愛されていることを初めて知った夜

「愛されていることを初めて知った夜」 クリスマスイブ礼拝 宣教 2019年12月24日

 ルカによる福音書2章8節〜20節        牧師 河野信一郎

メリークリスマス! クリスマス、おめでとうございます!

2019年のクリスマスの前夜、皆さんとこのようにイエス・キリストのお誕生をお祝いし、喜びの賛美と感謝の礼拝をおささげできる幸いを嬉しく思います。

さて、クリスマスは「喜び」の時です。クリスマスは何故おめでたいのか、皆さんはご存知でしょうか。救い主がお生まれになったから? そうですね。でも、もっと分かりやすく言うならば、どのような理由を挙げられるでしょうか。クリスマスがおめでたいのは、神様がわたしたちを愛してくださっているからです。神様は、あなたを心から愛しておられます。わたしたち一人一人を愛しておられます。みなさんは、ご自分が神様に愛されていることをご存知でしょうか。確かに、家族や親しい人たち、恋人たちに愛されていることは日々感じておられると思いますが、神様に愛されていると言うことを日々心で感じながら生活されているでしょうか。

この東京という大都会の中で、日々大勢の人々が渦巻く中で生活してはいますが、孤独や寂しさや虚しさを感じて生活されていないでしょうか。仕事の忙しさに忙殺されていないでしょうか。誰かに愛されていること、必要とされているということをあまり感じないで、日々、淡々となすべき課題をクリアしているだけではないでしょうか。一人ひっそりと生活されていないでしょうか。

今から約2000年前のお話ですが、ローマ皇帝によって人口調査・住民登録をしなさいという命令が初めて出され、パレスチナ・イスラエルの地域に住む人々も皆それぞれの生まれ故郷に戻って登録をする民族大移動がありました。ベツレヘムという町でも、旅人たちが宿泊先を確保することがとっても大変でした。来年のオリンピックとパラリンピックの時も、外国からの旅行客や日本各地から観戦に来られる方々は、都心で宿泊先を確保することはすでに非常に困難で、宿泊するのも高額な料金を請求されると聞いています。

さて人口調査のために大勢の人々が町々を行き交っている時、ベツレヘムの郊外で野宿しながら、夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちがいたとルカ福音書の2章8節に記されています。町は人々で溢れかえり、賑やかであったのに、町外れの広大な野原でひっそり静かに、誰にも知られない場所で、羊の群れの番をしている人たちがいたと言うのです。彼らは住民登録をすでに済ませたのでしょうか。多分、人口調査の対象にもならない、住民の一人としても数えられない人たちでなかったかと考えられます。

街ではクリスマスの夕食会やパーティーがあちらこちらで盛大に、そして賑やかにされているのに、誰にも気づかれないで、でも人々のために必要な仕事をコツコツとしている人たちがいるという事実と同じです。今この時も、わたしたちの生活を守り、わたしたちが支障のない生活をするために、わたしたちの知らない所で働いておられる方々がたくさんおられます。「お疲れ様です。ありがとうございます」と声をかけられることのない中、黙々と仕事をしておられるのではないかと思います。羊飼いたちも、誰かから声をかけてもらえるような場所にはいませんでしたし、お礼を言われるとか、自分たちの働きを認められるということも期待していなかったかもしれません。満天の星空の下、静かに羊の番をしている人たちがいました。

しかし突然、神様から遣わされた天使が羊飼いたちに近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れたと聖書に記されています。全くもって突然に、今まで見たこともない存在が現れ、自分たちに近づいてきます。また、今まで経験したこともない光が彼らと周りを煌々と照らします。彼らは腰を抜かすほど驚いたことでしょう。恐ろしさのあまり、気絶した人がいてもおかしくありません。そのような羊飼いたちに対してこのように言うのです。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである!」と。羊飼いたちは自分たちの目の前にいる存在が自分たちに何を言っているのか、最初は理解できなかったのではないかと思います。「民全体に与えられる大きな喜びを告げる?それならここじゃなくて、町に行ってやってください」とツッコミたくなったでしょうか。しかし、この天使の言葉、それは救い主がお生まれになったと言う「宣言」でありますが、この宣言の中で重要なのは他でもない「あなたがたのために、救い主がお生まれになった」と言う「あなたがたのために」と言う言葉です。「あなたがたのため」、それは羊飼いたち一人一人のためにと言うことであり、この礼拝堂にいるわたしたちも含められ、この日本、この世界中の人々も含まれる言葉です。全ての人が神様に愛されています。それは、みんな、神様に造られ、命が与えられ、生かされているからです。

さて、あなたがたのために救い主がお生まれになったと言う、信じられない、驚くべきことを告げられた羊飼いたちは、自分のために生まれたと言う救い主に会ってみたい、一目でもみてみたい、そして信じたいと言う思いが芽生え、その思いが徐々に大きく強くなってゆくことを感じます。そのような思いにさせられたのは、彼らにいくつかの「しるし」が与えられたからです。つまり、生まれたばかりの救い主を見つけ出す「手がかり」が与えられたからです。11節ですが、天使は「ダビデの町で」と言いました。つまりベツレヘムということです。また12節ですが、天使は「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」と言いました。これらが手がかりです。「飼い葉桶」イコール「家畜小屋・馬小屋」です。これがなければ、彼らは到底イエス様を見つけ出すことはできなかったでしょう。そして羊飼いたちにとって一番探しやすい、救い主を見つけやすい場所が「家畜小屋」であったのです。つまり、彼らに与えられた「しるし」も、「家畜小屋」と言う場所も、彼らに対する神様の愛と配慮がたくさん詰まっていたこと出会ったことが分かると思います。

天使と天使の大軍が賛美した後に去ってから、羊飼いたちは「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合い、励まし合って急いで出かけてゆきます。彼らは手分けして町中の家畜小屋を探したことでしょう。神様が素晴らしい手がかりをくださっていたので、彼らはマリヤとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てることができました。まだ赤ちゃんであるけれども、自分たちの救い主がお生まれになられた様子を見て、彼らは大きな喜びで満たされました。その喜びがこの幼子が救い主であると天使が彼らに話してくれたことが本当であったと町中の人々に知らせたと17節に記されています。18節では「聞いた者たちは皆、羊飼いたちの話を不思議に思った」とありますが、ここにいらっしゃる皆さんは聖書に記されているクリスマスの物語を不思議に思われるでしょうか。もし不思議に思われるならば、ぜひ続けて教会の礼拝や集会にお出かけください。ご自分で聖書を読み、神様の言葉を聞き、尋ね求めることが救い主を見出す方法で、見つけ出すことができる「しるし」や「手がかり」を神様は与えてくださいます。

20節に「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」と記されています。「見聞きしたことがすべて本当であった。真実であった」ということを彼らは体験するのです。羊飼いたちは身分の低い者として不当な扱いを受けていました。嘘を言われたり、邪険にされたり、人の良いように扱われたり、使いまわされたり、つまり日常的にパワハラ、モラハラなどを受けていたと考えられます。もしかしたら、皆さんの中にも、そのような方がおられるかもしれません。しかし、羊飼いたちに「真実」が語られたのです。「あなたがたのために救い主がお生まれになった」と。羊飼いたちは、救い主イエス様がお生まれになられたその夜、初めて、神様に愛されていることを知ったのです。

「今夜、あなたがたのために救い主がお生まれになった」と聖書はわたしたちに語ります。これは真実です。これが、わたしたちが神様に愛されている存在であることを証明している言葉です。どうぞ、神様の愛を信じ、イエス様を救い主として心にお迎えください。そうすると、神様があなたの心に豊かに、永遠に、絶え間なく愛を注ぎ、大いなる喜びと感謝な思いと平安と希望で満たしてくださいます。

メリークリスマス! 神様の愛、イエス様というプレゼントを受け取り、神様をあがめ、賛美しながら残りの人生を歩ませていただきましょう。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」