教会が生まれた日

「教会が生れた日」 宣教要旨 ペンテコステ礼拝               2015/05/24

聖書:使徒言行録2章1~13節、ルカによる福音書24章

本日はペンテコステ礼拝です。みなさんにはこの礼拝に赤いものを一つ付けてご出席くださいとお願いしました。Tシャツ、チーフ、ネクタイとご協力くださいました。教会では、リボンを用意して新来者のために備えました。これは、使徒言行録2章1-3節に「炎のような舌が分かれ分かれに現れて、一人一人の上にとどまった。」とあることを感じ取っていただこうとの思いからなのです。

今朝の礼拝では、「ルカによる福音書」と「使徒言行録」の、二か所のみ言葉に触れます。この二つの書は、ルカが書いたものです。ルカについては、コロサイ書4章14節で、「愛する医者ルカ」とパウロが親しみを込めて呼び、伝道旅行を共にした仲間の一人です(コロサイ4:14)。

今朝は「教会が生れた日」とされるペンテコステの礼拝です。この二つの書に、特別に書かれている出来事から、「主イエスは、何故わたしたちに教会をお与えになったのか」ということを、教えられたいと思います。

ルカ福音書の最後の章、24章は1節から一貫してイエス・キリストが復活した日、その一日のことだけが書かれています。十字架の死から甦った主イエスは次々と弟子たちを訪れています。この一日に、こんなことがあったのかと、喜びが湧いてくる箇所です。

使徒言行録に読み進みますと、不安な思いを抱いて集まっていた弟子たちに、復活の主イエスが40日にわたって訪れ、食卓を共にして下さり、御言葉を説いてくださるという暖かい経験を弟子たちはしました。実はここに、既に、教会のひとつの姿が現されているのではないでしょうか。

その後、復活の主は天に上げられました。主イエスが地上に居られなくなって、その後の10日間、信じて待つ者たち120人ほどが、一つの群れとなり、熱心に祈りつつ約束の聖霊を待っていました(1:15)。主イエスが復活して50日目のことでした。この日は昔から「ペンテコステ・50日祭」として祝ってきた日でもありました。

この日に、ある出来事が起きました。それは「聖霊に満たされる」という出来事でした。「聖霊に満たされる」ということは、これまで特定の人に、度々起きていました。しかしこの日は特別でした。「120人、そのすべての人、一人一人が聖霊に満たされる」との体験をしたのです。一人も漏れることはなかったのです。

「聖霊は一人一人上にとどまった」それが「ペンテコステ」の日の出来事でした。聖霊に満たされた人たちは、そこから何をしたのでしょうか。その頃、世界中で生まれたユダヤ人の一部がエルサレムに来て生活するようになっていました。120人の中にはそうした人々が多数混じっていました。彼らは「それぞれの出身の国の言葉で話しだした」のです。この時120人の人は何を話していたのでしょうか。ただのおしゃべりではなかったのです。「神の偉大な業を語っていた」と11節に書いてあります。「生まれたばかりの教会」が語り始めたのは、「神の偉大な業」についてでした。「神の偉大な業」とは「神が独り子イエスを地上のわたしたちに送って下さった」ことです。教会は「主イエスが、神の子、救い主である」ことをその日から証言していったのです。ここに主イエスが教会を与えられた本当の目的があります。それは今も、教会が委ねられている使命なのです。わたしたちは聖霊をいただいた一人一人です。『イエスさまは救い主だ』と、喜びをもって周りの人に語っていきましょう。その伝道の思いをもっともっと強くされ、大久保教会の五十年目を歩ませていただきましょう。