永遠の命を得ている恵み

「永遠の命を得ている恵み」 十一月第一主日礼拝 宣教要旨 2016年11月6日

ヨハネの手紙一 5章13〜21節       牧師 河野信一郎

4ヶ月かけて聴いてきました第一ヨハネの手紙の学びも、今回が最終回(14回目)です。

使徒ヨハネは、イエス・キリストの公生涯を記した福音書と教会に宛てた書簡を書き残してくれました。彼は、福音書を記した目的を20章31節でこのように記しています。「これらのことが書かれたのは、あなたがたがイエスは神の子メシアであると信じるためであり、また信じてイエスの名により命を受けるためである。」ヨハネは、救い主を必要とし、救い主を求めている人々のために福音書を記しました。

また、彼はキリスト教会に宛てた書簡を送りましたが、その目的を一文に要約すると「すべてのクリスチャンが、試練の中にあっても、キリスト・イエスにつながり続けるため」であると思います。何故ならば、ヨハネが手紙を書き送った書教会には、イエス・キリストの神性、人間性、そして福音を否定し、クリスチャンたちを惑わせ、混乱させ、教会の中に不和と亀裂を生じさせた偽預言者・教師たちが出現し、クリスチャンたちは平安と確信と希望を失いかけていたからです。救い主を見失いかけ、教会から離れてしまう兄弟姉妹たちが存在したので、この手紙はヨハネから兄弟姉妹たちへ愛と祈りをもって書き送られました。

この第一の手紙が記された目的は、手紙のいたるところに記されていて、その目的を読むだけでも、いかにヨハネが兄弟姉妹たちを強く深く愛していたのかが伝わってきます。そして、今日を生かされているクリスチャンには、神がキリストを通していかに強く深く愛してくださり、与えてくださった信仰を守り導こうとしておられるのかが伝わってきます。

今回は、手紙が記された目的を振り返りながら、手紙の最後の部分の御言葉に聞き、学びの締めくくりをしたいと思います。

まず、1章から読んでゆきますと、この手紙が書き送られた目的は、①イエス・キリストについて証しするため、②すべてのクリスチャンが神とキリストとの交わりを深めるため、③キリスト・イエスを通して神に愛されているという喜びで心が満たされるためということが判ります。すべてのクリスチャンは神との交わりに招かれている存在であるから、その交わりから離れてはならないと励まします。

しかし、そういう交わりからクリスチャンを阻み、引き離すのは「罪」であるから、その罪から離れなさい。神の子イエスはその罪から私たちを救い出すためにこの地上に来られたのだと2章の最初で伝えます。そしてこの救い主から目をそらさずに歩み、キリストが与えられた新しい掟「互いに愛し合う」ことに励んでゆこうと励ますのです。

他にも、「わたしがあなたがたに書いているのは」、④イエスの名によってすでにあなたがたの罪は赦されているから、⑤初めから存在するキリストをあなたがたは信じているから、⑥キリストによってあなたがたは悪い者に打ち勝っているから、⑦父なる神とその愛を知っているから、これらのことを伝え、励ますためにとヨハネは記します。(2章12〜14節)

この手紙には「知っている」という言葉が何度も記されていますが、この言葉は知識として知っているということではなく、「信じている」という意味です。

2章後半から3章前半では、偽預言者に惑わされて苦しむことがないように真理であるキリスト・イエスにとどまり続け、決して信仰を捨ててはいけないと励まし、この手紙を書き送るのは、⑧すでに神の子であることに確信をもって生きられるようにするためだと言っています。「信じている」というのは、「確信をもって生きる」ということにつながっています。

3章11〜24節では、⑨あなたがたは神に愛されている存在であるから、神に信頼し、神の愛に応えて生きる者となりなさいと励ましています。

4章1〜6節では、⑩永遠の命へと導く霊と人を惑わす霊の見分け方をあなたがたに教えるためだと言っています。

4章7〜21節では、⑪救い主イエスを通して神に愛されているのだから、憎しみ合うのではなく、互いに愛し合いなさいとの励ましがくり返されています。

5章1〜5節では、神に愛され、キリストによって罪赦されている者として、神と隣人を愛すること、キリストの言葉に服従すること、いかなる時も主を信じていく、神とキリストへの「愛と服従と信仰」が大切であり、キリストにつながっているものはこの世に勝利しているということを学びました。

イエス・キリストが神の子であり、救い主であることは「霊と水と血」が一致して証ししているとヨハネは5章6節から記しますが、霊は神の霊・聖霊であり、水はキリストの公生涯の始めであるバプテスマを指し、血は私たち罪人の身代わりとなって十字架に死んでくださったことを指しています。ヨハネが記した福音書を最初から最後まで読んでゆく中で、そのことが証しされていて、神がキリストを通して私たちに与えたかった救いとは何かがよく判ると思います。それは「永遠の命」、言葉を変えれば「神との永遠の交わり」です。

ヨハネは、この手紙を締めくくるにあたり、この手紙を書き送ったもう一つの目的を5章13節に記しています。「神の子の名を信じているあなたがたにこれらのことを書き送るのは、⑫あなたがたに永遠の命を得ていることを悟らせたいからです」と言っています。永遠の命を「得ている」ことを兄弟姉妹たちに悟らせ、確信を持って欲しいからでした。

ヨハネは、その福音書の中で、3章16節で「神は、その独り子をお与えなったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」という主イエスの言葉を記しています。

そして手紙では、「神の独り子イエス・キリストを信じているその信仰によって、あなたがたはすでに、恵みのうちに、永遠の命を得ているのだから、心配するな、疑うな、信じ続け、キリストにつながり続けなさい」と励ますのです。ですから、この宣言を信じて、クリスチャンは喜びと平安と希望をもって歩んでゆけば良いのです。それが神の御心です。

また、永遠の命を得たいと願う人は、イエス・キリストを救い主と信じ、神の愛を受け取り、キリストに従ってゆけば良いのです。それが神の御心なのです。

信仰、服従、そして愛に生きることがこの地上での歩みを豊かにしてくれる恵みであり、永遠の命に生かしてくれる恵みなのです。

ヨハネは14節と15節で神に祈ることの大切を語りますが、「祈る」というのは私たちの願いを一方的に神に伝えることではなく、神の御心と私たち一人一人の心を一つにさせることが目的です。どのように私たちが生きたいかではなく、私たちを造られ、命と愛をくださる神が私たちにどのように生きてほしいかを求め、聴いてゆくことです。もし神の御心と私たちの願いが一致すれば、神は祝福をもって願いに応えてくださいます。

では、私たちは何を祈るべきでしょうか。求めるべきでしょうか。ヨハネを通して神は、「隣人のために、教会の兄弟姉妹たちのために祈りなさい。そしてその人々が永遠の命を受けられるように祈りなさいと16節から17節で励ますのです。

「死に至らない罪を犯している兄弟姉妹を見たら、その人のために願いなさい。そうすれば、神はその人に命をお与えになります」と16節にあります。ここから、神の御心は罪に生きる人が悔い改めて神に立ち返ること、そしてその人に永遠の命を与えたいと願っているということが判ります。

しかし、「死に至らない罪」とはどういう意味でしょうか。それは故意にではなく、不注意によって犯した罪という意味で、この罪は悔い改め、罪を告白することによって赦されると1章9節に記されています。

私たちの祈るべきこととは、すべての人が自分の罪に気づき、悔い改めで神に立ち返るように祈ること、祈り続けることであり、祈ることが隣人を愛する第一歩であり、祈り合うことが互いに愛し合う第一歩であることをここから読み取る事ができます。

しかし、私たちの関心は16節後半の「死に至る罪」という言葉です。この「死に至る罪」とは、悔い改めないで、神の語りかけに耳を傾けないで、自分の力に頼って生きて行こうとする傲慢さです。しかし、そのような人の救いのためにも祈るように召されていることを覚え、祈りたいと思います。

日常生活で様々な誘惑や試練があり、信仰は揺さぶられますが、神さまは、そして真理であるキリストは揺さぶられることはありません。ですから、20節にあるように「私たちは知っています(信じています)。神の子イエス・キリストが私たちのもとに来て、真実なる神を信じる信仰を与えてくださいました。私たちは真実なる神の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です」という信仰に生き続けましょう。

神の慈しみと憐れみによって、永遠の命である主イエス・キリストから永遠の命が与えられています。その命を得ています。ですから、どのようなことがあっても、私たち一人一人がこの愛を手放さないように、互いのために祈り合い、支え合い、励まし合い、愛し合ってキリストのからだなる教会を建て上げ、キリストの福音を多くの方々に分かち合って伝えてゆきましょう。

つながろう つなげよう 主イエスさまに みんなが喜びで満たされるために(年間標語)