神の天使はイエスを誰と云うか

「神の天使はイエスを誰と云うか」 十二月第二主日礼拝    宣教要旨 2017年12月10日

  マタイによる福音書1章18〜23節    牧師 河野信一郎

 「イエスは誰か」というテーマで宣教シリーズを続けています。今回の箇所は、神から遣われた天使がマリアのいいなずけであり、夫となるヨセフに生まれてくるイエスを誰と云っているかを聴きたいと思います。

 マリアから神の御子を宿したと聞かされた時、いいなずけのヨセフは戸惑ったでしょう。葛藤があったはずです。悩んで、迷って、苦しんで、「主よ、どうしてこのようなことをなさるのですか。なぜ私たちなのですか」と何度も、何度も、心の中で叫び、訴えたことでしょう。彼がそのように苦しんだ末に下した結論は、密かにマリアと縁を切るということでした。それは、マリアを愛するヨセフの優しさであり、配慮した対応であり、最善と思える策でしたが、主なる神にはもっと別な、特別な計画がありましたから、ヨセフの夢の中に天使を遣わし、マリアが身ごもっている子は誰の子であり、どのような使命をもって誕生するのかを伝えます。そして、マリアを妻に迎えて、マリアと共に生き、共に神の壮大な救いのご計画に仕える忠実な僕として歩んで欲しいとヨセフを召し、そして励ますのです。

 自分の思いや計画に狂いが生じたり、違う生き方をしなさいと召されるというか、導かれると私たちはうろたえます。心に恐れが生じます。恐れを抱かない方が驚きです。「本当に大丈夫なのだろうか」と大きな不安に駆られます。自分の実の子でない子どもを愛し、育てて行けるだろうか。自分にはそのような自信はない」と思ってかもしれません。けれども、そのように困惑しているヨセフに、マリアの胎の子は神の霊・聖霊によって宿った神の子であり、その子をヨセフとマリアに託すから、大切に育てて欲しいと天使は言うのです。しかし、ヨセフにはマリアが聖霊によって神の子を宿したと言うことは理解できなかったと思います。  

 御子イエスの誕生から2000年の月日が経過した今も、私たちはそれを理解することはできません。私たちの中に居るのは、信じる人と信じない人です。理解できなくても、信じるという道が備えられていて、その道へと招かれていることを感謝したいと思います。神の言葉を信じる以外に、前進する方法と力が与えられないこと、永遠の祝福への道を歩むことはできないのです。

 さて、「聖霊によって神の子を宿す」とは、どういうことでしょうか。それは、神が新しい創造を開始するということです。生まれ来る御子を通して、まったく新しい救いの業を始められ、新しい道を備えるということです。主なる神が主導権を持って、救いの御業を始められるということで、その最初が神の霊によってこの世界に御子を誕生させるということであったわけです。

 罪にある不完全な私たちが神の愛と憐れみ、救いの御業を理解できるはずがありません。ただ、神の愛と憐れみを恵みとして信じて受け入れるだけです。信じたら、私たちは平安が与えられ、希望が与えられるのです。

 天使は、マリアを通して神の御子が生まれるとヨセフに告げます。誕生した子に「イエス」と名付けなさいと命じます。ここに大切なことが2つあります。一つは、「主は救い」と言う意味の名前です。その名の通り、主イエスは神の民を罪から救い出すために、その使命をもって生まれ、生きられたということです。もう一つは、「名付ける」という行為です。これは、ヨセフが神の御心を受け入れ、神から託された御子をマリアと共に大切に育て、その子に仕えてゆくという決心と信仰の現れです。ヨセフの信仰が神のご計画と完全に一致した時に、アブラハムから始まるダビデの家系が永遠の祝福につなげられ、旧約の時代に約束されたことがイエスによって成就してゆくのです。その最初がマタイ1章23節に記されているイザヤ書7章14節の言葉の成就です。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」とあります。

 インマヌエルとは、「〜と共に」という意味の「イム」と「私たち」という意味の「ヌー」、そして「神」という意味の「エール」が結合した名です。ですから、神が私たちと共に生きてくださるためにイエスをこの世に生まれさせ、私たちを永遠に生かすために私たちの身代わりとなって十字架に架けられて死なれ、三日目に甦えられました。この救い主を信じて従って生きてゆくことは神のご計画であり、神の愛の表れであると言わざるを得ません。

 神から派遣された天使は、夢の中でヨセフに「この子は自分の民を罪から救う」と云いました。そのことも旧約の時代に神が預言者たちを通して約束されたことでした。イエスは、神から遣わされた救い主、メシアなのです。

 最後にイザヤ書61章1節を読みたいと思いますが、ここにもメシア、つまりイエスのことが預言されています。「主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた」と神の霊である御聖霊が約束されています。「主なる神はわたし(イエス)を、貧しい人々に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心をつつみ、捕われた人には自由を、つながれている人々には解放を告知させるために(遣わされた)」とあります。

 イエスはキリストとして、私たち一人一人を救い、真の自由を与えるためにこの世界に来てくださいました。私たちはこの救い主にどのように応答してゆくべきでしょうか。それを祈り求めながら残されたアドヴェントの期間を過ごし、クリスマスの備えを共にして参りましょう。