私たちの負債を完済される救い主の誕生

「私たちの負債を完済される救い主の誕生」 クリスマス礼拝  宣教 2019年12月22日

 エフェソの信徒への手紙2章1節〜7節        牧師 河野信一郎

メリークリスマス!クリスマス、おめでとうございます!

2019年のクリスマス、イエスさまが救い主としてこの世に、わたしたちの心に来てくださったことをご一緒に喜び、感謝したいと心から願っていますが、もしかしたら、皆さんの中には、クリスマスが他人事のように感じて、あまり喜ぶ気になれないと云う方もおられるかもしれません。クリスマスは、もともと外国の宗教のお祭りで、楽しそうだから参加しているけれど、自分には関係なく感じると云う方もおられるかもしれませんし、そう云う方が日本には多くおられると思います。

しかし、聖書には、「あなたがたのために救い主がお生まれになった」と神様から遣わされた天使が宣言するところがあります。「あなたがたのために」と断言するのです。この「あなたがた」の中に、実はあなたも含められているのです。この礼拝堂にいるすべての人が、この日本中のすべての人が、全世界の人々が含められているのです。すごいと思いませんか。あなたのために、わたしのために、わたしたちのために救い主がお生まれになられたとの発表・宣言がなされているのです。ですから、わたしたちはイエスさまの誕生を喜ばないではいられないのです。

けれども、とっても冷静な人たちはこのように考えるでしょう。「わたしのために『救い主』が生まれた? えっ、どう言うこと? そもそもわたしには『救い主』が必要なのだろうか? また、『救い』と言うからには、いったい何からの救いがわたしには必要なのだろうか? わたしはそもそも『救い』を必要としているのだろうか?」と。そのように感じる人は、この日本に多いと思います。みなさんは、どのように思われるでしょうか。

クリスマスは、家族や仲間とパーティーをして、美味しいチキンやケーキを食べて、お酒を飲んで、プレゼントを交換したりして、ワイワイガヤガヤ楽しい時間を過ごしていれば、それでいいんじゃないの?と考える人が多くおられると思いますが、それはクリスマスの本当の意味を知らないからです。「そんなこと知りたくない」と云う方もおられると思いますが、聖書にはこのクリスマスの始まりの出来事とその意味が記されています。

新約聖書のマタイによる福音書の最初の2章とルカによる福音書の最初の2章に、最初のクリスマスの出来事がはっきりと記されていますが、このクリスマス物語の主役は、イエス・キリストです。そして今年のクリスマスの主役も、またこれからも永遠に変わらずにイエスさまですし、わたしたちが主役になることは決してありません。このクリスマスのシーズンは、救い主として神さまからこの地上に、わたしたちのもとに遣わされたイエス・キリストの御降誕を喜び祝う時であり、神様から贈られた掛け替えのないプレゼントに感謝をささげる時です。そして、このクリスマスに喜びと感謝を持って賛美と礼拝をささげることが、わたしたちに最もふさわしい応答です。

しかし、イエスさまを無視して、自分勝手にクリスマスを楽しんでしまっている人がなんと多いことでしょうか。その理由は、先ほども申しましたように、イエスさまがこの地上に来られた本当の目的、クリスマスの本当の意味を知らないで、外国から来たお祭りも自分たちの心を喜ばすために利用したり、お金儲けのために利用してしまえと云う強欲な人たちが多いからだと思います。

さて、少し話を変えたいと思いますが、先日、教会の用事で新宿駅の近くを歩くことがありましたが、クリスマスショッピングでしょうか、買い物客が街にあふれていました。たぶん、大切な家族や友達にあげるプレゼントを買っているのだと思いますが、最近はキャッシュレスということで、スマホをかざして支払いをする人が多くいることに驚きました。現金の時代はもう古くて、クレジットカード、デビットカード、プリペイドカードの時代から、電子マネー、QRコード決済の時代になったとのことですが、私は「すごいなぁ、そんなお金、私にはないなぁ」と思いながら眺めていましたが、まあ、クレジットカードで購入するのは借金をするのと同じことですね。

さて、少し変な話をしますが、私と妻は最近あるところから多額のお金を借りました。闇金融ではありませんので、どうぞご心配なく。まあ、どなたでも銀行などからお金を借りて家や車を購入したり、子どもを大学に行かせたりすると思いますが、確かに借金がないのが一番です。しかし、お金を借りないと支払えないものが確かにあります。皆さんにはどれだけの借金があるでしょうか。ここでいくら借金があると云う必要は全くありませんが、今抱えている借金に苦しんでいる人、これまで苦しんできたと云う人もおられるかもしれません。

さて、この日本という国も借金を抱えています。いくらかご存知でしょうか。今年の2月現在で1100兆円だそうです。もう12月ですから、6兆円ぐらい増えているかもしれません。毎年15兆円ほどの借金が増えていると聞き、驚きましたが、もっと驚いたのは、日本の総人口でこの1100兆円を割ると、国民一人当たり871万円の借金があるという計算になるそうです。871万円です。暗闇の中に突き落とされる感じがしないでしょうか。

今、皆さんの中に、「クリスマス礼拝のメッセージがどうしてお金の話になるのか」と不愉快な思いをされている方もおられるかもしれません。もしそうであるならば、心からお詫びいたします。けれども、今朝、皆さんにお伝えしたいことは、わたしたちには「罪」という借金のようなものがあり、その罪は借金のように自分で認識しているものもあれば、国の借金のように全く認識していないものもあるということです。わたしたちには自分の力ではどうすることもできない罪の問題、大きな債務があるということです。そしてわたしたちの罪は誰に対してのもので、債務は誰に対して支払う義務・責任があるのかということです。そして、それは神様に対してあるということです。

では、神様に対する負債・罪とは何なのでしょうか。それは、わたしたちを造られた神様を認めない、畏れない、従わないという罪です。言葉を変えていうならば、自分と人間の力だけを認め、自分の知恵に傲慢になり、勝手気ままに生きるということです。自分に都合の良い神々を作り、拝み、必要がなくなったら捨ててしまうような偶像を信じているという罪です。富や社会的地位や名声や栄誉を求めて生きる、つまり自分のことしか考えない生き方です。そのような生き方は永遠の「闇」へ突き進む生き方であり、その先は「死」しかありません。

しかし、わたしたちを創られ、生かしてくださっている神様は、わたしたちをいずれ死ぬ存在としてではなく、永遠に生きる存在として創ってくださいました。神様と共に光のうちに生きる存在として創ってくださいました。それこそが、神様が最初から持っておられたプラン、ご計画であり、御心です。わたしたちが死ぬのは、わたしたちが犯す「罪」ゆえですが、その罪を嫌い、わたしたちが死ぬことを悲しまれるのが、他でもない、神様です。この神様は、わたしたちを罪から救い出し、つまり闇の中から引き出して光のうちにわたしたちを置き、永遠の死から永遠の命へと移すために、救い主をこの世に遣わされました。それが神の御子イエス・キリストです。わたしたちを救うために、神が人となってこの地上に来てくださったという本当に信じられない奇跡を信じ、喜び、感謝することがクリスマスの本当の意味であり、目的です。

わたしたちの罪を帳消しにし、神様に対する債務をわたしたちに代わって支払うためには、贖いのささげ物が必要でしたが、その贖いのささげ物として罪なきイエス・キリストが十字架に付けられ、その罪なきお方の血潮によってわたしたちの罪の代償は支払われました。イエス・キリストは、わたしたちの罪を贖い、わたしたちを永遠に生かすために、その命をわたしたちのために捨てられ、神様にささげられました。わたしたちの罪を、債務をその命を持って完済してくださいました。イエスさまの命と引き換えに、わたしたちは永遠に生きる命がこの地上で約束され、この地上での生活が終わった時に与えられます。その神様の約束はダイヤモンドよりも硬いもので、神様の愛が土台となっています。

パウロ先生はエフェソの信徒への手紙の2章でこのように言っています。1節から3節まで読みましょう。「あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者(つまりサタン)、すなわち、不従順な者たち(つまり神を認めず、畏れない者たち)の内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人人と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。」ここで終わってしまえば、わたしたちには救いもなく、希望もありません。

しかし、次の4節から6節が重要です。「しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、〜あなたがたの救われたのは恵みによるのです〜キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。」 ここで大切なことは、神様が救い主イエス・キリストを通してわたしたちを愛してくださっていること。イエス・キリストによって救われ、恵みのうちにキリストと共に生かされているということ、そして将来のこともすでに与えられているかのように固く約束されているということです。

7節に「こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです」とありますが、これがクリスマスの出来事、わたしたちに救い主が与えられ、それによって神様の愛と慈しみ、憐れみを知ることができ、救いへの道が与えられたということです。神様ご自身が、主イエスさまを通して、わたしたちが神様に対して負って来た罪・債務を決済し、わたしたちにその愛を示してくださった。その救いの出来事がイエスさまの誕生から始まりました。わたしたちにできることは、今まで繰り返して来た間違いを悔い改め、神様の愛と救い主を信じ、喜び、感謝し、従ってゆくことです。このクリスマスがあなたにとって大きな喜びと平安と希望が与えられる時となりますように祈ります。