選ばれた者

宣教要旨「選ばれた者」      大久保教会副牧師 石垣茂夫  2016/07/17

*招詞 ペトロの手紙一2章9,10節(新約p430) *聖書 サムエル記上8章1~9節(旧約p438)

*応答賛美 新生94「われらは主の民」

人びとの意思が大きく反映できる時代は、ごく最近のように思っていましたが、聖書には3000年も前に、「人々が王を望み、王が与えられる」ということサムエル記上8章に書かれています。イスラエルの人々は「神の選びの民」として歩み、長い時代にわたってヤコブの子孫である十二部族の連合体でした。その時々に預言者、祭司、あるいは勇者が現れて、その時代を支えていきました。ところが彼らは次第に神さまの存在を煙たく思いはじめ、人間の王が欲しくなりました。王を持つとはどの様ことなのか、今日の問題としてサムエル記を読むことができます。

(8:1~3) そのサムエルが老齢になったとき、次世代のリ-ダーとして二人の息子を任命しました。しかし二人は神殿に仕えながら「不正な利益を求め、賄賂を取って裁きを曲げた」と記されています。(8:4~9)  困り果てた長老たちは、一致して、「この際、ほかの国々のように、裁きを行う王を立ててください」とサムエルに申し入れたのでした。「私達に王を与えよ」という、長老たちを通して示された人々の要求は、サムエルには悪と映ったので、神に祈って答えを求めました。サムエルの期待は、[人間の王は必要ない]との神の声であったと思います(8:6)。すると神は、意外にも、「民が求めるままにしなさい」と答えられたのでした。

(8:7~8) そして、「なぜ今、彼らが王を求めるようになったのか」、神は同時にその理由を、サムエルに示されました。「彼らは、私が王として君臨していることが嫌になってきた。彼らは最早、わたしを捨てたのだ。サムエルよ、あなたに責任は無い」と、神は言われました。

注目すべき言葉が、5節の終わりにあります。「ほかのすべての国々のようになりたい」という言葉があります。「ほかの国々」と訳されている言葉は「ゴジイム」です。このヘブライ語の意味は、「異邦人」です。神を抜きにして政策を定め、好んで戦争を仕掛け、他国の転覆を計る国を意味しています。そのような「ゴジイム」、「普通の国」になりたいと思い始めたのです。

「ゴジイム」。それは「戦争が出来る国」と言っても良い言葉です。最近わたしたちが、憲法論議の中で、よく耳のする言葉ではないでしょうか。

そこで神は「人間が王を持つとはこういうことだと、覚悟しなさい」と警告し、サムエルを通して民に伝えさせました(8:10~)。

『あなたたちの上に君臨する王の権能は次のとおりである。』

『王はあなたたちの息子を徴兵する権能を持つ(8:11)。徴兵された息子たちは兵士となり、軍需産業に就く。そして王は、強い戦力を持つ(8:12)。女性も徴用されて背後で戦争を支える(8:13)。農業も牧畜も戦争のためにある(8:14,15)。・・・』こう言われたのです。

しかし、神のこの言葉に、人びとは従おうとせず、「それでも、我々にはどうしてもほかの国のような王が必要だ」と言い張ったのです。「ゴジイム」になりたいと言い張ったのでした。

ルカによる福音書15章に、「放蕩息子」のたとえ話があります。「神さま!あなたはここまでで結構です。後は自分たちでやって行きます。」という人間の姿が描かれています。

弟息子に対する、「どうぞ、やりたいようにやってみなさい」という神さまの判断です。

選ばれた民であることを嫌った人々、聖なる国民、神の民と呼ばれることが嫌になった人々に向って、再び『あなたがたこそ、神の民なのだ』と、ペトロを通して神さまは言葉を投げかけています。神さまは、お選びになった者を見放すことはありません。