十二歳のイエス・人となられた神

宣教「十二歳のイエス・人となられた神」大久保教会副牧師石垣茂夫           2023/01/15

聖書:ルカによる福音書2章41~52節(p104)

招詞:フィリピの信徒への手紙2章6~8節(p363)

 

「はじめに」

皆様は、この新しい年を、どのような思いでお迎えになったでしょうか。

私たちに与えられた新しいこの年も、お一人の課題があり、加えて幾つかの共通した不安を持って迎えました。

私自身のことですが、振り返ってみまして、希望を持って新年を迎えるよりも、不安を抱えたままで迎えた年の方がはるかに多かったと思い起します。

 

わたしは、17年前のことになりますが、年末になって事業を止める決断をして新年を迎えました。家族や、少ない社員にどう伝えたらよいのか、先のことが何も決まっていない中で、とても苦しみ、祈りつつ、どのように進むべきかを悩みながら新年を迎えました。

年が明けて、関係者に自分の思いを伝えて行ったとき、自分の心配とは反対に、みな一瞬、驚かれましたが、決断のタイミングは良いのではないかと、賛成してくれたのです。そして、そのひと月後には、予想以上に長い、半年という猶予期間を与えられ、取引先や周囲の方の理解を得ながら、ゆっくりと準備して、会社を整理することが出来ました。そしてこの作業を終えるころに、私自身は、神学校に通うという新しい目標が与えられていきました。これまでの生涯の中では、最も印象深い年となりました。

 

昨年は、コロナ危機が続く中で、2月末にロシアによるウクライナ侵攻という、大きな出来事の中で不安を抱えたまま過ごしてきました。この先の不安定な要素が取り除かれ、戦争終結の決断が与えられるようにと、祈りを積み上げていく以外に道はないように思えます。

わたしたち教会の交わりは、このような時代であるからこそ、安らいだ思いを持って祈る交わりでありたいと願っています。今、多くの国や人々が困難に直面していますが、そのような時代の只中でこそ、安らかな思いで祈る交わりを、皆様と共に創っていければと願っています。

 

「十二歳のイエス」

この朝与えられています聖書の言葉は、主イエスの少年時代のエピソードです。

ルカによる福音書の順によりますと、第2章で、主イエスはベツレヘムに生まれました。そして4章になりますと、早くも三十歳を超える人物となり伝道者としての生活をしています。この間の、実に三十年間について、聖書には、お読みしたルカ2章41節以下、この一か所にしか記述がないのです。

そのためでしょうか、主イエスの十字架の死と復活の後に、教会の人たちは主イエスの少年時代、青年時代を想像して書き残すようになりました。ところがそれらの文書は、どれ一つとして、聖書にはならなかったのです。

そうした文書、若い主イエスを紹介する文書を読んでみますと、みな次のように書いてあります。「普通の少年ではない」、あるいは「霊的な力が備わっていた人物だ」と書かれています。しかし、新約聖書はそうした内容を取り上げることはしなかったのです。ただ一度「人となられた神」の少年時代のエピソードをここに記しました。

なぜこの一か所なのか。ここで伝えようとしたのは何か。これは今朝の、皆様への問いかけでもあります。

「なぜルカは、少年イエスの姿を、ここに描いたのか」、ご一緒に考えていただきたいと願っています。

 

 

「年に一度のエルサレム巡礼」

今朝は、ルカ2章「少年イエス」の個所をお読みしましたが、皆様はどの言葉に関心を持たれたでしょうか。

わたしは、49節のすると、イエスは言われた。『どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。』」との言葉です。

おそらく皆様が、そう感じておられるのだと思います。この言葉を思い起こしながら、聖書の順にこの時の出来事をたどってみたいと思います

 

42節に イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。」とありました。

「男子、十二歳の儀式」、これは、不思議なように、世界中でみな同じような習慣になっています。日本では「元服げんぷく」と呼ぶ、男子、十二歳の儀式がありました。「元げん」とは頭の事です。「服ふく」は、文字そのままに服装のことです。奈良時代に始まったそうですが、髪形を整え、大人と同じ服装を身に着け、形を整えて成人男子の仲間入りをしたのです。

先週9日は「成人の日」祝日でしたが、日本では過去のそうした儀式が元になって、若い人の門出を祝います。

 

ユダヤでは現在でも、男子が十二歳になりますと、自分の責任において、律法を守る生活をするのです。そのためには「シェマー・イスラエル」、「聞け、イスラエルよ。」という申命記6章の言葉を覚えて皆さんに披露するという儀式が行われます。エルサレムでは、毎週木曜日に、「嘆きの壁」の前で、その式が行われています。10年前のイスラエル旅行では、偶然その場面に遭遇しました。

写真はその場面です。

  • エルサレム・嘆きの壁の全景。(ソロモンの神殿の遺跡)
  • 親族が12歳の少年を囲み、「嘆きの壁」に向かって太鼓をたたきながら行進してきます。

右から二番目の少年が当事者のようです。

  • なぜか広場の右側が混雑しています。

壁に向かって、男性は左に、女性右に入るように仕切があるのです。十二歳の男子は、できるだけ母親に近い場所に寄って「シェマー」を唱えます。

  • そのために、仕切りの付近が混雑しています。

二千年前のことを、今見ているように思える印章深い光景でした。

 

子どもが親から離れ、ひとり立ちしていくことを「自立」と言います。親は子供たちに対して、ひとり立ちして大人の仲間入りをしていくことを促していくのです。「自立」、これは大切なことですが、祈らずにはできないことです。両親もそうですが、子どもたちも、大いに悩む時期です。互いに忍耐のいる取り組みです。

一家は、これまでも毎年、ナザレからエルサレムまで、巡礼の旅をしていたのです。この年は「長男イエス十二歳」という特別な礼拝の日となりました。家族は、特別な喜びをもって旅をしたことでしょう。

 

43:「祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。」

巡礼の旅は、幾つかの家族が巡礼団を組み、一緒に行動します。ナザレからの巡礼団は一日限りの礼拝を終え、エルサレムを出て、もと来た道を戻ります。当然、同じ世代の子どもたちも一緒です。

想像できると思うのですが、同じ世代の者同士で、三日四日と旅をするのは、どれほど楽しくにぎやかなことでしょうか。両親は主イエスが、当然、誰かの家族と一緒に歩いていると思っていたのです。ところが一日いちにち路じを過ぎたときになって、両親は、初めて我が子がいないのに気付きました。そして、帰る人の流れに逆らうようにして、エルサレムへの道を、我が子を尋ねながら戻るうちに、遂にエルサレム神殿に入ってしまいました。そして三日目にして、ようやく神殿の教師たちの間に座り、話を聞いたり質問したりしている姿を見つけました。

47: 聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。

48 :両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」

「お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」と母マリアは言いました。

その言葉に対する主イエスの答えは次のようでした。

49 :すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」

50 :しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。

主イエスはわたしが自分の父の家にいるのは当たり前だ」と言われたのです。「ここにいるのは当たり前ではないですか」と言われたのです。

「当たり前だ」。突き放すような、この言葉を聞いた時の両親の驚きはどれほどであったでしょうか。

「両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった」とありますが、ヨセフとマリア、この二人には、他の人は知らない「主イエスの出生の秘密」、「聖霊によって神の子を宿す」という、神にしかできないことが、自分たちに起きたことを知っていたはずです。

しかし、時が過ぎた今、とっさには思い浮かばなかったのかもしれません。

この年の巡礼は、「イエス十二歳」という記念すべき礼拝をして、我が子が大人への第一歩を踏み出したのです。しかし、両親は、一人前の大人になっていく我が子を、まだ、思い描けなかっただけでなく、父なる神が別におられるという事を忘れてしまっていたようです。

同じように、十二歳の主イエスの方も、神殿の教師たちの言葉に神の言葉に聞き入っていました。御言葉を学んでいて、夢中になっていて、家族と一緒にナザレに帰ることなど、すっかり忘れてしまったようです。

このとき主イエスは「わたしは、わたしの父の家にいる」と言いました。この「家」という言葉ですが、明治時代に翻訳された古い聖書(永井訳・新契約聖書)には「わたしは、わたしの父の事の中にいる」と書かれています。 原文を直訳すると、ただ「父の家にいる」のではなく「わたしの父の仕事をしている」と受け止める翻訳者も多いようです。英語訳にはビジネス(I must be about My Father`s business)とする聖書(NKJV)もありました。

両親は、この頃から、我が子ながら「不思議な子だ」と感じ始めたのかもしれません。

 

「真まことの人となられた真まことの神」

「イエス十二歳」。この記事を書いた福音書の著者ルカの目的は何であったのでしょうか。

ただ単に、十二歳の主イエスの情報を伝えるために書いたのではありません。エルサレム巡礼の旅を描き、主イエスの神殿での様子を伝えたかったためでもありません。

ルカの目的は、主イエスこそ、わたしたちと同じ、「真まことの人となられた真まことの神」であると伝えたいのです。この福音書が書かれた時代、紀元80年から90年頃には、主イエスについて、「神が人になる」などという事は“おかしい”と言いだす人たちが現れました。「優れた人物が努力して、神になったのではないか」と主張する人たちも現れました。

これに対して当時の教会は、信仰のはじめから告白し続けてきたように、ますます、主イエスは、「真まことの人となられた真まことの神」だと、明確に告白していく必要に迫られていたのです。

「神が人になる」これは不思議なことですが、キリスト教信仰の中心と言うべきことです。ルカのこの時代になって初めて告白されたのではなく、教会の歴史の最初から告白してきたキリスト教信仰の中心ことでした。

 

招詞で、フィリピの信徒への手紙2章6節から8節までをお読みいただきましたが、全体としては11節までになります。パウロが書いたこの言葉は、教会がその初期から、讃美歌として歌いつつ告白してきた古い歌詞だとされています。

まだ聖書のない時代には、礼拝では皆さんで信仰の言葉を賛美をするのです。教会で教えられた信仰を、歌うのです。歌うという事は、わたしたちが聖書を読むというのと、同じ力を持っています。

2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執こしつしようとは思わず、

 2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、

 2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

(招詞:フィリピの信徒への手紙2章6~8節(p363))

この賛美が、どのような旋律(melodyであったのかは分かりませんが、教会で歌い継がれていたのです。この歌詞を使徒パウロが手紙に書いたのです。私たちも礼拝で讃美歌を歌います。正直のところ、聖書の言葉を暗記するよりも、歌として覚えればしっかりと頭に残ると言えるのではないでしょうか。

神がわたしたちと同じ人となってくださったから、わたしたちの悩み苦しみを思いやることが出来るのです。この朝も新しく、「人となられた神」を信ずる信仰に導かれましょう。

主イエスが、ナザレに帰ることを忘れて、神殿でみ言葉に聴き、御言葉を学ばれたように、わたしたちも御言葉に出会いつつ歩む一年であるようにと、導かれてまいりましょう。

み言葉には力があります。み言葉を信じ、御言葉に導かれて、この一年を歩みましょう。

皆さんが、喜んで礼拝に集い、み言葉に聴く様子を、神様は楽しみにしておられます。

 

【祈り】