神を知る喜び

「神を知る喜び」  宣教要旨 [子どもメッセージから]      副牧師 石垣茂夫2017/10/15

招詞 マタイ4:15~17  聖書マタイ4:23~5:3

寒い朝でしたけれど、皆さん頑張って教会に来てくださいました。

今朝はスイスの牧師リュティーのことをお話します。

スイスにベルンという大きな町があります。その中心にミュンスター教会があり、お城のような大聖堂は観光名所にもなっています。その教会には3人の牧師がいて、リュティーはそのうちの一人でした。『リュティー牧師が説教をする礼拝には何千人もの人で、会堂はいっぱいになった。電車もバスも満員で道路は渋滞した。それほどだった』ということを聞きました。

40年以上前のことですが、わたしは、その牧師は、どんな説教をしていたのかと、知りたくなって、説教集が出版される度に本を買っていました。でも、とても難しく、5冊、6冊とたまっていくのですが、ほとんど読むことが出来ないでいました。そして最近になって出版されたものを含めて、もう一度本を開いた時、不思議と、今度は以前より少しは、よく分かるようになっていました。その中のある本に、リュティー牧師がどのように育てられたのか、ということが書いてありました。

リュティーは、6人兄弟の5番目に生まれましたが、彼が5歳のとき、チーズ職人であった父が亡くなってしまいました。母は一人で、掃除婦をしながら6人の子どもを育てたということです。子どもたちは、大きくなったリュティーのお兄さんたちは皆、仕事を求めてアメリカに移住してしまいました。でもリュティーにはそれができなかったのです。

なぜなら、“母は日曜日になると、小さなリュティーの手を引いて、1時間歩いて教会に通い続け、礼拝を休むことはなかった。小さなリュティーにとって、礼拝のお話は全く分からなかったが、それでも、母と礼拝を守り続けていった。そういう強い体験をしていたので、この母をスイスに置いていけなかった”とリュティーは言っています。

母はどんなに疲れていても、礼拝を休まなかったこと、自分は手を引かれて毎週礼拝に通ったこと、これが強くリュティーの心に残っていました。そのことは、いつしか、自分は神学校に行って牧師になろうという決心を与えてくれたということです。

そして、牧師になっても、この体験を大切にしたということです。

「自分の母のように、疲れていて辛くても頑張って礼拝に来ている人がいる。その人たちは今日もくるのだ」と、いつもそのことを思って準備し、礼拝に立ったそうです。

皆さんは、これからどのようにして、神さまのことを知るようになるでしょうか。

リュティーさんのように、お母さんに手を引かれて教会に通ったことが、神さまのことを知る大事なことになった人もいます。

一人ひとりは、きっと違う経験をすると思いますが、どんなことがあっても、毎日の生活を神さまと一緒に過ごして下さい。

Walter Lüthi ヴァルター・リュティー(1902~1982)   スイス・ベルン ミュンスター教会の牧師