病で倒れていきました。

医師のリウーは人々の死因が「ペスト」ではないのかと気付きました。間もなく、新聞やラジオがそれを報じますと、最初は誰もが楽観的だったのですが、町はパニックになり、オランの役所も対応に追われるようになりました。やがて町には外出禁止令が出され、中国の武漢ぶかん(Uhan)のように、すべての交通が遮断され、外部との接触は完全に断たれました。しかし、感染者は膨れ上がり、サッカー場に張られたテントに収容して隔離されるほどになりました。商店は、売る品物がなくなり、次ぎ次と閉めて行き、市民の精神状態は極限に向かって行きました。フランスに脱出したいという人がいれば、それを目当てに密航を企てる人も現れましたが、うまくいくことはありませんでした。

日中の気温が45度になる夏になっても、ペストが収まる気配は見えません。死にゆく人たちに常に寄り添っていた神父パヌルーは、ついにペストに犯されてしまいました。医師のリウーを必死に支えて来た友も、同じように倒れてしまいました。そうした中で「この町を離れる気はない、やらねばならない仕事が残っているからだ」と言ったリウーに動かされ、協力する者も現れました。

ある日、少年がペストで苦しみながら死にました。この場面はとても悲惨で読むのがつらくなるほどでした。「戦争もペストも同じだ。こちらが何の備えもしていないところに不意に訪れるものだ」と、打つ手がない中で、町中の人が落ち込んでしまいました。医師のリウーはじめ、多くの仲間が献身的に看病に当たりました。4月に始まった感染拡大は、暑い夏が過ぎ、秋風を感じる頃になってようやくピークを越えたようでした。そしてこの災いは、突然、海の引き潮のように、さっと終息していったのでした。人々は次第に元の生活を取り戻して行きました。翌年の1月末、オランの町が「ペスト終息宣言」を出すと、冬の夜空に花火が打ち上げられました。病と闘い続けた医師リウーは元気でしたが、遠く離れて療養中であった“愛するリウーの妻”が死んだとの知らせがありました。

小説の終わりにこのような言葉がありました。『誰が悪いと言うことはない。献身的に振る舞った医師も、特別に報われることはない。誰もが自分のやらなければならないことをしただけで、勝利者もいない。またいつか、眠っているペスト菌は現れることだろう。そしてこの後も、人々の、淡々とした日常生活が続いていくのだ』と書かれていました。

「不条理」ということ

カミユの多くの作品には、この世では、自分の人生に意義を見い出せない、希望が持てない、絶望的になるといった人々が描かれています。こうした状況を「不条理」(absurdity)と言いますが、この「不条理」という言葉はカミユによって知られるようになったという事です。

日本では東日本大震災、原発事故、続く自然災害で多くの方が、今なお、「神さま、なぜ私なのですか」という「不条理」を味わって生きています。

47歳になったカミユはノーベル文学賞を受けましたが、その推薦文にはこう書かれていました。「絶望的な状況に遭遇し、希望が持てない中でも、人間の良心に光を当て、人々に訴えたアルベール・カミユの働きを評価する」と。

カミユによって、「不条理」「なぜ私なのですか」という言葉が人々の間で使われるようになりましたが、主イエス・キリストこそ、まさに「不条理」(absurdity)を身に受けたお方です。主イエスは十字架の上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)と、苦しみの叫びを発しました。

日本の神学者の一人は、“十字架とは「神の痛みだ」(The pain of God)”と表現しました。その方は「人間の罪のために、一番苦しまれたのは神なのだ」と言われたのです(Theology of the pain of god. K.Kitamori)

受難節のこの時に、世界を巻き込んで襲ってきたこの苦難の中で、わたしたちは今、「わたしが世の光だ」と宣言した神の独り子主イエスを見上げるようにと言われています。祈祷会と教会学校で、毎週朝開けて来ました福音書には、「あなたがたには世で苦難がある。しかし勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16:33b)という言葉があります。わたしたちには負う事の出来ないことを背負ってくださる十字架の主イエスが、復活の力を持って、わたしたちに光を与えてくださいます。主に信頼し、お委ねして新しい一週を歩みましょう。