忠実な人たちとそうでない人たち

「忠実な人たちとそうでない人たち」 八月第五主日礼拝宣教 2021年8月29日

 ネヘミヤ記 3章1〜32節      牧師 河野信一郎

 今朝もご一緒に礼拝できて本当に感謝です。今朝ご一緒に聴くみ言葉は、ネヘミヤ記3章1節から32節で、非常に長いです。またこの箇所は、多くのカタカナの地名や人名、多くの情報に溢れています。通常の礼拝では聖書朗読があって、それから宣教という順番をとっていますが、今回は聖書を読みながら宣教するほうが都合良く、また時間の節約にもなりますので、聖書朗読と宣教を同時にすることをお許しいただきたいと思います。

アメリカの日本語教会の皆さんもこの礼拝に出席くださっていますが、使用されている聖書は口語訳であられるので、新共同訳聖書を読みながらの宣教は少々聴きづらいかもしれません。しかし今回はこの方法がベストと考えますのでご辛抱いただきたいと思います。共に聖書を読みながら、今朝わたしたちが注目すべき神様の御心を聴いて行きたいと願っています。

しかし、その前に先週22日の宣教の中で祈りリクエストを報告させてください。西地区の牧師が新型コロナに感染し、11日から高熱が出ても入院先が見つからなかったのでお祈りくださいとお願いしましたが、翌日の23日に女子医大病院に入院できたという連絡がありました。中等症の方でも自宅療養の方が全国に11万人以上おられ、ご自宅で症状が急変してお亡くなりになる方も増えている中で、入院できたのは神様の憐れみ、奇跡に近いことだと思います。

しかし、私がそういうと「入院できないで苦しんでおられる方、お亡くなりになる方には神の憐れみがないのか」という論争が起こってしまう危険がありますが、新型コロナウイルスの存在が報告され、感染拡大が徐々に始まってから19ヶ月が経過しても、適切な処置や病床を整える備えをしなかった政府・行政に携わる人たちの「楽観さ」、「傲慢さ」、「身勝手さ」が現在の医療の逼迫さと崩壊を招いているのであって、神様に全ての責任があるわけではありません。都知事などは「災害」と呼んでいますが、「人災」であることは明白です。感染から回復したら、牧師としてまた働けることは希望となり、大きな力になると思います。お祈りくださった皆さんの協力であり、祈りには力があることの証明を知らされて感謝です。

もう一つの祈りのリクエストは医療従事者の方々のために祈ることでした。コロナ感染拡大に歯止めが効かず、先ほど申しました自宅療養の方の数、重症者の数、死亡される方の数が爆発的に増加しています。わたしたちの教会の家族に昨年からずっと最前線で働き詰めの感染症専門の医師の兄弟がおられますが、そのIご夫妻の娘さんが今日5歳のお誕生日を迎えました。感謝です。わたしたちにとっても愛くるしい、とても利発な女の子で、大きく成長されました。ずっとオンラインで礼拝を守られています。また一緒に礼拝をささげたいと願っています。主の憐れみとお守りと祝福がIご家族の上にありますように祈り続けてください。

さて、今朝は「忠実な人たちとそうでない人たち」という主題で宣教をさせていただきますが、ネヘミヤたちが熱望していたエルサレム城壁修復工事がいよいよ3章から始まります。この3章には、45カ所にわたる城壁修復工事と10の門を再び構える工事に携わった人たちを統率したリーダーたち、担当者たちの名前で埋め尽くされていて、正直言ってさらっと読み終えたいと思えるような、自分には関係ないと思えるような箇所です。しかしこの章には、神様の御用のために、城壁修復工事のために忠実に働く人たちの働きが31節にわたって生き生きと記され、忠実でない人たちのことが1節に短く記されています。

今朝この3章に聴く目的、それは長引くコロナパンデミックが収束した後に、この教会を、皆さんの教会を再び活気づけるためのヒントと励ましをご一緒に聞き取って行くことです。確かにこの大プロジェクトを念密に計画し、適材適所で人々を設置し、彼らを励まし、統括しながら国家プロジェクトを完成させた総督ネヘミヤの手腕は本当に素晴らしいのですが、新約の時代に生かされているわたしたちの主は、イエス・キリストであって、このイエス様の声に日々聞き従いながら主には忠実に、人々には誠実に、そして自分に対しても信実・正直に生きることがわたしたちの生き方であり、何にも代えがたい喜びに満ちた生き方です。

このイエス・キリストを救い主と仰ぎ、キリストに従う者たちは集められ、一つの教会とされ、その教会を信仰をもって建て上げて行く使命と、全世界に出て行ってキリストの福音、神様の愛を分かち合うという使命があります。新型コロナウイルスに負けて教会の使命とクリスチャンの使命を、イエス様を通して神様から与えられた信仰を捨ててしまうことは、神様を悲しませ、イエス様の十字架の死と復活という救いの恵みを無駄にすることです。

イエス・キリストを通して神様に罪赦され、救われ、心動かされた者は、日々新しくされ、整えられてゆき、主の恵みに忠実に応えてゆく者とされてゆきます。そういう人たちを神様がご計画を成してゆくために用いられます。前置きが長くなりましたが、神様に心動かされた人たちが忠実に主のご用のために働き、心と魂に揺さぶりがあっても心動かされない人たちは神様に造られ、生かされ、愛されている目的を果たすことができずに一生を終えることになるということが記されています。しかし、エゼキエル書でも聞いていますが、すべての人が神様を認め、自分の間違いを悔い改め、神様に立ち帰ることを神様は待っておられます。

さて、それではネヘミヤ記3章を読んでゆきたいと思いますが、まず画面のスライドをご覧ください。ネヘミヤ時代のエルサレムの地図を用意しました。見えにくいかもしれませんが、青い線がネヘミヤとイスラエルに帰還した人たち、そしてエルサレムに残留していた人々が力を合わせて修復した城壁です。緑の線は、現在のエルサレムの旧市街の壁です。今回は青い線の部分が重要ですが、全部で45ヶ所、10の門、そして3塔の建築・補強の工事をします。

まず城壁北側の工事ですが、1節から5節にありますが、民は城壁と2つの門(羊の門と魚の門)と2つの塔を建てます。北側は敵からの攻撃を受けやすい地形となっていたので、見張りをする塔・やぐらが必要でした。ここで注目したい点は、大祭司や祭司が率先して補修工事に携わっているということです。城壁を建て上げるとは、外部から偶像の侵入を抑え、信仰を守るという宗教的意味があります。また、誰々の子、孫とあるのは、バビロン捕囚で苦しみを味わった父や祖父に代わってその子どもや孫が率先して働いたということです。

1大祭司エルヤシブは、仲間の祭司と共に羊の門の建築に取りかかり、それを奉献し、扉を付けた。次いでハンメアの塔まで、更にハナンエルの塔まで奉献した。2その傍らにはエリコの住民が一方に、イムリの子ザクルが他方にいて建築に携わった。3魚の門を築き上げたのはハセナアの子らである。彼らはそれを組み立て、扉と金具とかんぬきを付けた。4彼らの傍らではハコツの孫でウリヤの子であるメレモトが補強に当たり、またその傍らではメシェザブエルの孫でベレクヤの子であるメシュラムが補強に当たり、その傍らではバアナの子ツァドクが補強に当たり、5更にその傍らではテコアの人々が補強に当たった。しかし、その貴族たちは彼らの指導者たちの作業に服そうとしなかった。

次に取り組んだのは西側の城壁です。6節から12節に記されていますが、「古い門」の補強工事です。ここで注目したいのは、「広壁」を修復したとありますが、この側の壁が最も長く、かつ重要な箇所であったので、他の壁よりもより厚く、頑丈にしたということです。また様々な職業を持った人が携わったということが記されていて、鋳物師とは金細工職人で、香料調合師とは香水を作る職人です。もう一つの注目点は12節に「娘たち」が工事に携わっているということで、この娘とは「小さな村」という意味でも捉えることができて小さな村から働き人が集まったと捉えることができますが、教会には老若男女、誰もが神様のご用のために集められ、それぞれの賜物が組み合わされて教会となってゆきます。歳を重ねた人も、若い人も、男性も、女性も、子どもも、みんなで主を見上げ、共に力を合わせて仕えるのが教会です。

6古い門を補強したのは、パセアの子ヨヤダとベソデヤの子メシュラムである。彼らはそれを組み立て、扉と金具とかんぬきを付けた。7彼らの傍らでは、ギブオン生まれのメラトヤ、メロノト生まれのヤドン、そしてギブオンとミツパの男子たちが補強に当たった。この二つの町はユーフラテス西方の長官の管轄下にあった。8またその傍らでは鋳物師ハルハヤの子ウジエルが補強に当たり、その傍らでは香料調合師のハナンヤが補強に当たった。彼らは広壁までエルサレムを修復した。9また彼らの傍らではエルサレムの半地区の区長フルの子レファヤが補強に当たり、10また彼らの傍らではハルマフの子エダヤが補強に当たったが、それは自分の家の前であった。その傍らではハシャブネヤの子ハトシュが補強に当たり、11ハリムの子マルキヤとパハト・モアブの子ハシュブは第二の部分を炉の塔も含めて補強した。12その傍らでは、エルサレムの他の半地区の区長ハロヘシュの子シャルムが、その娘たちと共に補強に当たった。

次のプロジェクトは西南側の工事です。13節と14節。ここに「糞の門」という門がありますが、エルサレムの住民の排泄物や廃棄物がそこから外へ出された、あまり人々が近寄らない所で、ある意味、きつい、汚い、危険な3Kの仕事を請け負っています。教会でもやはり大変な働き、あまりしたいと思わない仕事もありますが、それを一緒に担うのが教会であります。

13谷の門を補強したのはハヌン、それにザノアの住民である。彼らはそれを築き上げ、扉と金具とかんぬきを付けた。それに糞の門まで千アンマにわたって城壁を補強した。

14糞の門を補強したのはベト・ケレム地区の区長レカブの子マルキヤである。彼はそれを築き上げ、扉と金具とかんぬきを付けた。

次は東側の工事、15節から27節です。水は重要な資源で恵みです。シェラの池はシロアムの池と同じで、イエス様はそこで目の見えない人を癒されました。20節に「熱心に」補強したとあります。口語訳聖書では「力を尽くして」とあり、わたしたちも教会に戻されたら、そのように心から主に仕え、命の水を分かち合いたいです。ここでは神殿の使用人たちも働きます。

15泉の門を補強したのはミツパ地区の区長コル・ホゼの子シャルンである。彼はそれを築き上げ、屋根を付け、扉と金具とかんぬきを付けた。また王の庭園にあるシェラの池の壁を、ダビデの町から下ってくる階段まで補強した。16続いて、ベト・ツル半地区の区長アズブクの子ネヘムヤはダビデの墓地の前まで、次いで貯水池まで、更に兵舎まで補強した。17続いて、レビ人が補強に当たり、バニの子レフムの傍らではケイラ半地区の区長ハシャブヤが、自分の区域で補強に当たった。18続いて、彼らの兄弟が補強に当たり、ケイラの他の半地区の区長ヘナダドの子バワイ19の傍らでは、ミツパの長イエシュアの子エゼルが第二の部分を、城壁の角の武器庫の上り道の前で補強した。20続いて、ザバイの子バルクが第二の部分を城壁の角から大祭司エルヤシブの家の入り口まで熱心に補強した。21続いて、ハコツの孫でウリヤの子であるメレモトが第二の部分をエルヤシブの家の入り口からその家の端まで補強した。22続いて、盆地の男子である祭司たちが補強に当たり、23続いて、ビンヤミンとハシュブが自分の家の前を補強した。続いて、アナネヤの孫でマアセヤの子であるアザルヤが自分の家のそばを補強し、24続いて、ヘナダドの子ビヌイが第二の部分をアザルヤの家から城壁の角まで、および城壁の突端まで補強した。25ウザイの子パラルは、城壁の角の前と、上の王宮から出ていて警護の庭のそばにある塔を補強した。続いて、パルオシュの子ペダヤは、26オフェルには神殿の使用人が住んでいたのだが、東の水の門の前までその突き出た塔も含めて補強に当たり、27続いて、テコアの人々が第二の部分をその突き出た大きな塔の前からオフェルの城壁まで補強した。

最後は、北東側の城壁の工事で、28節から32節です。神殿に最も近い場所です。ここでも祭司たち、鋳物師、神殿の使用人、守衛、商人たちが働きますが、彼らは自分たちの家の前を補強したとあります。自分たちの生活に直結していますので、さらに工事に熱心になります。そのように配置したのもネヘミヤのオルガナイザーとしての素晴らしい手腕です。

28馬の門の上からは、祭司たちがそれぞれ自分の家の前を補強し、29続いて、イメルの子ツァドクが自分の家の前を補強した。続いて、東の門の守衛シェカンヤの子シェマヤが補強し、30続いて、シェレムヤの子ハナンヤとツァラフの六男ハヌンが第二の部分を補強した。続いて、ベレクヤの子メシュラムが自分の収納庫の前を補強し、31 続いて、鋳物師マルキヤがミフカドの門の前にある神殿の使用人と商人の家まで、また城壁の突端の階上まで補強した。32城壁の突端の階上から羊の門までの間は、鋳物師と商人が補強した。

さて、これまで忠実な人たちを見てきましたが、忠実でない人たちはどこに記されていたでしょうか。そうです、5節です。「しかし、その貴族たちは彼らの指導者たちの作業に服そうとしなかった」とあります。新改訳聖書では貴族を「すぐれた人」、口語訳では「貴人」、リビングバイブルでは「上流の人」と訳しています。池袋暴走事故を起こした旧通産省官僚なる人物が「上級国民」と呼ばれているのを知って、日本には今でも上級・中級・下級の国民がいるのかとかなり驚きましたが、神様に忠実でない人たち、それは謙遜でない人、傲慢な人、口先だけの人、傍観者と言えるでしょう。

しかし、教会を再建するためには、神様とイエス様を愛する謙遜な人、誠実な人、責任を担ってくれる人、一緒に仕えてくれる人たちが必要です。この箇所で素晴らしいのは、貴族たちを責め立てていないことです。神様に忠実な人は、人を責めたり、裁いたりすることに無駄な時間や力を注入せず、その部分は神様にお任せします。本当に忠実で、誠実で、正直で、愛と忍耐と寛容のある人、神様はそういう人を求めています。今、そういう人間ではないと感じても、イエス様を信じて従えば、大丈夫です。信じましょう。