神のともし火は消えておらず

2016-08-21 宣教要旨「神のともし火は消えておらず」    副牧師 石垣茂夫

*招詞  ヨハネによる福音書1章14節(新約p163)

*聖書  サムエル記上31~18(旧約p432) 

3:1 少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった。・・・ 3:3 まだ神のともし火は消えておらず、・・・。

8月を、「平和月間」としてすごしています。プラハで「核兵器無き世界を目指そう」と演説し、ノーベル平和賞を受けたオバマ氏は、今年5月末、アメリカ大統領として初めて、広島を訪れました。原爆慰霊碑の前で、直接ご自分の言葉で、核兵器根絶と平和への思いを述べられたことは、わたしたちの記憶に新しいことです。任期の最後なっても、「核兵器無き世界を目指すため」の、目に見える活動は進んでいまません。むしろ、「ともし火は消えてしまうのではないか」と人々が悲観的になる事態になっています。そうした中でオバマ氏に『ヒロシマ』訪問を決断させた背景には、何があったのでしょうか。

みなさんは、「サミュエル・ピサール」というポーランド人、あるいは、ピサールの子供で、オバマ大統領・国務副長官の「アントニー・ブリンケン」という名をご存知ですか。最近のことですが、「この二人こそ、オバマ大統領の核兵器廃絶への思いを強く抱かせた人物だ」と伝える、新聞のコラムを読みました(朝日新聞・風)。

「ピサール」は当時、ソ連国境に近いポーランドの人口10万人の町に生まれました。1941年第二次世界大戦が激化し始めた頃、ヒトラーはソ連の支配下にあったこの町に侵攻してきました。この町の人口10万人のうち、実に6万人がユダヤ系住民で、彼もその一人でした。この6万人の人たちはみな捕えられ、強制収容所で次々と殺害されていったということです。若かったピサールは隙を見て脱出し、米軍戦車に助けられ、やがてハーバード大学に進み、ケネディー大統領補佐官となり、国際弁護人となって活躍しました。

その傍らで、ピサールは作曲家バーンスタインの親友でもありました。彼は、ユダヤ教会の鎮魂歌「カディッシュ」の朗読部分を担当して提供し続けており、自らの収容所での恐ろしい体験をもとに、バーンスタインに「鎮魂の言葉」を提供し続けていたということです。彼もユダヤ系ウクライナ人でした。

1981年、ブリンケンが十代の終わりのころ、ピサールは、家族で『ヒロシマ』を訪れ、自ら案内役をしました。ブリンケンは父と共に爆心地に立ち、資料館を見て原爆の威力の凄まじさと悲惨な事実を知りました。若きブリンケンが強く印象付けられたことは、『日本人は、この悲惨な経験をしても、未来を見据え、核兵器のない世界を目指そうと、決心していることだった』と語っています。その後、父ピサールも「カディッシュ」の朗読部分に『ヒロシマ・ナガサキ』を加えて、バーンスタインに渡したということです。ピサールは核兵器のすさまじい力に、自分が経験したユダヤ人大虐殺「ホロコースト」を見たのでした。「決して忘れてはならない!」(Never Forget!)ことの一つに『ヒロシマ・ナガサキ』を加えたのでした。

『ホロコースト』、『ヒロシマ,ナガサキ』。虐殺を逃れ、生き残ることを許された人が、力を振り絞って「核兵器のない世界」を伝えようとする、その言葉は真実だと思います。

こうした人の言葉に耳を傾けるとともに、その思いを受け継いでいかなくてはならないと思わされました。

ピサールは昨年パリで亡くなり、今年5月に追悼式がもたれました。オバマ氏は、その場にメッセージを送り、“鎮魂歌「カディッシュ」のメッセージを受け継がなくてはならないと”伝えました。それは今年5月の『ヒロシマ』訪問の直前であったということです。

国務副長官ブリンケンも、大統領の側近として、オバマ大統領の『ヒロシマ』訪問に影響をあたえたことは間違いないと思われます。オバマ氏の『ヒロシマ』訪問には、ピサールとブリンケン親子が大きく影響を与えたと感じました。

今朝はサムエル記3章を読んでいただきました。その1節にこうした言葉にこうあります。『そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった。』、

ここには、老齢で目が衰えてきたエリの下で、3歳で神殿に預けられ、12歳になったサムエルが黙々と仕えている、そのような情景が記されています。

聖書の記述から第一に考えられることは、神殿の祭儀・礼拝そのものが乱れ、神を汚すことになっていたということです。神殿と祭司エリの家の中に、そうした悲観的な思いに導かれる問題が多々起きていました。

この様な、希望の見えない中にも、この言葉記されています。『3:3 まだ神のともし火は消えておらず、』とあります。神殿に幼いサムエルがいて、サムエルが何も知らないで守っている「ともし火」、これこそが神がおられることを現わす“しるし”でした。

『まだ神のともし火は消えておらず』。 わたしたちが不信仰に陥り、神とわたしたちの間柄は、風前のともし火のようであっても、「ともし火はまだ消えておらず」とあります。

サムエルが自覚していなくても、サムエルの務めは“ともし火”を灯して、神と人々をつないでいたのです。

「サムエルよ。サムエルよ。」と、呼び掛ける声があり、突然天からの神の大いなる訪れがありました。この夜から、シロの神殿は何かが変わっていきました。長く沈黙していた神は、再び語り出したのです。

それでは、神の言葉は、現在のわたしたちにどのようにして伝えられるのでしょうか。

招詞にヨハネ福音書の言葉を選びました。

1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

神の言葉は、主イエス・キリストという、わたしたちの目に見える形で与えられました。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」とはそのことです。

幼いサムエルが神殿にいたことで、神殿は神の言葉が語られる場所に変わっていきました。今は、神の言葉であるイエス・キリストがわたしたちと共にいてくださいます。そのような恵みの時であることを感謝して受け入れましょう。「神のともし火を守る役目」を、神さまはわたしたちひとり一人に期待しておられます。