救い主に導く星

「救い主に導く星」    第一アドヴェント礼拝 宣教要旨 2013年12月1日

         マタイによる福音書2章1〜2、7〜10節  牧師 河野信一郎

 神は、救い主イエスをわたしたちにお与えくださいました。そしてこの救い主を通して「出会い」という素晴らしい贈り物を同時に与えてくださり、この「出会い」を通してわたしたちの人生をより豊かな時としてくださいます。人生には数えきれない程の「出会い」があります。一瞬のような「出会い」もあれば、一生涯続く「出会い」もあります。しかし、神がイエス・キリストを通して与えてくださる「出会い」とその後の豊かで親しい関係は、イエス・キリストを救い主と信じる信仰によって祝福され、この地上だけでなく、御国で永遠に続きます。

 ある人は、家族や友人に誘われて教会や集会に集い、そこで救い主に出会ったかもしれません。ある人はキリスト教主義の学校を通して、ある人は教会の看板、ホームページ、教会に掲げられた十字架を見て教会に来られて、イエス・キリストを救い主と信じたかもしれません。神は、人をキリストに導くために様々なものや出来事を用いられます。しかし、神は人々を救い主に導くためにわたしたちクリスチャンを用いたいと心から願っておられ、そのために用いられます。わたしたちは人々に救い主を紹介し、その人たちがキリストに出会う機会を与えてゆくために救われ、生かされています。それがわたしたちキリスト者の地上での使命なのです。

 東の国の博士たちが、ユダヤ人の王、わたしたちの救い主の誕生を知らせる星の存在にいつ気付いたのかは判りませんが、天空に輝く数えきれないほどの美しい星たちの中から、特別に輝く星を見つけた時、彼らはとても興奮したと思います。そしてその星の持つ意味を調べ上げ、ユダヤ人の王の誕生を示す星だと判った時、彼らはユダヤ人ではなかったけれども、大きな喜びに満たされ、そのお方を拝み、最高の捧げ物をプレゼントしたいと心から願いました。ユダヤ人、異邦人に関わらず、それ程までに救い主の誕生を待ちこがれていたのだと思います。

 博士たちは、西方に輝く星に導かれ救い主に出会う旅に出発します。その星が導く方向へ進んでゆけば、救い主に会うことができると確信していたと思います。この彼らに救い主の誕生を知らせ、救い主に正確に導いた星を造られたのは、神です。その星に太陽の光を豊かに注いで美しく輝かせ、豊かに用いられたのは、わたしたちを愛したもう神であられます。救い主を求める者に大きな喜びを与え、希望で満たすために神がその星をお用いになったのです。

 星の豊かな導きを受けた博士たちは、救い主に会えるという期待と喜びに満たされていましたから、エルサレムに到着するやいなやエルサレムの住民たちに「あなたがたの王としてお生まれになられた方はどこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、その方を拝みにきました」と尋ねます。しかしエルサレムの人々は救い主の誕生に気付きませんでした。

 神がわたしたちに委ねておられる働きというのは、博士たちを東からベツレヘムへと導いた星のように輝き、救い主の誕生とその意味を暗闇の中に生きる全地の人々に宣べ伝えることです。ですから、まずわたしたちに第一に大切なのは、この神の召しに服従するということです。神の召しへ従順に従ってゆく時、神の愛の力がわたしたちに豊かに注がれ、博士たちを救い主へ導いた星のように光り輝くことができます。9節に「彼らが東方で見た星が彼らより先に進んで幼子のいる所まで行き、その上にとどまった」とありますが、第二に大切なのは、この星のようにわたしたちが活発的に光り輝くことです。わたしたちが神の愛に生かされていることを喜び、キリストの誕生を人々に知らせるということです。「彼らはその星を見て大きな喜びに溢れた」と10節にあります。クリスマスは、神の愛に気付かされ、喜びに満たされる時です。