互いの重荷を担いなさい

「互いに重荷を担いなさい」 協力伝道を覚える礼拝 宣教 2021年1月31日

 ガヤテヤの信徒への手紙 6章1〜10節        牧師 河野信一郎

おはようございます。今朝もインターネットを通して皆さんとご一緒に礼拝をおささげできることを神様に感謝いたします。昨夜の報道によりますと、緊急事態宣言は3月7日まで延長する方向で政府は調整中とのことです。昨日の臨時執事会でも確認されましたが、この期間は教会に集っての礼拝は休止することとしております。まだまだ寛容さと忍耐と祈りの必要な日々が続きますが、神様に信頼して、ステイホームの生活と礼拝を続けましょう。

昨晩、この時代にインターネットがなかったら、わたしたちは本当に悲惨な状況に置かれていただろうなぁと思いました。礼拝に出席される皆さんが教会に集えない、オンラインでも礼拝に参加できないとなると、牧師の責任はもっと大きくなったであろうなぁと一瞬だけ勝手に想像してみましたが、すぐに身震いがして、そう考えることを止めました。そういう意味において、テクノロジーの力を借りて礼拝をライブ配信できることは本当に幸いなのだと強く感じました。神様の憐れみとお取り計らいに感謝いたします。

コロナ禍にありますが、とっても感謝なことが先週ありました。礼拝に集えなくなって心配しておりました姉妹からメールがあって、「いつもユーチューブで河野先生にお目にかかり拝聴していますが、一日も早くFace to Faceで礼拝できる時が来ますようにお祈りしています」と記されていて感動しました。もっと感動したのは、「私、大久保教会が好きです、うまく言えませんが」という言葉でした。ジーンと来ました。嬉し涙が出ました。この大久保教会は本当に愛に満ち満ちた人たちでいっぱいです。みんなそれぞれカラーはありますが、お互いのことを尊重し、大切にできる誠実で素敵な人たちの集まりです。今は教会に集えませんが、幼い子どもたちも元気でかわいいです。そういう大久保教会、わたしも大好きです。

今から2週間前のことですが、九州・福岡にあります教会の牧師からメールがあり、「こちらで熱心に教会に通っておられた未信者の方が新宿の方へ引っ越して行かれたので、訪ねて来たらよろしくお願いします」とありました。「今は緊急事態宣言中でライブ配信のみですから、よろしくお伝えください」と翌日返信いたしました。他にも大久保教会の礼拝に出席してみたい方、もっと聖書を学びたい、イエス様のことを聞きたいと再開を心待ちにされている方々もおられます。大久保教会は居心地が良いそうです。こんなに嬉しいことはありません。

さて、今朝の礼拝は「協力伝道を覚える礼拝」として神様におささげしています。日本バプテスト連盟に連なる318の全国の諸教会・伝道所のことを覚え、また連盟の諸活動、理事会、連盟事務所の職員さんたちを覚えて祈る8日間を今日から来週の日曜日の7日まで「協力伝道週間」として過ごしますが、「具体的になに?」と思われる方もおられると思いますが、先ほど福岡にある教会の牧師からお電話があったこと、それが「ザ・協力伝道」です。

大久保教会の歴史を振り返りますと、1960年代から1990年代まで、大学進学や就職のために全国各地から上京された方々がそれぞれの教会から大久保教会に加わり、豊かな交わりの中で信仰的にも成長し、時期が来たらこの教会から巣立って行かれ、献身して神学校へ行かれる方々も大勢起こされましたが、それも「ザ・協力伝道」。この協力伝道のモットーは、「一つの教会でできないことは一緒に力を合わせて福音宣教の働きを共に担う」です。教会学校と水曜日の祈祷会で用いています連盟宣教部発行の「聖書教育」や掲示板に掲示されている様々な案内や情報も、全国の諸教会・伝道所の祈りと協力の中で進められていることです。

私は、2017年から地区宣教主事として千葉、東京、神奈川、山梨、長野、静岡に立てられている86教会・伝道所と伴走する働きを藤沢教会の坂元先生と担わせていただいておりますが、そのような働きを担う中で、厳しい状況に置かれている諸教会・伝道所の様々な課題を目の当たりにし、協力伝道プログラムが日本バプテスト連盟にとっていかに重要な柱の一つであるのかがよく理解できるようになりました。

昨年来の長引くコロナパンデミックでさらに窮地に立てられている教会、これから先の数年の間に財政危機に陥って立ち行かなくなる教会、あるいは献身者不足と高齢化する牧師によって無牧師になる教会が全国的に出て来て、教会の統合、閉鎖、あるいは解散ということが連盟内だけでなく日本のキリスト教界の中で起こると危惧されています。連盟には1県に1教会しか連盟加盟の教会がない県が15教会もあります。建物の老朽化が進む教会、教会員が高齢化して建物・土地を管理できなくなった教会、財政困難な教会も多数あります。そのような教会が地方にたくさん存在しています。近年はこれからの連盟とその機構改革を考える会議が頻繁に開かれています。協力伝道献金の目標額も数年前までは1億数千万ほど掲げられましたが、今年度は1億円を切り、9750万円です。言葉が悪く、信仰的ではないと非難されるかもしれませんが、腰まで泥沼にどっぷり浸かった非常に厳しい状態です。

しかし、一つ一つの教会は、キリストのからだなる教会であり、信仰共同体です。神様の器であり、神様がご支配され、福音を宣教するという明確な使命が与えられ、主がいつまでも共にいると約束くださるキリスト者の群れです。「面倒なことはごめん」と連盟や教会を離れたり、信仰そのものを「卒業する!」と宣言する人も出てくるでしょう。しかしそんなことをしたらサタンの思う壺です。わたしたちに必要なのはナルドの壺です。謙遜を身に帯びて、主イエス様への信頼、イエス様へ最高で最善なものをささげることです。「おささげする」というよりも、わたしたちが手にしているものは全て神様から与えられているものですから、感謝して「お返しする」という言い方の方が良いのではないかと思います。

さて、数週間前に連盟の教会に仕える牧師とお話ししていた時に聞いた話で、肝心したと言いましょうか、すごいなぁと感じたことがありました。昨年春の第一回目の緊急事態宣言の前後にあったことなのだそうですが、その方が牧会されている教会も礼拝堂での礼拝は休止し、オンラインのみの礼拝とし、祈祷会をはじめとする諸集会もみな休止されたそうですが、当初は献金額が落ち込んだそうです。いずれの教会も同じだと思いますが、この教会は少し違いました。宣言が解除された後、教会員の皆さんが教会に戻って来られたそうで、自粛期間中の献金をまとめてささげられたそうです。しかし複数のご高齢の教会員の方々が献げられた金額がコロナ前に献げられていた金額よりもだいぶ多かったそうで、財務役員の方が心配して牧師に相談に来られたそうです。牧師は後日お電話で事情をそれとなく尋ねたそうですが、その方々がこう言ったそうです。「牧師先生、心配せんでえぇ、祈祷会や礼拝に行けなかった期間中の電車賃など本来支払うべきものを神様に献げただけだから。なんも無理してねぇ」と笑っておっしゃったそうです。その牧師はこの人たちはすごい、しかしこのような信仰者を教会に与えてくださる神様はもっとすごい!と思ったそうです。神様はとても良いお方です。わたしたちの必要を満たしてくださり、いつも励ましてくださいます。わたしたちはこの神様と主イエス様の恵みにどのように応答して行けば良いでしょうか。

さて、今朝わたしたちに与えられているみ言葉は、ガラテヤの信徒への手紙6章1節から10節です。先週、5章22節と23節に記されている9つの霊の実シリーズが終わりましたが、今朝と来週の礼拝で6章から聴き、この手紙の学びを終えたいと思います。まず6章の最初の部分、新共同訳聖書には「信仰に基づいた助け合い」という見出しが付いています。今回はここから大切なことを二つ聴いてゆきたいと思います。一つは、1節から5節に記されていることで、ご聖霊の助けを受けて霊の実を結ぶ中で、罪を犯した兄弟姉妹に対してどのような態度をとることが神様の御心なのかを学びたいと思います。泥沼に陥った家族をどう救出するかということです。二つ目は6節から10節に記されていることで、神様から与えられている良いものを互いに分かち合う精神を持つことが主の御心であるということを聴きたいと思います。ガラテヤ地方の教会がどのような深刻な課題に直面していたかはこの宣教シリーズを聞いて来られた方々はすでにお分かりであると思いますが、そういう教会に語られている2つの励ましで、どちらも互いの重荷を担い合うことであり、協力伝道につながることです。

まず1節に「万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい」とパウロ先生は言います。神様の「“霊”に導かれて生きているあなたがた」とあります。神様の霊がいつもわたしたちと共にいてくださいますが、一瞬の不注意の隙を突かれて誘惑に負けてしまい、罪に陥る危険性がわたしたちにはあります。そして罪に陥り、罪を犯してしまったという罪悪感を抱いてしまい、そこから抜け出せなくなることが起こります。信仰的な行き詰まりです。そのような状況下で、「あなたがたは」とあります。そういう人をあなたがたが祈りと力を合わせて「柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい」と励ますのです。泥にどっぷり浸かって身動きが取れない人がいたら、みんなの力を集結して助けなさいということです。「自己責任だから自分でなんとかしなさい」という狭い心ではなく、柔和で広い心を持って助け合いなさいとあります。自身も誘惑に陥ることがあるかもしれないのだから、窮地に立たされた人を見たら助けなさいということです。

2節で「互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです」とパウロ先生は書き送ります。互いの弱さを担いなさいということです。わたしたちは自分の弱さ、至らなさ、犯す間違いの重大さを日々痛感しますが、その痛みを互いに担いなさい、そのようにしてこそキリストの律法を全うするとパウロ先生は言っています。この「キリストの律法」とは、ヨハネ福音書13章34節35節と15章12節にある主イエス様が「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」とお命じになられたことです。イエス様は、そして神様はイエス様を通してわたしたちをどのように愛してくださったでしょうか。イエス様の贖いの死によって、その命と引き換えにわたしたちの罪を赦してくださったのです。

3節と4節には、互いの重荷を担うために、あなたのプライド・誇りを捨てなさいということが記されています。「実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、その人は自分自身を欺いています。各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう」とあります。泥沼に浸かって身動きが取れない兄弟姉妹を見ても、「自分の服や靴に泥がついて汚くなる」と言って、自分のことしか考えないならば、重荷を担うことはできないでしょう。わたしたちはプライドを捨て、5節にあるように「めいめいが、自分の重荷を担うべき」であり、つまり各自が「自分の果たすべき責任を喜んで果たす」ことが重要であるということです。

パウロ先生は6節で「御言葉を教えてもらう人は、教えてくれる人と持ち物をすべて分かち合いなさい」と言っています。牧師・教役者は、皆さんが信仰と祈りをもってささげられる献金でサポートされています。連盟の諸活動、特に諸教会への支援はわたしたちの協力伝道献金で支えられています。「持ち物の分かち合い」の中で、その働きが進められています。

7節から10節には、良いものを分け合う精神が必要であることが示され、そのように生きなさいと励まされています。神様はわたしたちのすべてをご覧になって知っておられます。わたしたち“霊”に導かれて歩む者たちにはそれぞれ果たすべき責任があります。信仰を持って恵みを分かち合う人には更なる恵みが与えられ、永遠の命が与えられますが、恵みを分かち合わないで独り占めする人は滅びることになると7節と8節で注意が促されています。

そういう中でわたしたちに大切なことが9節と10節に記されています。「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう」と。「善」とは、個人のプライド・誇りを捨て去り、互いの重荷を担うことです。

今日から始まる8日間、協力伝道週間の中で、今朝のみ言葉をなんども反芻しましょう。わたしたちの役割、教会の果たすべき責任を感謝と喜びをもって考え、祈り求め、そして示されたことを誠実になしてまいりましょう。

ぜひ協力伝道献金にご協力ください。お献げください。お支えください。主の力強い霊の励ましと導きに従って、信仰を持って福音宣教のためにみんなで前進しましょう。