霊の実・愛を結ぶ

「霊の実・愛を結ぶ 愛は敵のためにもある」10月第一主日礼拝 宣教 2020年10月4日

 ガラテヤの信徒への手紙 5章22節〜23節  ルカによる福音書 6章27節〜36節     牧師 河野信一郎

おはようございます。10月最初の主日の朝です。今朝も、この礼拝堂で、またインターネットを通して、皆さんとご一緒に礼拝をおささげできる幸いを神様に感謝いたします。

4月から始まりました2020年度も9月で前期が終わり、今月から後期に突入しました。今年は、新型コロナウイルス感染拡大を抑えるための緊急事態宣言などがあり、3月末から5月までの2ヶ月間、教会での礼拝を休止し、礼拝をライブ配信のみとしましたので、今年はイエス様のご復活を喜び祝うイースターとご聖霊が与えられた聖霊降臨日・ペンテコステをご一緒にお祝いすることができず、とても心が痛みました。ですので、今年のクリスマスは、祝会はできなくても、クリスマス礼拝とイブ礼拝を皆さんと一緒におささげしたいと切に願い、神様のお導きと助けを祈り求めています。皆さんもどうぞそのことを覚えてお祈りください。

さて、今朝は2020年度の後半に入る最初の主の日ですので、今年度の年間聖句を礼拝への招きの言葉として読んでいただきました。週報の表紙にも記されています。「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。わたしたちは、霊の導きに従って生きるなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう」というガラテヤの信徒への手紙5章22節から23節、25節のみ言葉です。

大久保教会では、5月から、このガラテヤの信徒への手紙を1章からずっと読み進めてまいりました。たくさんの気づき、励まし、慰めをこれまでに受けることができて感謝ですが、その中で何度か非常に難解な箇所があり、たとえば先週の宣教ではうまく言葉が見つからず、明瞭な説明ができなかったので、その日の午後はだいぶ落ち込んでいましたが、オンラインで朝の主日礼拝をささげておられる方からその晩にメールがあり、宣教のある部分で励まされましたという嬉しいフィードバックの言葉が届けられましたので、わたしの心はだいぶ軽くなり、さらに謙遜にさせられました。

今月と来月(10月と11月)は、「霊の実を結ぶ」というシリーズで、ガラテヤ書5章22節と23節に記されている9つの霊の実をテーマに宣教をさせていただきたいと思います。今朝は「霊の実・愛を結ぶ 愛は敵のためにもある」という主題で宣教を準備してまいりましたが、この9つの霊の実について共に学んでゆく中で、大切にしたいことがいくつかあります。

一つは、この霊の実について、イエス様は、使徒パウロは、他の使徒たちは何と語っているのかということを新約聖書からバランスよく聴いてゆきたいと思います。例えば、今朝は「愛」ということがテーマですが、使徒ヨハネは彼の第一の手紙4章10節から12節でこのように書き記しています。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちのうちで全うされているのです」ととても重要なことを書き残してくれています。愛は神様から始まるということです。

また使徒パウロは、コリントの信徒への第一の手紙13章で、神様が与えてくださる愛とはどのような愛なのかを説明しています。そして続く14章では、この「愛を追い求めなさい」と励ましています。先週聴きましたガラテヤ5章13節では、主イエス様を通して神様から受けた「自由を肉に罪を犯させる機会とはせずに、愛によって互いに仕え合いなさい」と励ましています。愛によって互いに仕え合うためにわたしたちは救われ、恵みのうちに生かされているということです。

さらに主イエス様は、ヨハネによる福音書13章34節と35節で、弟子たちに対して「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」と言われました。同じ福音書の15章12節でもイエス様は「互いに愛し合いなさい」と繰り返し弟子たちに御心を示しています。

このシリーズを進めてゆく中で大切にしたい二つ目ですが、この霊の実はイエス様につながっていなければ決して結ぶことのできないということを覚えることです。ヨハネ福音書15章やガラテヤ書5章で、イエス様も、パウロ先生も、この愛はイエス様につながっていないと結べない実であると明言しています。イエス様は「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたが何もできないからである」とおっしゃっています。イエス様ぬきに神様が求めておられる霊の実を結ぶことは絶対にできないのです。

聖書に記されている戒めの中で重要な戒めは4つありますが、最初の戒めは、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして主なる神を愛しなさい」であり、第二の戒めは「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」、第三の戒めは「互いに愛し合いなさい」とイエス様がお命じになったこと、第四の戒めは「全世界に出て行って神の愛、キリストの福音を宣べ伝えよ」というものです。最初の三つの戒めに用いられている「愛」というギリシャ語は、すべて「アガペー」という言葉です。この愛は、人間では作り出せない「愛」であって、神様から与えられなければ人は持ち得ない霊の実です。

わたしたち人間が持ち得るのは、「フィリア」という兄弟愛・友情、「エロス」という性的な愛、自然な感情を意味する「ストルゲー」の3つですが、神様とイエス様がわたしたちに求めておられる神様を愛し、隣人を愛し、互いに愛する愛というのは、無条件で、一方的に与える犠牲的な愛、見返りを求めない「アガペー」の愛です。この愛は、イエス様を通して神様から与えられる愛であり、ご聖霊によってわたしたちの心の中に与えられる愛、救い主イエス様につながっていないと神様と隣人、互いを愛せない愛なのです。

このシリーズを進めてゆく中で大切にしたいもう一つのこと、それはガラテヤ教会のクリスチャンたちが置かれていた現状を覚えつつ読み進めてゆくということです。このガラテヤの信徒への手紙を一緒に読み進めてこられた方々は十分理解されていると思いますが、この教会にはあることが原因で争い合いが起こり、その結果、分裂、分断がありました。そこには痛みや悲しみだけでなく、不信感や怒りがありました。

パウロ先生は、異邦人の人たちにストレートに「イエス・キリストを救い主と信じる信仰によってあなたがたは恵みのうちに義とされ、完全に救われる」と「信仰のみの福音」を宣べ伝えましたが、エルサレムから来たユダヤ主義的クリスチャンたちは「いやいや、イエス様を救い主と信じるだけでは不十分、割礼を受けてモーセの律法を守らなければ救いは完成しない、救われない」と「行いによる救い」を教え、教会内にグループが出来てしまいました。

パウロ先生が宣言する信仰のみという側につく人たちと、イエス様を信じつつもモーセの律法を守るということを強いる人たちにつく人たち、そしてどちらが正しいのか分からないと途方にくれてどちらにもつけない人たちがいたと思われます。そしてこの人たちをなんとか自分たちの側へ引き込もうと引っ張り合いが起こっていたと考えられ、その中で敵味方の関係性ができてしまい、せめぎ合いによって教会内に大きな分断、深い溝ができて、争いによって多くの人たちが傷つき苦しんだと思われます。パウロ先生は、この傷つき、苦しんでいる兄弟姉妹たちを愛していましたから、彼も大いに苦しみました。痛みました。そして愛と祈りの中で、ガラテヤ地方に生きるクリスチャンたちを慰め、励ますためにこの手紙は書き送られました。そのことを覚えながら霊の実について学んでゆく必要があると思います。

現代においては、新型コロナウイルスによって国や社会の中に、また教会の中にも分断が起こり、格差が広がっています。たくさんのものを失ってしまった人たち、失わなかった人たちがいます。咳をするだけで白い目でジロッと見られたり、品薄の時はマスクの奪い合いもありました。在宅ワークやオンライン会議・授業に対応できる人とできない人。新宿イコール感染源と思われる風評被害。教会ではすぐに帰って来れる方々もいれば、様々なご事情でどうしても戻って来れない方々もいます。こういう先の見えない苦しみの中ですが、さらに主を求め、主に信頼してゆく人もいれば、信仰を捨て、主と教会から離れてゆく人もいます。その間を彷徨っておられる人たちや救いを求めてもがいている人たちもいると思います。そういうすべての人々に神様の愛が必要です。神様の愛を必要としない人は存在しません。しかしながら、多くの人たちは自分の知恵と力と努力、頑張りようで困難を切り抜けようとし、その中で摩擦が起こり、競争が起こり、妬み合い、奪い合い、裁きあいが起こり、邪魔するものはすべて敵と思い込み、蹴散らし合いが起こります。

話を元に戻しますが、分断ができていたガラテヤの教会に霊の実である「愛」を結びなさいとパウロ先生は励まし、今日を生きるわたしたちをも励まします。そういうことを考えている中で示されたのは、ルカによる福音書6章27節に記録されている「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」というイエス様の言葉です。神様の愛は、わたしたちが愛する人たちを愛するためだけに与えられているのではなく、敵だと思うような人たちを愛するためにも与えられているとイエス様は教えてくれていて、今朝のルカ福音書6章27節から36節を読んでゆくと、イエス様ご自身がこの「敵を愛する」という愛を実践されたことが分かり、霊の実である愛を結ぶヒントが記されていると分かります。

主イエス・キリストを通して神様が与えてくださる愛は、敵と思える人を愛するための愛でもあります。32節に「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している」と言っておられます。33節も同じ内容です。では、敵を愛し、わたしたちを憎む人に親切にする方法は何であるのか。その答え、方法は神様にあるのです。ですから、神様にまず祈りなさいとイエス様は言います。「悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」と。神様に祈り求めるときに、愛する力がイエス様を通して、ご聖霊を通して祝福をもって豊かに与えられます。

29節から30節にこのようにあります。「あなたの頰を打つ者には、もう一方の頰をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、誰にでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない」と。ここまで読んで、イエス様のご受難、イエス様がわたしたちを罪と永遠の死から救うためにその命を十字架上で与えて死んでくださったことを思い浮かべないでしょうか。

イエス様は罪人であるわたしたちを愛して、その命を与えてくださり、その愛は今でも豊かに注がれています。その愛は何のために与えられているのか。それは神を愛し、敵を含めた隣人を愛し、教会内で互いに愛し合うために他なりません。敵を含めた隣人に神様の愛、イエス・キリストの愛を示すため、祝福を祈るため、主の平和があるように生きるために神様の愛はわたしたちに先に与えています。

35節から、「あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何もあてにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方、神は、恩を知らない者にも、悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」と主イエス様はわたしたちに言われます。主の期待に応えられるようにご聖霊が助けてくださいます。主を信じ、愛の満たしを祈りましょう。