闇から光へと移ったという証拠

「闇から光へと移ったという証拠」 九月第一主日礼拝 宣教要旨 2016年9月4日

ヨハネの手紙一 3章11〜18節       牧師 河野信一郎

私たちは、救い主に出会い、悔い改めて従うまで、神に対して罪を犯し続け、「闇」のうちで様々な問題に苦闘し、本来の生きる目的・使命を知らないままに生きていましたが、神は私たちを憐れみ、救い主イエスによって暗闇から救い出し、「光」のうちに生きるようにしてくださいました。神がまず私たちを愛してくださったのです。全ての恵みはこの神の愛から始まります、この愛はすべての人に無条件に与えられており、ただ受け取ればよいのですが、その選択は私たちの自由意志に任せられています。そして、この神の愛・救い主イエスを信じ受け取る者は、神の子とされると聖書に記されています。クリスチャンは神の子であり、私たちはその一人です。また、全ての人が神の子となることを神は切に願っておられます。

ヨハネは、神の子を「闇から光へと移された人、光の中にいる者」と呼び、また「死から命へと移った者・移された者」と呼んでいますが、闇から光へと移された神の子とはいったい誰であり、光にいる人と闇にいる人をどのように見分けることができるのでしょうか。

まず目には見えない内面について3章9節に「神から生まれた人は皆、罪を犯しません。神の種がこの人の内にあるからです」とあります。ここに記されている「神の種」とは神のご性質であり、神の子に与えられる性質です。ペトロは神のご性質を「本性」と2ペテロ1章4節で呼んでいますが、ヨハネは神の愛と聖と義という性質がイエス・キリストを通してキリストに従うクリスチャンに植え付けられているので、罪を犯すことはできないと言って、私たち信仰の小さき者たちを励ましてくれます。

私たちは罪を犯す性質を持っていて、神のご性質は持ち得ていませんでしたが、イエス・キリストを救い主と信じる信仰によって、私たちの内に聖霊が宿ってくださって、内側から変えてくださり、神の子として神のご性質を持つ者と変えてくださり、罪を犯さないように聖霊がしてくださるということが記されています。このご聖霊がいつも共にいて、神の愛と主イエスの十字架の犠牲を思い起こさせ、罪を犯す心にブレーキをかけて神へと立ち返らせてくださるのです。私たちは本当に意志の弱い者ですので、ご聖霊の伴いとお護りとお導きがいつも必要なのです。

さて、次に目に見える側面についてですが、神と主イエスが私たちを愛してくださったように、私たちも隣人を愛し、教会の兄弟姉妹たちを愛してゆくことによって私たちが神の子であることが証明されると主イエスはおっしゃいます。主イエスは、十字架にかけられる前夜、弟子たち集めて次のようにお命じになられました。「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」と。このご命令が第一ヨハネ3章11節に記されている私たちが初めから聞いている主イエスの教えです。

ヨハネは次に兄弟を愛さない人の例と兄弟を愛する人の例を手紙に記します。この兄弟を愛した人はその兄弟のために自分の命をささげた人です。まず旧約聖書の創世記4章に記され、ユダヤ人であれば誰でも知っているカインとアベルのことを12節で紹介します。「カインのようになってはいけません。彼は悪い者に属して、兄弟を殺しました。なぜ殺したのか。自分の行いが悪く、兄弟アベルの行いが正しかったからです」とあります。では、「正しいこと」とは一体何で、「悪いこと」とは何でありましょうか。14節と15節に「わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。兄弟を愛しているからです。愛することのない者は、死にとどまったままです。兄弟を憎む者は皆、人殺しです。あなたがたの知っているとおり、すべて人殺しには永遠の命がとどまっていません」とあります。

つまり、神の目に正しいこととは、私たちが互いに愛し合うことで、神の目に悪いこととは、私たちが憎しみ合うことです。愛は命を与え、憎しみは命を奪うとあります。神の愛は私たちに永遠の命を与えてくださいますが、私たちが作り出す憎しみは、神が与えてくださる永遠の命を奪い去るとここに示されています。この神の愛を私たちに示してくださり、その命を与えてくださったのが、救い主イエス・キリストであるとヨハネは16節で言い表します。「イエスはわたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、私たちは神の愛を知りました」と言っています。この神の愛を受け取り、この愛に生きる者は自分をいとわないで兄弟姉妹たちを愛し、主イエスのように愛し通しなさいと励まされています。

私たちは、自分の感情だけでは人を愛することはできません。ですから、ご聖霊の励ましが必要なのです。私たちの弱さと必要をよくご存知な神は、聖霊を通して私たちが互いに愛し合える愛と力を与えてくださいます。

「世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て、同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょうか。子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合いましょう」とヨハネは私たちを叱咤激励し、神の御心を示しくれているのです。

ですから、もし心に負債がある人は、その負債や不安や悩みなど一切合切を主なる神にお委ねいたしましょう。神は必ず道を備えてくださり、祝福を用意してくださっています。

また、闇から光に移された者たち、死から救い出され、永遠の命を約束されている者たちは、主の御前に誠実に、憐れみの心を持ち、互いに愛し合い、祈り合い、協力し合い、仕え合うことをもって神の愛、主イエスの愛を証ししてゆきましょう。