神が、あなたの輝きとなる

「神が、あなたの輝きとなる」 11月第三主日[子ども祝福式]礼拝 宣教要旨 2014/11/16

ピリピ人への手紙2章12-18節(口語訳聖書p.208)  副牧師 石垣茂夫

『あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている』(ピリピ2:15b口語訳)

大久保教会の子どもたちは、小学校卒業まで、毎年この日の祝福の対象となります。今朝の礼拝では、三人子どもたちが河野牧師から、祝福の祈りをしていただきました。

教会に子どもたちがいるだけで、周囲の大人たちは沢山の喜びと楽しみを与えられ、幸せな思いを味あわせてもらっています。大勢の大人に囲まれていても、子どもたちは“彼らの間で星のようにこの世に輝いている”のです。これからも、わたしたちが祈る度に、彼らの成長と守りを神に祈ってまいりましょう。

聖書には、信仰を「輝き」、「光」にたとえて表現することが多くみられます。2014年度聖句が選ばれたピリピ書の上記の言葉もその一つです。

マタイ5章14節「あなたがたは、世の光である」との言葉はその代表格のみ言葉です。しかし、わたしたち大人の現実はどうでしょうか。あなた方は「光である」「輝いている」と言われて、むしろ、そうはなれないと、戸惑いを覚えるものです。

礼拝の招詞で、イザヤ書60章19節を読んでいただきました。

「主があなたのとこしえの光となり、あなたの神があなたの輝きとなる。」(新共同訳)というみ言葉です。このみ言葉に接して、わたしは、はっとさせられたのです。戸惑いを覚えるのは、わたしたちは、自分が輝くことに捉われているからではないか。神に輝かせていただくことににまで、思いが至らないということにあるのではないかと思ったからなのです。

このみ言葉は、「主が光となり、神が輝きとなってくださる」と言っているのです。夜空に見る月は、輝いているように見えて、実は太陽の光を映していることを思い出しました。

そうです。月が太陽に向き合っているように、まずわたしたちが神に向き合っていなければ輝きません。わたしたちこそ、神に向き合い、心から真の光を求めようではありませんか。

最近新調した教会案内の板面には、集会の案内と共に次の主イエスの言葉が掲げられました。

ヨハネ8章12節 『わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、

やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう。』(新共同訳)

教会の看板に掲げたということは、教会に集うわたしたちが、このみ言葉に従う、その覚悟を持ったと、周囲に伝えることでもあります。これから訪れますクリスマスは、わたしたちの喜びを表すチャンスです。ご一緒に神さまの光である主イエスの命いただき、その喜びをお伝えする者とさせていただきましょう。