神のように完全になれるか

「神のように完全になれるか」 八月第一主日礼拝  宣教要旨  2014年8月3日

マタイによる福音書5章43〜48節      牧師 河野信一郎

 今回の聖書箇所をお読みになられて、どの節が心に留まりましたか。「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」という主イエスの言葉でしょうか。しかし、その言葉より重要なのは45節です。「こうしてあなたがたが天にいます父の子となるためである」と言葉の順序を変えましたが、これが神と主イエスの一番の関心ごとです。わたしたちが神の愛に気付き、その愛のうちに永遠に生きるために、主イエスはこの地上に来てくださいました。この神の愛は、悪い者にも良い者にも、正しい者にも正しくない者にも平等に恵みとして注がれています。神の願いは、キリスト・イエスを通して全ての人が悔い改めて神に立ち返り、神の子となることです。

 この箇所の中で心にグサッと来たのが48節の方もおられるかもしれません。「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」という主イエスの言葉です。「神が完全であられる」ということを疑わずに受け入れることができても、「あなたも完全になりなさい」と主イエスに言われて「ハイ」と素直に返答できるでしょうか。自分を省みる時、「自分には無理だなぁ」と感じるのがわたしたちですし、「どのようにしたら神のように完全になることができるのか」と思う人も多くおられると思うのですが、ここで主イエスは「完璧な者、完璧主義者になりなさい」とわたしたちに云っておられるのではありません。

 それでは主イエスがおっしゃる「完全」とはどういうことなのでしょうか? 新約聖書はギリシャ語で書かれていますが、ヘブル語にも訳されていて、この「完全」という言葉はヘブル語で「シャレム」という言葉に訳され、「あなたの神、主の前にあなたは全き(シャレム)者でなければならない」と申命記18章13節では用いられています。

 また、このシャレムという言葉は同じ申命記27章6節でも用いられています。「自然のままの石であなたの神、主のために祭壇を築きなさい」とそこに記されてありますが、シャレムという言葉は「自然のまま」という興味深い言葉で用いられています。そうであれば、「あなたの神が自然のまま、ありのままであられるように、あなたがたも自然のままで生きる者となりなさい」、「ありのままで生きなさい」とも読み替えることもできるでしょうか。

 確かに神から与えられる「そのまま」が「完全」なのでしょうし、わたしたちの努力で段々と完全な者になってゆくというものではなりません。わたしたちの努力ではどうすることもできない部分は、神が憐れみをもってどうにかしてくださる、働いてくださると信じます。

 しかし、わたしたちにも努力できる部分はあるのです。それは「ありのまま」の自分に立ち返ることです。何故なら、今のわたしたちが思っている「ありのまま」は神の御心にかなった状態ではなく、人の考えや手が加えられた「人工的なありのまま」であるからです。

 わたしたちに大きな影響を与え、わたしたちを形成しているものとは、「『隣人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところ」と主イエスが43節で云っておられること、つまり人から伝え聞いている伝統や風習、親や大人から聞かされている価値観や感情。言葉は悪いですが、他の人から植え付けられ、刷り込まれている価値観や感情です。わたしたちは、それらを家庭や学校や社会の中で日々吸収し、その中で人間形成がなされてきました。わたしたちは、そういう存在です。聞いたことや学んだことを検証しないで鵜呑みにしているわたしたちは、神の御心にかなった「ありのまま」では実はないのです。

 申命記27章5節に「鉄の器(のみなどの道具)で加工せずに自然のままの状態の石で神への祭壇を築け」と命じられています。「鉄の器=人の手、思想や観念」が加えられていない心の状態、神に造られたそのままの状態を聖書は「完全」と言うのです。しかし、わたしたちはそのように聞くと途方に暮れてしまいます。何故ならば、わたしたちには自分の過去をさかのぼることも、修正することも、どんなに逆立ちしても不可能だからです。わたしたちは、「もうジタバタしても遅い」と諦めて自暴自棄になってしまうのがオチです。

 しかし、天の神のように、わたしたちが「完全」に成り得る方法がただ一つだけあります。それは「あなたがたは今までたくさんのことを人や親や先祖から聞き、学び、守って来た。『しかし、わたしはあなたがたに言う』」という、この「わたしは言う」という神の御子イエス・キリストに聞くことです。主イエスを心から信じ、このお方の声と言葉に聴き従ってゆく道が、わたしたちに与えられている福音なのです。

 「あなたの敵とあなたを迫害する者を愛せよ」と命じられても「正直、無理です」とわたしたちは強く感じますが、それでも諦めずに主イエスを救い主と信じ、御前に悔い改め、へりくだり、すべてを主に委ね、ひたすらキリストの御名によって神に祈ってゆく時、不可能を可能にできる神が憐れみをもってわたしたちを「完全」へと導いてくださり、御国への招き入れてくださいます。それが主イエス・キリストを通して交わしてくださる神の約束なのです。

 さて、「敵を愛しなさい」と主イエス・キリストにわたしたちは命じられていますが、実際にあなたの敵とはいったい誰でしょうか? あなたの敵は、遥か彼方にいる人でしょうか? それとも、あなたの日常生活の中にいるある一部の人たちがあなたの敵でしょうか? しかしそうではなく、もしかしたら、あなたの最大の敵は、あなた自身であるかもしれません。わたしたちの敵とは、たくさんの弱さや醜い思いをもったわたしたち自身であるかもしれません。そう感じる時も多々あると思います。自分の弱さや至らなさを嫌い、自分自身を憎んでいる人もおられるかもしれません。

 しかし、この一つの真実をどうぞ覚えておいてください。あなたとわたしを造られた神は、神に敵対するわたしたち罪人をそのまま愛してくださいます。そしてわたしたちを「完全な者」にするために御子イエス・キリストをわたしたちのもとへ遣わしてくださり、この救い主イエスの血潮と命によってわたしたちを贖い、わたしたちの罪を帳消しにし、救ってくださいました。主イエス・キリストは、わたしたちを天国へと導くために、主の御前に完全な者として生きるために十字架の道を歩んでくださり、その命をささげてくださいました。この御子を神は甦らせてくださり、このインマヌエルなる主がわたしたちといつも共にいてくださいます。このお方の言葉とご聖霊がわたしたちを「完全な者」へと造り変えてくださるのです。

 神は、わたしたちをそのまま愛してくださっています。主イエスは、わたしたちのためにいつも執り成してくださっています。神の霊であるご聖霊は、わたしたちをきよめ、信仰を励まし、御国へと力強く導いてくださっています。ですから、いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝して神の御言である主イエス・キリストに聴き従ってゆきましょう。そのイエス・キリストという道こそが、神の子として完全にされてゆく唯一の道です。主イエスを信じて、主の御名を賛美しつつ、日々従って参りましょう。