主イエスの祈り①

「主イエスの祈り①〜永遠の命を与えるために」  三月第四主日礼拝  宣教要旨 2014年3月23日

ヨハネによる福音書17章1〜5節      牧師 河野信一郎

 ヨハネ福音書17章全体は、十字架の死を目前にした「主イエスの祈り」です。この主の祈りを3週にわたって聴き、主は何を、何のために、誰のために祈られたのかを学びます。この主イエスの祈りは、マタイ、マルコ、ルカの共観福音書に記載のない弟子たちとの最後の晩餐をした直後、「ゲッセマネの祈り」前の祈りです。

 主は、祈りの中でまずご自身のために祈られましたが、これは自己中心的な祈りでは決してありませんし、弟子や人々よりも自分を愛していた証しではありません。何故なら、主は天を見上げて「父よ、時がきました」とおっしゃいました。いったい何の時が来たのでしょうか。

 続けて主は、「あなたの子があなたの栄光をあらわすように、子の栄光をあらわしてください」と祈り求めます。この言葉を聞いて、「あぁ、やっぱりイエスも栄光を受けたいのね」と思われるかもしれませんが、わたしたちの考える「栄光」とはまったく次元の異なる「栄光」なのです。「時が来ました」との「時」とは、イエス・キリストが父なる神からの使命を受けて地上に来られた最大の目的、つまりわたしたち罪人の罪を肩代わりして十字架上で贖いの死を遂げる時が来たということなのです。ですから、主イエスが「栄光」を受ける時というのは、父なる神から委ねられた地上での使命を果す時、十字架上でわたしたちのために死ぬ時なのです。

 「わたしは、わたしにさせるためにお授けになった業を成し遂げて地上であなたの栄光をあらわしました」と4節にありますが、これは「わたしはこれまで3年にわたって神の国について人々に教え、どのように永遠の命を受けることができるかを伝え、それらのわたしの業を通して神の愛を人々に宣べ伝え、ずっと神の栄光をあらわしました」と主は祈られるのです。

 それではここであなたに質問です。あなたは「永遠の命」が欲しいですか。「永遠の命」を受けるために、わたしたちはいったい何をしたら良いのでしょうか。答えは3節に明記されています。「永遠の命とは、唯一の、まことの神と神が遣わされたイエス・キリストを知ることです」とあります。この「知る」というのは、頭の中で知識として知ると云うことではなく、神を信じる、主に信頼するということです。真なる神が地上にお遣わしくださった信頼できる主イエス・キリストに従いゆけば、永遠の命が祝福のうちに神から与えられるのです。真実なのです。

 さて、主イエスはここでご自分のために祈っておられます。それは、この後、18時間から20時間の間に人の言葉では言い表せない程の苦しみを受けられ、十字架の死をお迎えになられるからです。この主の御苦しみはいったい誰のためであったのでしょうか。それは、わたしの、あなたの、わたしたち罪人のため、わたしたちを救うための苦しみであったのです。

 「父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせてください」と主イエスは5節で祈られます。これは「父よ、わたしはあなたの臨在が、あなたの助けがいま必要です。わたしがこれから受ける苦き杯、十字架に耐えることができるように、そして人々を愛しぬく力を、最後の最後まであなたの御心に忠実に生きられますように共にいて力を与えてください」と祈られるのです。すべてはわたしたちのために...。 神の御子が、父なる神に向かって「力を与えてください」と祈るのです。ですからわたしたちも、「主よ、わたしたちはあなたのご愛、御力、お助け、救いが必要です」となおさら祈る必要があります。

 あなたの目の前に何か大きな壁が立ちはだかり、自分の力ではどうすることも出来ない課題や問題がありますか。もしそうならば主イエスに習って神に助け、救い、生きる力を祈り求めてください。あなたが神に祈り求めるならば、愛の神は必ず祝福をもって与えてくださいます。