安心して行きなさい

宣教要旨「安心して行きなさい」“教会学校の日”礼拝 副牧師 石垣茂夫

招詞 マルコによる福音書5章34節(新約p70) 聖書 列王記下5章14~19a節(旧約p584)

8月の初めのこと、中学一年生になった“Mさん”が、久し振りに10時からの教会学校にやってきました。彼女は公立の中学校に通っています。クラスの自己紹介の時、自分のほかにもう一人、クリスチャンがいることが分かりました。彼女もクリスチャンですが、その人のように「わたしはクリスチャンです」と言うことが出来なかったそうです。「どうしてあの時、言えなかったのだろうか」。そのときからずっと、このことが彼女の頭から消えることはなかったようです。でも先週サマーキャンプに行って、「今度、自分のことを紹介するときには、『わたしはクリスチャンです。』、そう言おうと決心することができた」と、そのように話してくださったのです。さて、皆さんはMさんに起きた、このことを聞いて、どう思いますか。今朝は、そうしたことを、ご一緒に考えてみましょう。

旧約聖書の列王記「ナアマン将軍」のお話の一部を読んでいただきました。

イスラエルの隣にアラムという国がありました。その国のナアマン将軍は、なかなか治らない病気にかかり、苦しんでいました。何とかして直したいと、色々な治療をしてきたのだと思います。そしていよいよ、病気をなおすことができるという、預言者エリシャに会える時がきました。しかし預言者は将軍の前に姿を見せず、ただ使いの者がきて、「ヨルダン川へ行って、七回、体を水に浸しなさい。そうすれば癒される」とだけ伝えてきました。ナアマン将軍は、とてもがっかりしました。怒って、国に帰ってしまおうとさえ思いました。しかしナアマン将軍の家来たちによって思いとどまり、ヨルダン川の水に七回、身を沈めると、その体は、ちいさな子どものようにきれいになっていたのです。

喜んだ将軍は、持ってきた贈り物をみんな、エリシャに渡そうとするのですが(5:15)、エリシャは贈り物を絶対に受け取ろうとしません(5:16)。そこでナアマン将軍はこう願いました。

「わたしは隣の国から来た者ですが、イスラエルの神さまこそ、本当の神さまだと信じるようになりました。「私は国に帰っても、イスラエルの国の『主なる神さま』を礼拝しようと決心しました。らば二頭分の土をください。国に帰って、礼拝する場所を造りたいのです。」

イスラエルを訪れたナアマン将軍は、ほんとうは、病気を治してもらえればそれで十分でした。しかし、自分が思ってもいなかった、「主なる神さま」への信仰を持つことになったのです。そのために、ナアマン将軍は一つの悩みを持つことになりました。「『二つの神さま』を礼拝することを考えると、とても苦しいのです」と、今の苦しみをエリシャに打ち明けたのです(王下5:18)。この先、ナアマン将軍は、イスラエルの「主なる神さま」を礼拝する人がいない国で、どうやって信仰を守っていくのだろうか。エリシャ先生は心配したと思います。

このときエリシャ先生はどう答えたでしょうか。「安心して行きなさい」と言いました(5:19)。

招詞の言葉はイエスさまの言葉です。「安心して行きなさい」と、エリシャさんと同じ言葉を使って一人の娘さんを励ましたことがありました(マルコ5:34)。

わたしはこう思うのです。あなたは信仰を持った。その信仰はあなたが一人で守るのではありません。「主なる神さま」への信仰があなたを守っていきます。「安心して行きなさい」。そのように聞こえてきました。これは子供も大人も、みな同じです。「安心して行きなさい」という言葉を忘れないでください。いつも神さまと一緒だということを、信じて歩みましょう。