闇を出て、光の方へ来なさい

「闇を出て、光の方へ来なさい」 クリスマス礼拝     宣教要旨 2016年12月25日

ヨハネによる福音書 3章16〜21節       牧師 河野信一郎

現代の日本社会において深刻な問題の一つとされていることに、自尊心が低くなっている人が増加しているということがあります。外部から自尊心を傷つけられ、自分に自信を持てない、人を信じられないという人もいます。また、自分自身や自分のしていることに価値を見出せないで、自分はダメだ、負け組だと思い込み、そういうレッテルを自分に貼ってしまっている人がいます。悪い連鎖が始まると、自分など人を愛する価値も、愛される資格もない、愛されるはずがないと心を閉ざし、心の中に閉じこもり、心のスイッチを切って暗闇の中に身を置いてしまうのです。とても心が痛みますし、悲しいことです。

しかし、クリスマスメッセージは、そのような暗闇の中に生きる私たちを照らす真の光が神から遣わされたという喜びです。だから「恐れるな!苦しむ!」という宣言です。

私たちには、それぞれ人には言えない闇の部分を一つか二つ持っています。不安や恐れがあっても親しいはずの親や友人に言わない。何故ならば、大切な人に心配をかけたくないから、重荷を負わせたくないからです。私たちの周りには秘密主義な人もいます。水臭い人もいます。プライバシーに関わるからでしょう。「迷惑をかけたくない」という人もいれば、「干渉されたくない」という人もいる訳です。しかし、どちらの人にも不安や恐れがあることには変わりはありません。闇の部分を持ち続け、苦闘することには変わりはないのです。

しかしながら、そのような私たちを神は愛してくださるのです。闇を持つ私たち、闇の方を好む私たちを神はそれでも愛してくださり、私たちを闇から救い出すために御子イエスをお遣わしくださったのです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」とヨハネによる福音書3章16節に記されています。宣言されています。

しかし、ここに記されている「世」とは一体全体なにを指しているのでしょうか。その「世」とは決して素晴らしい世ではありません。愛と喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制で満ちた世ではなく、不正と争い、嫉み、怒り、利己心、不和、妬み、泥酔、占い、わいせつ、偶像に満ちた世です。悪と罪に満ちた世です。

けれども、そのような世に生きているすべてを人を神は愛しておられ、私たちをそこから救い出すために独り子を救い主として与えてくださったということが福音宣言なのです。この良き知らせを聞いて信じる人が一人も滅びないで、永遠の生命を得るために御子イエスがこの世に遣わされたと聖書は宣べ伝えるのです。また、「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」と続けて記されています。

神の心はもうすでに定まっています。揺らぐ事はありません。つまり「わたしなど神に愛されるはずはない」と思い込んでいる私たちを何処までも、いつまでも愛し通されるのです。私たちが神に、神の愛に見向くことがなくても、無関心であっても、目を閉じても、耳を塞いでも、拒絶しても、それでも神はあなたを、そして私を愛してくださるのです。

神の愛を受ける資格のない人など、この世には存在しません。神の愛を受ける価値のない人など一人もいません。すべての人が神の愛の対象者なのです。

17節と18節に「裁き」という言葉が3回も記されています。16節には「滅び」という言葉もあります。クリスマスの日にこんな言葉を聞きたくないと誰もが思うはずです。本当は、主なる神ご自身がもっとも使いたくないのだと思います。でも、これも神からの愛のメッセージ、愛の警告だと思います。「目を開きなさい。手を耳から離しなさい。目の前にあるわたしからのプレゼントを受け取り、開けてみなさい。そしてわたしの愛を受け取りなさい」という招きの言葉ではないでしょうか。

皆さんは、自分を愛してくれている家族や大切に思ってくれている友人からの贈り物は何の疑いもなく、躊躇せず、心躍らせながら開けるでしょう。同じ様に、あなたを造り、あなたを生かし、あなたを愛しておられる神があなたの目の前に最高の贈り物を置いてくださいました。その贈り物とは、救い、平和、喜び、希望を与える神の愛、イエス・キリストです。

「滅びる」とか「裁かれる」というのは、角度を変えて言えば、神の愛を無駄にしてしまっている、だから苦しみ、失望の中に、闇のうちに生きるということです。

神から救い主というプレゼントがすべての人に届けられました。永遠の命、祝福というプレゼントです。このプレゼントを神はすべての人に受け取って喜びに満ちてほしいと願っておられますが、贈られた人の多くはその行いが悪いので、光よりも闇のほうを好んだと19節にあります。永遠の命よりも永遠の闇を好んだというのです。

20節には、「悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ない」とあります。ここから2つのことが示されます。一つは、私たちには光か闇を選ぶ自由があるということ。もう一つは、闇を好み、それを選ぶ人々は恐れや憎しみに支配され、いつも不安のうちに生きて行かなければならないということです。しかし、神はそのように私たちが生きることを望んでおられません。私たちがこの世の光、救い主に出会って、このお方を信じ、このお方に従って光のうちに生きることを選び取ることを願っておられます。主イエスの助けを受け、闇から出されて光のうちに歩むことを心から願って望んでおられます。

私たちは紛れもなく、神に愛されている存在です。そのことを心に刻みましょう。私たちはイエス・キリストを通して神に愛されているから、この世に存在し、恵みのうちに生かされてゆけるのです。メリークリスマス!! 主イエスの恵みと神の愛と聖霊の親しい交わりとが、あなたと共に豊かにありますようにお祈りします。