神を思う心

宣教「神を思う心」  大久保バプテスト教会副牧師石垣茂夫              2021/09/19

招詞:詩編119編1~3節(p958)

聖書(1):エゼキエル書1章1~3節(p1296)

聖書(2):詩編137編1~9節(p997)

はじめに

教会の、8月と9月の「聖書の学び」は旧約聖書エゼキエル書です。

ある書物にはエゼキエル書について、聖書の中で最も読まれない文書だと書かれていました。

また、別の書物には、「ユダヤ人は30歳を過ぎるまで、エゼキエル書を読まないようにしなさい」、そのように指導された時代があったと書かれていました。

しかし、わたしたちに聖書として残されたもので、必要のない言葉は一つもないはずです。

神はエゼキエルを通して、「わたしの言葉を聞け」と繰り返しておられます。

答えの得られない問題が山積する時代にありまして、わたしたちは一層、神の言葉を聞き、信頼し、委ねていく信仰に導かれていくことが求められています。与えられましたみ言葉は、お読みいただいたエゼキエル書1章の初めと、バビロン捕囚がテーマの詩編137編の御言葉です。この朝の御言葉から、今日こんにちのわたしたちに問いかける問題を見い出して導かれたいと願っています。

「バビロン捕囚と預言者」

旧約聖書には三人の大預言者と呼ばれる人物がいます。歴史上の順番であり、聖書の順番でもありますイザヤ(前740-680年)、エレミヤ(前627-586年)、そしてエゼキエル(前593-571年)の三人です(カッコ内は活動期間)。

二人目の預言者エレミヤの晩年に、新バビロニア帝国はそれまでの覇者アッシリアを打ち破ってユダ王国に迫り、紀元前597年エルサレムから多くの上層階級の人々を捕らえて、バビロニアに移住させました。これを「第一次バビロン捕囚」と呼びます。このときエルサレム神殿に仕えていたエゼキエルは、多くの神殿奉仕者の仲間と共に、バビロンに移住させられました。

この様子が列王記下24章と25章に書かれていますので、列王記下24章・10~14節(p622)をお読みしましょう。

【列王記下】

24:10そのころ、バビロンの王ネブカドネツァルの部将たちがエルサレムに攻め上って来て、この都を包囲した。

 24:11 部将たちが都を包囲しているところに、バビロンの王ネブカドネツァルも来た。

 24:12 ユダの王ヨヤキンは、母、家臣、高官、宦官らと共にバビロン王の前に出て行き、バビロンの王はその治世第八年に彼を捕らえた。

 24:13 主が告げられたとおり、バビロンの王は主の神殿の宝物と王宮の宝物をことごとく運び出し、イスラエルの王ソロモンが、主の聖所のために造った金の器をことごとく切り刻んだ。

 24:14 彼はエルサレムのすべての人々、すなわちすべての高官とすべての勇士一万人、それにすべての職人と鍛冶かじを捕囚として連れ去り、残されたのは、ただ国の民の中の貧しい者だけであった。

これが第一次バビロン捕囚です。エルサレムの祭司エゼキエルも、この時捕らえられ捕囚の民の一人となりました。この出来事の6年後に、新バビロニア帝国は徹底的にエルサレムを破壊して「第二次捕囚」を行いました。紀元前587年のことです。この時の様子は、続く列王記下25章で、城壁と神殿を徹底的に破壊し、王家を絶やすため王子たちをみな殺してしまう様子が記されています。24章と25章をぜひ読んでいただきたいと思います。

【地図】捕囚の民が、約50年をバビロンで過ごした後のことですが、広大な中東世界をペルシャ帝国が支配するようになりました。すると突然のように捕囚が解かれ、故国に戻ることも許されました。この地図は、その広さを表しています。東はインドから、西はトルコに至り、アラビアを支配しました。ペルシャの時代は、河野牧師が毎週の礼拝で扱っていますネヘミヤ記の舞台となっています。

聖書朗読でお読みいただきましたエゼキエル書1章1~3節は、25歳のエゼキエルが、バビロンに捕囚となってから5年後に彼の身に起きたことです。彼が預言者として立つようにとの召命を受けたときの記事です。

「エゼキエル書1章1-3節」を読んでみましょう

1:1第三十年の四月五日のことである。わたしはケバル川の河畔に住んでいた捕囚の人々の間にいたが、そのとき天が開かれ、わたしは神の顕現に接した。

 1:2 それは、ヨヤキン王が捕囚となって第五年の、その月の五日のことであった。

 1:3 カルデアの地ケバル川の河畔で、主の言葉が祭司ブジの子エゼキエルに臨み、また、主の御手が彼の上に臨んだ。

エルサレムの祭司エゼキエルは、ヨヤキン王と同じ時期に捕らえられ、バビロニアに移住させられました。住んでいる場所はケバル川の畔ほとりであったとあります。

聖書朗読ではもう一か所、詩編137編を読んでいただきました。この詩編は、イスラエルの人々が、バビロン捕囚の苦しみの中で「神を思って祈り、歌った言葉」です。

詩編に、その場所は、「バビロンの流れのほとり」とあります。エゼキエル書には「ケバル川の河畔で、」と、その川の名前がありました。ケバル川とは首都のバビロンの近くを流れる運河で、その畔ほとりは美しく、経済的に豊かな人々が好んで住んだ地域であったと、多くの書物や絵画から知ることが出来ます。

【絵画】この絵は、詩編137編1,2節をイメージした絵です。河の畔ほとりに川柳かわやなぎが植えられ、水と緑にあふれた美しい場所です。その樹には竪琴が掛けられています。【写真】もう一つの写真は、ある研究者が、この川がエゼキエルたちが生活していたケバル川ではないかと言っている風景です。殺伐さつばつとした場所で、絵画とは随分と印象が違います。どちらが正しいのでしょうか。

「詩編137編」を読んでみましょう

137:1バビロンの流れのほとりに座り/シオンを思って、わたしたちは泣いた。

137:2竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。

「シオン」とは、エルサレムを指しますが、広い意味では祖国イスラエルや、イスラエルの信仰を指して「シオン」と言います。捕囚の人々は、祖国と、主なる神を思いだして、悲しんでいたのです。

そして「竪琴たてごとは、ほとりの柳の木々に掛けた」(137:2)とあります。これは単に弾くのを止めたのではなく、もう歌わないと決めて、いつも大切に腕に抱えている竪琴を、捨ててしまったのです。

なぜなのか、それは3節以下の詩で詠っています。

137:3「わたしたちを捕囚にした民が/歌をうたえと言うから/わたしたちを嘲あざける民が、楽しもうとして/「歌って聞かせよ、シオンの歌を」と、そのように囃し立ててからかうからなのです。

「どうして歌うことができようか/主のための歌を、異教の地で」(137:4)と言って、竪琴を木に掛け、歌うことを拒否してしまったのです。

最初の捕囚民には、エルサレム神殿に仕えていた多くのレビ人が含まれていました。彼らは礼拝に仕える祭司であり、同じく楽器を扱い歌う楽師たちでした。従って、ケバル川の畔ほとりで歌っていたのは、神殿に仕えていた、奏楽者たちであったと考えられています。

これまでわたしは、バビロン捕囚のユダヤ人たちは、民族としてまとまって住むことを許され、首都バビロンに近い住み心地の良い場所が与えられ、捕虜と言っても、緩ゆるやかな生活の場が与えられていたと理解していました。しかし、調べているうちに、これはそのような生易しい生活ではなかったのではないかと思うようになりました。

これは当時の一般的な捕虜の生活ですが、捕慮となった人々は国境に近い辺境の地をあてがわれ、その地域の住民の中に紛れるように暮らすことを求められていたと考えられています。いざ外敵が攻め込んできたときには、真っ先に人間の盾たてとなって、外敵に身を晒さらすように仕組まれていたと思われます。

そのような生活の中であっても、5節6節には、祖国を思い、主なる神を思う彼らの心情が吐露されています。

137:5エルサレムよ/もしも、わたしがあなたを忘れるなら/わたしの右手はなえるがよい。

 137:6 わたしの舌は上顎うわあごにはり付くがよい/もしも、あなたを思わぬときがあるなら/もしも、エルサレムを/わたしの最大の喜びとしないなら。

危険な場所で怯おびえながら、しかも辱はずかしめを受けながらも「神を賛美し、神を思う心」を忘れないと誓っています。

もし神を忘れるようなことがあるなら、琴をかき鳴らす手が萎なえてもよい。あなたを思わぬことがあるなら、声が出なくなってもよいと、告白しています。

「結びの言葉」を読んでみましょう

次の7節から9節は結びの言葉です。

137:7主よ、覚えていてください/エドムの子らを/エルサレムのあの日を/彼らがこう言ったのを/「裸にせよ、裸にせよ、この都の基もといまで。」

137:8娘バビロンよ、破壊者よ/いかに幸いなことか/お前がわたしたちにした仕打ちを/お前に仕返す者

137:9 お前の幼子を捕えて岩にたたきつける者は。

ここで重要な言葉は、7節の初めで、「主よ、覚えていてください」と詠うたっていることです。

この「主よ、覚えていてください」との言葉は、意味が取りにくく複雑です。ここで「神よ、わたしたちに対するエドムの裏切りと、バビロンのひどい仕打ちを忘れないで下さい」と願っていることは確かです。

最も大事なことは、彼らの真意は、「復讐は、主よ、あなたがなさってください」言っていることなのです。

真意は、自分たちを苦しめた者たちへの報復を、神に委ねて願っているという事です。

7節のエドムという部族は、ユダとは従兄いとこの関係にあるのですが、バビロニア帝国がユダを攻めたときに、エドムは親族の関係を断って、バビロニアの連合軍に加わり、ユダを攻めたのです。

8節の「娘バビロンよ、破壊者よ」とは、直接の破壊者バビロニアのことです。ユダには、エドムとバビロンに対する憎しみが、溢れるほどにあるのです。それを忘れないでくださいと訴えています。

8節から9節に「いかに幸いなことか/お前がわたしたちにした仕打ちを/お前に仕返す者、137:9お前の幼子を捕えて岩にたたきつける者は。」との、憎しみに溢れた言葉があります。

この言葉は、聖書全体の中で最も衝撃的な言葉と言われます。あまりにもむごい言葉です。そのため、この「結びの言葉」は読まれることはなく、説教で取り上げることも少ないとのことです。しかし、この7-9節を外して読むならば、137編で詠うたってきた真の意味が消えてしまうと思い、敢えて今朝は取り上げました。

9節の「幼子」とは、クリスマスの時に、ヘロデ王が、ベツレヘム付近にいた二歳以下の男の子を一人残らず殺すようにと命じたのとは違います。この幼子とは、バビロンの国を継ぐことになる、ネブカドネツァル王の王子たちのことを言っています。ネブカドネツァルの王家を絶つ者が現れるなら、「なんと幸いなことだ」と願い、この言葉が発せられています。

それにしても冒頭に、「いかに幸いなことか」とあります。

いったい、罪のない幼子を殺すことによって、誰が「幸い」になるのでしょうか。説明のしにくい言葉です。

むごい仕打ちにはむごい仕打ちで報復するのが常ですが、終りの日には、このむごい仕打ちに裁きを与えることを、神よ、決して忘れないでくださいと祈っていることに注意を払いたいと思います。

パウロの言葉に「自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい」(ロマ12:19)とあります。この詩編も、「主よ覚えていてください」と、「神よあなたが裁いてください」と、最初に宣言しているのです。神が裁いてくださるなら、いかに幸いなことかと、神に委ねているのです。

「今日の問題として」

21年前、21世紀を迎えるにあたって、良い時代にしたいとの希望を持ってわたしたちは新しい時代を迎えました。しかし21世紀に入って一年後、アメリカで起きた民間機をハイジャックして攻撃するという、前代未聞の出来事「9・11」に出会い、望みを打ち砕かれてしまいました。そして復讐には復讐で応えることが繰り返され途切れることがありません。この問題は、わたしたちに重くのしかかっています。

【写真8】最近のことですが、神学校時代の友人が二枚のDVDを送ってくださいました。

その内容は、1981年9月、今から40年前のことになりますが、押田おしだ成人しげと(1922~2003)というカトリック神父が、日本で行った「世界宗教者会議」の収録の一部でした。

押田おしだ成人しげと神父は、他の宗教や宗教者を尊敬するという立場に立つ方です。これは日本人が広く持っている心情であると思います。この神父は、競って核武装する世界と、報復を繰り返して止めない状況を憂えて、世界各国の人々との交流を深めてきた方です。

【写真9】このままではいけない。宗教者として何か行動を起こしたいと、しきりに願う様になっていた押田神父は、日本のキリスト教、仏教、神道の人たち20人、そして、韓国・香港・インド・バングラデイシュ・アフリカ・アメリカ・フヨーロッパ諸国のキリスト教各派の人、イスラムの人、ヒンドウ―教徒など、様々な宗教の働き人20人に呼びかけて日本に招きました。招かれた人は、いわゆる著名な人は誰もいません。三人の日本人代表者が、それぞれのつながりから、これらの40名を選び、山梨県の修道院で農作業などをしながら一週間、生活を共にしました。その期間に「互いに対話し、平和への祈りを共にする」という集まりを開いたのです。

場所は山梨県に近い長野県高森という農村です。大変不便な場所で、粗末な施設でしたが、招かれた人たちはみな、即座に参加を決めて集まって来たという事です。

わたしに送られてきたのは、この集まりの一週間を「NHK宗教の時間」が取材したDVDでした。

参加者たちの言葉の違いもあって、会議と言うには十分なものではなかったのですが、報復に明け暮れる状況に終止符を打つには、心から平和を願う宗教者たちの祈りと活動が欠かせないとの思いを確認していました。だからと言って、何かが出来るわけではないのですが、「人々はみな、平和であることを求めている」、どんなに争いが激しく続いても、平和への思いは脈々と、地下水が流れているように人々の心の中を脈々と流れ、その流れは途絶えることは無いと、改めて、互いに確信したと言っていました。

今から40年前の集まりです。DVDを見て得たことは、平和を訴えるには「もう遅い」ということは無いのだということでした。

 

詩編137編の結びの言葉は、「主よ、覚えていてください」(7節)と言って始まりました。

祈っている者の心の内には、激しい憤いきどおりが占めているのは間違いないことですが、エドムとバビロンに仕返しするのは神であるとの思いです。「神よ、わたしたちを思い出してください。どのような苦難があろうとも屈することなく、信仰を持ち続けます。あなたが、裁いてください」と、報復は神に委ねるとの決断をしています。主イエスも、マタイによる福音書山上の説教でこのように言っておられます。

5::38 「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。

5:39 しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。

「左の頬をも向ける」これは、どれほど勇気のいることでしょうか。そのような場面でこそ、わたしたちは「左の頬をも向ける」勇気を与えられましょう。主イエスに導かれて、信仰をもって前に進むことが出来るなら、どれほど幸いなことでしょう。キリストと共に、和解の道、平和への道筋を歩ませていただきましょう。【祈り】