主イエスの祈り②

「主イエスの祈り②〜弟子たちのために」三月第五主日礼拝 宣教要旨2014年3月30日

ヨハネによる福音書17章6〜19節      牧師 河野信一郎

 十字架の死を目前にした「主イエスの祈り」から聞き、主は何を、何のために、そして誰のために祈られたのかを学んでいます。最初の1節から5節において、主イエスはご自身のために祈られ、十字架の苦しみを担いきる力、最後の最後まで忠実に神の御心に従って生きる力、罪人を愛しとおす愛を与えて欲しいと父なる神に祈られたことを聞きました。

 その後、主は地上に残してゆく弟子たちのために祈られるのですが、果たしてイエス・キリストの弟子とはどのような人なのでしょうか。その問いに答える助けとして、主は次の3つのことを喜び、感謝する人がそのような人であると6節から8節で云っておられると思います。

 6節後半に、「彼らはあなたの言葉を守りました」とありますが、「あなたの言葉」とは神の言葉であり、イエス・キリストのことです。つまり、主イエスの言葉を守り、その言葉に聞き従う者がキリストの弟子です。

 次に7節に「彼らはわたしに賜ったものすべて、あなたから出たものであることを知りました」とありますが、信じて、喜びをもって受け取ったということです。人生には良い時も悪い時もあります。辛い経験をすることもあります。けれども、すべては神の御手の中に、神のご計画の中にあり、すべてを善きにしてくださると信じて、喜んで、感謝して主に従ってゆく人がキリストの弟子であると云っているようです。

 次に8節で「彼らはあなたがわたしを遣わされたことを信じるに至りました」とありますが、キリストの弟子とは、神がこの地上にメシヤとして遣わされたイエス・キリストを信じる人であります。そして、この弟子に永遠の命が与えられると17章3節に記されています。わたしたちに永遠の命を与えるためにキリストはこの世に来てくださいました。わたしたちはそれ程に愛されています。

 9節から19節で、主イエスは弟子たちのために執り成しの祈りをされますが、この祈りは二つに大きく分ける事ができます。

 最初の区分は11節から16節ですが、11節と15節で主は「彼らを守ってください」と神に祈ります。ここでは、「弟子たちの信仰と命を守ってください」と祈っているのです。主は、ご自分が捕らえられる、十字架に架けられることによって弟子たちに混乱が起こり、ばらばらに離散すること、また主の死後に迫害を受けることを知っておられました。ですから、「父よ、わたしの愛する弟子たちをあなたの愛でつつみ込んで守り、一つにつなぎとめてください」と祈られます。また、「神とキリストの愛の証し人として弟子たちを生かし、用いてください」と祈られるのです。

 17節から19節にもう一つの執り成しの祈りが記されていますが、弟子たちを「聖別してください」と主は神に祈られます。この「聖別」とは、「神のご用のために特別に分ける」という意味ですが、証し人として主のご用に用いられるため、神と人々に仕える者たちとして特別に選び、この世のものから分けてくださいということです。「聖別される」というのは、人の上に立つ者でなく、主と人に心から仕える人です。キリストの弟子とは、神とキリストとその教会、そして人々に真心から仕えてゆく人です。

 「仕える」ということが理解できないならば、イエス・キリストがどのように生きたかを調べれば分かると思います。

 17節に「あなたの御言は真理であります」とありますが、キリストが御言であり、わたしたちを導く真理の道です。18節に「わたしも彼らを世に遣わしました」とありますが、クリスチャンは神の愛とキリストによる罪の赦しと救い、そして永遠の命という希望を伝えるために生かされ、遣わされています。それがわたしたちの地上での使命です。

 主イエスは、「彼らが真理(キリスト)によって聖別されるように、彼らのためわたし自身を聖別します」と19節で祈られますが、これはどういう意味でしょうか。それは、主イエスが「わたしは弟子たちにわたしの命、愛、すべてを与えます。父よ、わたしをあなたのご用のためにお用いください」という意味です。わたしたちは、これ程までに主イエスに愛されています。ですから、この愛を日々受け取り、主と人々と教会のために生きてゆきましょう。

 13年度の年間聖句 「御霊に満たされて、詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主に向かって心からのさんびの歌を歌いなさい。そしていつもすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、キリストに対する恐れの心をもって、互いに仕え合うべきである」