平和の君のうちにとどまる

「平和の君のうちにとどまる」 八月第二主日・平和礼拝 宣教要旨 2016年8月14日

ヨハネの手紙一 2章18〜27節       牧師 河野信一郎

15日に71回目の終戦記念日を迎えますが、ある団体が「世界には200カ国近い国があるが、その中で70年以上戦争をしていない国は8カ国しかない」と教えてくれました。その8カ国の一つが日本ですが、憲法改正の動きの中で、日本も戦争ができる国になろうという強い動きがあり、不穏な空気が日本を覆っています。戦争の痛みや苦しみを体験している方々が少なくなり、戦争の恐ろしさを全く知らない政治家たちが「平和憲法」と呼ばれる「平和の砦」を更に強固に築くのではなく、崩そうとしています。大多数の日本人は戦争を知らない世代で、「平和ぼけ」をしている世代とも呼ばれています。ですから、戦争の悲惨さを知らなければならない世代です。では、戦争の恐ろしさを知るために、私たちは戦地へ赴くべきでしょうか。いいえ。広島や長崎や沖縄へ行くべきでしょうか。それも大切ですが、すぐに、そして最もすべきことは、私たち一人一人が神と向き合うことです。そして神に「何故、世界に平和がないのですか」と問うべきです。その問いかけに対し、神は問いかける人々に対してそれぞれ違う答えを下さるでしょう。答えは、決して一つではないでしょう。何故ならば、神に問う私たち一人一人が平和に対する考え方や価値観がそれぞれ年齢や性別などでも違いがあるからです。しかし、そのような違いがあったとしても、神との交わりの中ですべての人が神から問われる一つの質問があると思います。その質問とは、「あなたの心はいま平安か」というものです。あなたの心は平安ですか。「平安」と一言で言っても、その度合いも違うでしょう。しかし、この神からの問いかけはとても重要なことです。

もしかしたら、あなたは日々次から次へと押し寄せてくる無理難題に困惑し、どう処理すべきか判らずに混乱しているかもしれません。心の中だけでなく、家庭内、職場、様々な人間関係の中で大量のストレスを日々感じていることはないでしょうか。悩んでいること等がないでしょうか。私たちは、「あなたは本当に平安ですか」と神から問われていますが、もし平安でなければ、根本的な理由・原因は何であるのかを知らなければなりません。

さて、私たちが平安でない原因は、大きく分けて2つしかありません。一つは、対人関係の中で抱く感情によって平安でなくなります。もう一つは、神との関係が正常でないがために生じるテンション・摩擦が原因となります。つまり、平和の源である神から離れているために、つながれていないために心が乱れ、不安になってしまうのです。

あなたの神との関係は良好でしょうか。良好であって欲しいと願いつつも、どうしてもうまくいかない。懸命に努力するのだけれどもうまくいかない。そういう時が誰でもありますが、その原因となっているのは、私たちでも、また神でもなく、私たちを神から引き離そうとする「悪の力(フォース)」です。

今回与えられている聖書箇所は、第一ヨハネ2章18節から27節ですが、26節をご覧ください。「以上、あなたがたを惑わせようとしている者たちについて書いてきました」とあり、ここに当時のキリスト教会にクリスチャンたちを惑わす人々が存在していたことが判ります。その人たちをヨハネは「反キリスト」とか、「偽り者」と呼びます。この日本にも複数の異端キリスト教グループが最近入り込んで来ています。今、そのような時代でもあるのです。

18節に、「反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。これによって、終わりの時が来ていると分かります」とありますが、反キリストとはどういう人たちかが22節にあります。すなわち「偽り者とは、イエスがメシアであることを否定する者でなくて、誰でありましょう。御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです」とヨハネは言っています。神から私たちを引き離す力がすぐ近くにあって、心に隙間を与えるとすぐに入り込んできて翻弄するので、心が平安でなくなるのです。

それでは、どのようにしたら心がいつも平安でいられるのでしょうか。22節と23節に大切なことが記されています。心に平安が欲しければ、「父なる神と御子イエス・キリストを認め、信じる」ことです。キリストを救い主と信じていない人は、神にもつながっていませんから平安はありません。しかし、主イエス・キリストを信じ、口で告白し、キリストにつながり時に神につなげられるとヨハネはここで言っています。イエス・キリストを救い主と信じることが、神から「恵み」として私たちに与えられています。

しかし、イエス・キリストを救い主と告白することには神の助けが必要で、使徒パウロは「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは告白できない」と言っています。この聖霊とは神の霊であり、神です。この聖霊によらなければ、私たちは主イエスを深く知ること、信じ、告白することができません。ですから神は、真理であるイエス・キリストを知り、キリストに強く結ばれるために聖霊を与えてくださいました。

20節と27節に「あなたがたは聖なる方から油を注がれているので、皆、真理を知っています」、「いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、誰からも教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます。それは真実、本当であって偽りではありません」とあります。この「注がれた油」とは聖霊のことです。この聖霊がすべてを包み隠さずに主イエスのこと、父なる神がいかに私たちを愛して下さっているか、またどのように生きるべきかを御言を通して教えてくださるとヨハネは言って、不安な中にある私たちを精一杯励ましてくれるのです。

「だからあなたがたが初めから聞いているように、また教えられたとおり、御子イエス・キリストのうちに、平和の君(Prince of Peace)のうちにとどまり続けなさい。そうすれば、神から頂いている「永遠の命」の約束に生き、平安と希望に満ちた日々を歩んでゆけると励まします。この恵みに感謝しつつ、主イエス・キリストにとどまり続けましょう。