2018年3月賛美曲

2018年3月 大久保バプテスト教会の賛美曲

新生讃美歌479 深い罪になやむ時

現在、私たちは教会暦において、2月14日よりレント(受難節)の中を歩んでいます。3月の河野牧師の宣教は「十字架に架けられた主イエスを見上げる人々」にスポットライトを当てながら語ってくださるそうです。私たちは日々の歩みの中で、自分の抱えている重荷や問題にばかりに目を向けて、その私たちといつも共に歩んでくださり、共に痛み、苦しんでくださっている主に目を注ぐことを忘れてしまうことがあるように思います。そして、私たちの共なる主のみ手は、「十字架の釘さされし傷あとのある手」です。そのみ傷は、2000年前に人々の裏切り、あざけり、侮辱を受けながら、それでも「彼らをおゆるしください」と祈って十字架にかかってくださった証です。この十字架の主に目を注ぎつつ、歩んでいければという思いから、新生讃美歌479番「深い罪になやむ時」を選びました。

この賛美歌は、詞も曲も1924年B.B.マッキンニー氏により書かれました。

1924年、彼はサザンバプテスト神学校で教師をしており、テキサスで行われた「日曜学校研修会」に出席しました。その時の研修会の宣教テーマは「キリストを受け入れることができていない人々への熱い嘆願の祈りを持ちなさい」というもので、その宣教の最後の言葉が「あなたの手を釘の傷跡のあるみ手の中におきなさい」(”Place your hand in the nail-scarred hand”)というものでした。この言葉がマッキンニー氏の心を強くつかみ、持っていた封筒にその言葉をメモしました。そして、研修会終了後、自宅に帰ったマッキンニーは早速「釘さされし主のみ手」という内容のこの賛美歌の1節を書きました。そしてその日のうちに、この賛美歌を完成させました。

1節の直訳をしますと、「人生の嵐に翻弄されて思い通りにいかない時、あなたの手を釘の傷跡のあるみ手の中におきなさい。労苦により疲れ果てているなら、あなたの手を釘の傷跡のあるみ手の中におきなさい。主は(そのみ手をもって)あなたを人生の最期の時まで守ってくださるでしょう。あなたの手を釘の傷跡のあるみ手の中におきなさい」

原詞では”Place your hand in the nail-scarred hand”という言葉が、繰り返し何度も使われています。常に私たちの目を注ぐべきは、主の十字架であり、十字架にかかられたときに負われた「釘さされし主のみ手」の導きに信頼し、またその傷跡から溢れ流れる深い恵みと憐みを感謝してこのレントの時を過ごして参りたいと願います。

  • 作詞者&作曲者
  1. B. McKinney(1886-1952)ベイルス・ベンジャミン・マッキンニー

サザンバプテスト神学校卒業。その後もいくつかの学校で学び、オクラホマバプテスト大学で音楽博士を取得。10年以上の間、サザンバプテスト神学校で声楽、指揮、音楽理論を教えました。またいくつかの教会で音楽監督としても仕えました。1915年より教会で歌う会衆賛美歌を作るキャリアを積極的にスタートします。1935年より最初のバプテストサンデースクールボードの音楽部門の著者になり、1941年には最初の教会音楽部門の主事となり、教会音楽のさまざまな活動を推進しました。生涯で500曲以上の賛美歌を書き出版。そのうち、作詞、作曲ともに手掛けたものは185曲ほど。そのほかにも編曲者、讃美歌編集者としても多くの働きをしました。「ミスター サザンバプテストの教会音楽(Mr. Southern Baptist Church Music)」と呼ばれていた彼でしたが、1952年、不慮の自動車事故により66歳で亡くなりました。