光について証しする者

「光について証しする者」 十一月第四主日礼拝・世界バプテスト祈祷週間を覚えつつ  宣教要旨 2016年11月27日

ヨハネによる福音書 1章6〜8、19〜28節       牧師 河野信一郎

ヨハネによる福音書の第1章の前半を読んでゆきますと、神から遣わされた者として二人の人が紹介されています。一人は、暗闇の中に生きる私たちを照らし出す光としてこの世に遣わされた神の独り子イエス・キリストです。もう一人は「その名はヨハネである」と6節に記されています。19節から登場します洗礼者ヨハネ。バプテスマのヨハネという呼び名のほうが親しみある人も多いと思います。

このバプテスマのヨハネは神から遣わされたと6節に明記されていますが、彼の地上での使命が次の7節に記されています。「彼は証しをするために来た。光について証しをするため、またすべての人が彼によって信じるようになるためである。」とありますが、この「彼」という言葉をご自分の名前に置き換えて読み返してみてください。例えば、わたしの場合はこうなります。「信一郎は証しをするために来た。光について証しをするため、またすべての人が信一郎によって信じるようになるためである」と。

このように、自分をヨハネの身に置き換えて読んでみますと、主なる神からバプテスマのヨハネに託された任務と責任がいかに大きなものであったかが判ると思います。そういう中で、私たちはこのような任務と責任は自分には到底担いきれないと感じてしまいますし、できれば負いたくないという人もおられるかもしれません。しかし、イエス・キリストを救い主と信じて従う者は、救われ、闇から光のうちに入れられた者として、キリスト・イエスについて証しする者として召され、生かされ、派遣されているのです。

また、バプテスマのヨハネは、このような任務が与えられ、責任が課せられましたが、神はヨハネ一人にこの責任を負わせず、神が一緒になって担ってくださり、勇気と知恵と力と言葉を与えられたのです。同じように、私たちにも主イエスが、ご聖霊がいつも伴ってくださり、証し人として生きる力を絶え間なく与え続けてくださいます。そのように約束してくださっています。クリスチャンは独りで生きることは決してありません。主イエスが、ご聖霊がいつも傍にいて励ましてくださいます。ですから、私たちに大切なのは、神と主イエスを第一にして従ってゆくことです。

では、神と主イエスを第一に生きてゆくとは具体的にどういうことかという問いが投げかけられますが、その答えが8節に記されていると思います。「彼(ヨハネ)は光ではなく、光について証しするために来た」とあります。ヨハネは光を証しする者としての役割を自覚し、それに徹する思いを持っていたことが判ります。私たちは、自分の人生の主役は自分であると思い込んでいますが、実はそうではなく、私たちの人生の主役は私たちを造られ、生かし、愛し、救ってくださった神と主イエスが主役であり、私たちは準主役、あるいは脇役なのです。バプテスマのヨハネは、そのことを自覚していました。マリアの夫ヨセフも脇役に徹した人でした。私たちは、仕えられる者ではなく、神と人に仕える者として主イエスに召されている存在であることをヨハネのように自覚をもって生きたいと思います。

さて、ヨハネは光についての証し人として生きることに徹しようとしているのですが、彼を主役級の存在と思い込み、警戒する人々が存在していたことが19節から23節を読んでゆくと判ります。そこにはヨハネと祭司・レビ人とのやり取りが記されています。

「エルサレムのユダヤ人たちが祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして『あなたはどなたですか』と質問させた時、彼は公言して隠さず、『わたしはメシアではない』と言い表した。彼らがまた『では何ですか。あなたはエリヤですか』とたずねると、ヨハネは『違う』と言った。さらに『あなたは、あの預言者なのですか』とたずねると『そうではない』と答えた。そこで彼らは言った。『それではいったい誰なのですか。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だというのですか。』ヨハネは預言者イザヤの言葉を用いて言った。『わたしは荒野で叫ぶ声である。「主の道をまっすぐにせよ」と』。」

この預言者イザヤの言葉は、旧約聖書・イザヤ書40章3節にありますが、ヨハネはイザヤの言葉を自分の身に置き換え、彼なりの表現でそのように言ったのです。

バプテスマのヨハネは、一貫して光について、キリストについて証しする者として生き続けました。そういう中で大変なことや顧みられないことも多々あったのですが、それでもキリストを証しし、主イエスを宣べ伝える働きを貫き通しました。

私たちクリスチャンも、主イエス・キリストが再びこの地に来られる時まで、主イエスの十字架と復活を証しする者として生かされ、その働きが委ねられています。

2016年のアドヴェントを過ごす中、御子イエス・キリストの誕生を喜び祝う準備をする中で、イエス・キリストを証しする者として生き、キリストのもとへ家族や隣人をお招きしましょう。一人でも多くの方々へ救い主イエス・キリストを紹介し、その方々が神と主イエスのもとへ来る事ができるように、荒野に道を備え、荒れ地に広い道を通してゆきましょう。

世界各地に派遣されている宣教師たち、ミッションボランティア、宣教に携わっているすべての人たちのために祈り続けましょう。彼らは、世界各地で荒野に道を備え、広い道を開き、主イエスへの道を通す働きを日夜担ってくれています。私たちも、その働きの一端を担わせていただきましょう。全世界にキリストの光が届きますように、世界宣教の働きのために覚えて祈り、ささげましょう。