2014年8月賛美曲

2014年8月の大久保バプテスト教会の賛美曲 

 キリストのへいわ

今年も一年の中で特に平和を祈って過ごさずにはいられない8月となりました。

戦後69年が経ってもなお、多くの人の心から、この悲しみ、痛みは消えません。また日本の中でも特に沖縄はまだその苦しみが続いていますし、世界に目を向ければ、戦いによって今日も奪われている尊い命が今なおあります。どうして人は互いに愛し合って生きることが出来得ないのか、本来、神がお造りになったすべてのものを御覧になったとき、「見よ、それは極めてよかった」(創世記1:31) という世界が保てないのか・・・・・。

しかし「なぜ」という問いの中には有限の存在である人間には答えは見出せないと思います。絶対的な存在者であるわたしたちの父なる神にむかって祈ることからしか、わたしたちの心に「平和な心」は生まれないのではないでしょうか。

「天にましますわれらの父よ、願わくはみ名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。・・・・」という主の祈りに、すべてが含まれているように感じます。罪によって、神との関係性を失っていた人間が、イエス・キリストの十字架によって神と和解することが赦され、ふたたび「わたしたちの父よ」と神に向かって祈ることがゆるされるようになりました。

実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」 エフェソの信徒への手紙2:14-16

自己絶対化し、人を裁いてしまうわたしたちですが、神との和解、罪のゆるしをしっかりと受け、キリストが神様との間に実現して下さっている平和を、自分の関わりを持つ人々との間で、また様々な壁によって分断されているこの社会に実現していく者とされていきたいのです。そのために神を礼拝し、みことばによって整えられ、わたしたちの父なる神さまに、「キリストのへいわが わたしたちの心のすみずみにまで ゆきわたりますように」と祈りつつ、ともにこのひと月を過ごしていきましょう。

作詞・ 作曲  塩田泉

カトリックの神父であり、さいたま教区の教区司祭。司祭叙階後2年目にうつ病になる。多忙な働きの中で、体調に変調をきたし、精神科の病院めぐりをし、1年間は寝たきりで母親などに面倒をみてもらわねばならない日々を過ごされた。そのときの体験を砂漠の中にいるような孤独感を味わい、目に針を刺されているような、目の前に絶えず日本刀が置かれているようだったと話されている。今もその病気と付き合いながら、働きを続けておられ、たくさんの賛美歌もつくられている。