私の「内なる人」を日々新しくされる神

「私の『内なる人』を日々新しくされる神」 九月第四主日礼拝 宣教要旨 2017年9月24日

  コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章16節          牧師 河野信一郎

 人生というマラソンを走り抜くために心に留めておくべきことをシリーズで聴いていますが、今回は6つ目のポイントについて考えてゆきたいと思いますが、その土台となるのが第二コリント4章16節です。ここに、「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます」とあります。私たちが心に留めるべき6つ目のポイントは、私たちの「内なる人」を日々新しくされる必要があり、それを求めてゆくということです。

 この16節から、3つのことに注目し、生きる力と知恵を主なる神から受けたいと思います。

 まず注目したいのは、「だから、わたしたちは落胆しません」という使徒パウロの言葉です。4章1節でも「わたしたちは落胆しません」と言っています。「わたしたち」とありますが、これは使徒パウロとテモテたちということです。使徒パウロは、コリント教会の信徒たちを「あなたがた」と呼び、自分と一緒にキリストの福音を宣べ伝え、労苦を共にしてくれるテモテたちを含めて「わたしたち」と呼びます。

 そのパウロが、「落胆しません」と2度も繰り返しています。それは、裏を返せば、落胆してもおかしくない状況、状態に置かれたということだと思います。それでは、落胆してもおかしくない状況とはどのようなことでしょうか。いくつか考えられます。

 一つは、ユダヤ人指導者たち、熱心なユダヤ教徒たちから「裏切り者」と憎まれ、宣教を妨害され、デマカセを広められ、命を付け狙われていました。

 もう一つは、コリント教会の信徒たちに歓迎されていなかったということがあります。特に使徒パウロはコリント教会の信徒たちから誤解されたり、関係を持つことを拒絶される部分がありました。コリント教会は信仰的に未熟な部分や教会内に社会的差別や偏見があり、また不道徳な生活をする者がいましたので、その問題や課題を指摘し、注意してくるパウロがとても疎ましく、煙たい存在であったようです。ですから、教会内にも落胆する原因があったのです。

 もう一つ考えられるのは、異邦人・異教徒たちからの拒絶と攻撃です。4章1節から15節を読んでゆきますと、ところどころにヒントになる言葉があります。例えば、2節を見ると、人々の卑劣で隠れた行い、悪賢さ、言葉が曲げられたり、真理を隠されるということを経験したかもしれません。8節を見ると、「わたしたちは四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れて失望するようなこと、虐げられても見捨てられず、打ちのめされても滅ぼされない」とありますが、そのような状態に置かれたからそのように記したと考えられます。

 では、あなたは今どうでしょうか。人から拒絶されたり、誤解されたり、嫌われたり、憎まれたり、関係を遠ざけられた経験はないでしょうか。あるいは、今そのような状態に置かれていないでしょうか。人間関係で苦しみ、涙していないでしょうか。

 私たちの前に2つの選択肢があります。いま自分が置かれている状態・状況に落胆するか、しないか。あなたはどちらを選ぶでしょうか。それによって、あなたの人生は大きく変わってきます。

 使徒パウロたちは、どのようなことがあっても「落胆しない」ということを選びとってゆきました。それでは、どういう根拠でそのように選んだのでしょうか。2つあります。

 一つは、4節と5節に記されているイエス・キリストの福音です。救い主イエス・キリストが私たちの心の内に輝き、共にいて励ましてくれるという確信です。

 もう一つは、14節ですが、「主イエスを復活させた神がイエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています=信じています」ということです。救い主イエスと彼を蘇らせた力ある神が共にいてくださるから大丈夫だという確信を持っていたのです。この主イエスと神を信じる信仰へと招かれています。

 さて、第二に注目したい点は、「たとえわたしたちの『外なる人』が衰えて行くとしても」ということです。年を重ねてゆく中で、私たちは肉体の衰えを覚えます。病気になりやすくなり、今まで出来ていたことが出来なくなる。肉体に不自由さを覚え、人生に危機感を覚えます。しかし、ピンチはチャンスです。確かに衰えを覚えることは辛いですが、自分が神に造られた「土の器」であるということを再認識させられ、自分の弱さを受け止めてゆく中で、謙遜になるチャンスが与えられます。

 これが注目したい三つ目のポイントに繋がります。それは私たちの「内なる人」が神によって日々新しくされてゆくということです。三つ目の強調点は、「神によって」ということ。神が私たちを内側から新しくしてくださる、新しく変えてくださるということです。一気にではなく、徐々に、日々共に歩んでくださり、ゆっくりと変えてくださるのです。ですから、私たちは焦ったり、心配しなくても大丈夫なのです。主なる神が、イエス・キリストという御言と御霊をもって私たちを新しくし、残された人生を神と人のために生きる知恵と力を与えてくださいます。そのように神の愛と憐れみを信じて、感謝して、神から与えられている毎日を大切に生きてゆきましょう。神の祝福は、あなたの目の前にあります。