キリストの恵みに生きる

「キリストの恵みに生きる」  5月第一主日礼拝   宣教 2020年5月3日

 ガヤテヤの信徒への手紙 1章6〜9節    牧師 河野信一郎

新型コロナウイルス撃退のために外出を自粛している期間の中ですが、今朝もインターネットを通して皆さんとご一緒に賛美と祈り、礼拝をおささげできる幸いを神様に感謝いたします。カレンダーを見ますと、わたしたちはゴールデンウィークの只中におりますが、多くの方々はまったくゴールデンな日々を過ごしているという感覚はないと思いますし、その反対に真っ黒いぶ厚い雲に覆われている感覚と言いましょうか、先の見えない深い霧の中を彷徨っているという感覚の中にある方が大半だと思います。あともう一ヶ月、それ以上の期間延長かもしれないと考える時、気持ちは滅入ると思います。皆さんもそれぞれ、大変な中に身を置いておられると思います。しかしながら、今日も主の憐れみと恵みのうちに生かされ、礼拝者として招かれていることを共に感謝したいと思います。

しかし、すべてのことに感謝できないと感じることも日々たくさんあります。教会の皆さんに覚えていつも祈っていただきたいのですが、カリフォルニア州の大学で学んでいる大久保教会の宣教師の息子さんCH兄が日本のご両親のもとに帰って来れず、今一人で寮生活をしています。日本は、アメリカをはじめ海外からの入国者を認めていません。ですから、彼も日本に帰ってきたいのですが、それができないでいます。宣教師ご夫妻だけでなく、わたしたち大久保教会にとっても大切な存在ですから、彼が守られるように、どうぞ覚えてお祈りください。

さて、祈りの要請の後は、昨日までのわたしの歩みの中で非常に嬉しかったこと、感動したことを分かち合いたいと思いますが、三つあります。

一つ目ですが、去る月曜日のことです。教会員の皆さんの中で、先週26日の夕礼拝のライブ配信、あるいはそのビデオをご覧になられた方はどれだけおられるでしょうか。わたしは、その前の週に経験した苦しく辛い出来事、そこから心に感じたことをメッセージの中でいくつか紹介したのですが、確かにイエス・キリストの福音はしっかりお伝えしましたが、正直、聴いておられる方々にとっては、少し重たい内容であったと思います。しかし、次の日にですね、その夕礼拝のライブ配信を見てくれたわたしの次女のお友だちが、「ダディー、元気出して頑張ってね」と娘を通して言ってくれました。全く予期していなかった言葉。とっても嬉しかったです。彼女が礼拝を共にささげてくれていると知っただけでも本当に感動しましたが、優しい言葉をかけてくれた。そして同様な優しい言葉をかけてくださった方がその週に3名もいてくださったので本当に励まされました。

メッセージの中で、お友だちのシオンさんというゴスペルシンガーの賛美を紹介しましたが、「感動で涙しました。紹介してくださってありがとうございます」というコメントが複数の方から寄せられ、大変嬉しく思いました。わたしは毎日、シオンさんの賛美をリピートして聴いていますが、御言葉と祈りと賛美には、本当に計り知れない大きな力があります。何故ならば、これらは神様に、主イエス様に直結してつながっているからです。シオンさんの「涙」という賛美は、韓国語で歌われていますが、この外出できない期間、わたしは彼女の賛美を韓国語でマスターして賛美できるように練習を始めました。そして練習している時にふと思いついたのです。教会の皆さんが教会に戻ってこられたら、みんなで大きなパーティーをしよう、そして家で過ごされた期間に行ったことや練習して体得したこと等を分かち合う、ある意味「隠し芸大会」的なものをしようと。そんな楽しいことを考えているだけで、わたしの心は喜びと感謝で満たされました。ですから、皆さん、一緒に頑張りましょう。特に教会の皆さんの出し物に期待しています。

さて、二つ目に感動したことは、昨日起こりました。ご本人の承諾を得ていますので下のお名前だけでお話ししますが、「ダイアモンドプリンセス」と聞いたら、これから話す内容がどういう内容かすぐに分かると思いますが、去る2月21日の早朝に、アメリカのコロラド州にある単立のバプテスト教会のアマンダという婦人から全く予期せぬメールが届きました。内容を簡単に申しますと、彼女の教会に出席されているご夫妻が今回の豪華客船の乗船者で、ご主人がコロナウイルスに感染して大久保教会の近くにある病院に収容され、いま治療を受けているが、医師からはあと36時間ぐらいの命であろうと言われていて、友だちの奥さんが恐れと不安の中にいるから、複数の人でその病院の近くまで行って、彼女が隔離されている病室の下でお祈りしてもらえないか、という依頼でした。しかし、神様の愛、不思議なお取り計らいです。大久保教会の会員で、感染症を専門とする若い優秀な医師がその病院で勤務されておられます。わたしは彼女にクリスチャンの医師がいることを伝えて、一緒に祈っているからと約束をしました。それからずっとメールのやり取りが始まりました。医師の兄弟も多忙な中、すぐにわたしのメールに返信をしてくださって、初めて知ったのですが、このご主人、ダンさんといいますが、彼の命がもっとも危険な状態にあった時、このクリスチャンの若い医師が夜通しずっと彼のベッドの横にいて、他の医師たちと一緒に治療に当たっていたということを聞いたのです。神様のなさることは本当にすごいと驚きました。

奥さんのキャロルさんは、その後大久保教会の礼拝に2回出席されましたが、2月21日の時点では「命はもってあと36時間」と医師団に考えられていたダンさんとその横に笑顔で寄り添うキャロルさん二人の写真が昨日の3時にキャロルさんから送られてきました。ウイルスから完全に解放され、しばらく前から歩行などのリハビリを毎日続け、なんと今週8日に退院し、来週11日にはアメリカへ帰国されるというニュースが寄せられました。

教会の皆さんにも2月23日の週からずっと祈っていただきました。わたしも医療センターの方向へ手を掲げて何度も繰り返し祈ってきましたが、最初のメールがあったその日から祈り始めて実に72日目に、神様が成してくださった奇跡のニュースが届けられました。ダンさんは、ちゃんとご自分の足で立っています。わたしは、本当に感動しました。感動の涙が溢れてきました。神様は、わたしたちの祈りを確かに聞いてくださったのです。主はわたしたちに憐れみを示し、大いなる力を持って生きておられるお方であることを再確認させてくださいました。教会の皆さんをはじめたくさんの宣教師の方々にも祈っていただきました。心から感謝いたします。今回の良い知らせを通して落ち込んでいた心は大いに感動し、大いに勇気づけられました。神様と主イエス様に感謝です。

さて、三つ目の感謝なことは今朝の宣教とリンクしていますから、もうしばらく辛抱して聴いていただきたいのですが、まだ実際に彼に会ったことはないのですが、わたしにはフェイスブックを通して友達になった大阪で活動していますスティーブン・クンケルという若い宣教師がいます。彼の生い立ちは非常に興味深いものです。彼は宣教師の息子で、ご両親は南米のパラグアイ、ウルグアイ、そして現在はチリで約30年間働いています。彼は自閉症を持っていますが、現在4ヶ国語を自由に話せて、あと7カ国語にも興味がある、非常に勉強熱心で、イエス様を伝えたいという使命感を強く持った若者で、わたしが卒業したアメリカの神学校で現在オンラインで学んでいる、つまりわたしの後輩なのです。

この彼がこの2週間ばかり前からキャルビン・パーカー先生という日本で働かれた宣教師が書き記された日本での宣教師の歴史の本を読んで、熱心に研究していました。日本で働く宣教師たちは彼から日本での宣教の歴史を学んだら良いと思うのですが、その彼に「1950年頃にアメリカから来日した宣教師たちは何日ぐらいをかけて船に揺られて日本に来られたのか教えて欲しい」とお願いしましたが、その投稿を読んだ福岡で働く別の宣教師が1891年、また1906年頃の宣教師たちの来日に要した日数を教えてくださって、サンフランシスコからホノルル経由で横浜までが約17日間、さらにそこから神戸を経由して長崎に入る場合はプラス1週間、約23日をかけて来日されたことを教えていただきました。現代では、どんなに距離があっても、乗り換えがあっても、飛行機で十数時間、数日で地球の裏の目的地へ行くことができますが、昔の宣教師たちは本当に苦労して、多くの日数を船の上で過ごし、福音を携えてこの日本に来てくださったということを忘れてはならないと思うのです。しかし、何日も船に揺れても我慢できるキリストの福音がありました。キリストを日本に伝えるという主から託された目的、そして希望が彼らにはありましたし、今も宣教師たちにはあるわけです。

わたしたち大久保教会では、ガラテヤの信徒への手紙を1章から6章までシリーズで聴いてゆく、約7ヶ月間の信仰の旅が先週から始まりました。「主の導きに従って前進しよう〜霊の実を結ぶ教会〜」という標語を掲げて、共に歩んでゆきたいという強い思い・願いがありましたが、新年度に入る前から、コロナウイルス感染拡大防止のために共に教会に集えない時期を過ごしています。この世界的な混乱の中、私たちの信仰が日々問われ、試されると思いますが、こういう非常事態の時だからこそ、主なる神様に信頼し、ひたすら静まって、聖書に記されている神様と主イエス様の平安と希望の福音、言葉に聴いて行くことがわたしたち一人一人に求められているのだと思います。いま生かされているわたしたちにも、神様から生かされている理由、人生の目的と使命、祝福と希望が与えられています。この不自由と思える日々から解放された時、わたしたちは何をなすべきなのか。それを一緒に祈り、御言葉を読み、共にフォーカスして行く時が今ではないかと感じます。

先週は、霊の実を結ぶために求められていることとして、イエス・キリストを救い主と信じて、この主にしっかりつながれて行くことの必要性と、この主につながるために何がわたしたちに必要であるのかをヨハネ福音書15章とガラテヤの信徒への手紙1章1節から5節から聴きました。そして、今朝は1章6節から9節に聴きますが、ここには、なぜパウロ先生はこの手紙をガラテヤ地方に生かされているクリスチャンたちに書き送ったのか、また書き送る必要があったのかという理由が記されています。

その理由は6節です。ご覧ください。「キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています」とあります。これが現代のトルコ共和国の内陸部にあったガラテヤ地方の諸教会のクリスチャンへパウロ先生が手紙を書き送った最大の理由です。イエス様を救い主と信じて、せっかく恵みにつながって、これからだというのに、どうしてこんなにも早くイエス様から、恵みから離れ、自分の努力や知恵に頼って生きて行こうとするのですか、なぜ神様との関係を自分たちの方から断ち切ろうとするのですか、まったく理解できない、信じられないとパウロ先生は問いかけ、訴えるのです。

パウロ先生は、3回にわたる伝道旅行の度に、徒歩でこの地方に入り、人々と共に生活をし、祈りつつ、愛と忍耐を持って神様の愛、イエス様の福音を解き明かしました。その間、たくさんの犠牲を払いました。しかし、それをもいとわないで、イエス様が救い主であること、信じて従うこと、神の憐れみによって救われるという福音を伝えました。その福音を多くの人々は受け取り、喜んだのです。しかし、教会が生み出され、クリスチャンとして育まれ、神様が喜ばれる霊の実をこれからたくさん結ぶかと思いきや、ほかの福音に乗り換えよう、自分の力で生きていこうとしている彼ら彼女らのことを聞いて、呆れ果ててしまったパウロ先生がここにいます。

7節をご覧ください。「ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているに過ぎないのです」と言っています。言葉巧みな人々に簡単に惑わされ、キリストの福音だけでは救われない、あなたがたはユダヤ教の律法を守らなければ救われないと言われて、不安と恐れを抱いてしまい、その結果イエス様から離れて行くことになっている姿を伝え聞いて、本当にやるせ無い思いと言いましょうか、なんとも歯がゆいというか、虚しいというか、悲しい思いをパウロ先生は抱いていたと思われます。何故ならば、キリスト・イエスから離れては、わたしたちには救いもなく、希望がないからです。No Jesus, No Life. No Savior, No Hope.

イエス様を救い主と信じ、イエス様を愛していると告白し、あんなにも神様の愛に感動し、あんなにも主の憐れみに感謝し、あんなにもイエス様から受ける恵みを喜び、感動の涙を流していたのに、あなたたちのあの告白は、あの涙、あの感動、純粋な信仰はいったいどこへ行ってしまったのかと涙ながらに手紙を書き送るパウロ先生がいるとわたしはそう感じます。

8節から9節は、パウロ先生の嘆きと気性がよく表されています。「しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。わたしたちが前にも言っておいたように、今また、わたしは繰り返していいます。あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい。」 

皆さんの中に、「えっ、クリスチャンが人を呪っても良いの?」と思われる方がおられるかもしれませんが、もし誰かがあなたから掛け替えのないものを奪おうとしたら、その人を呪い倒すかのように憎まないでしょうか。拒絶しないでしょうか。命の源からあなたを切り離そうとして、いま手に斧を持っている人を喜ぶことができるでしょうか。今は、殉教の話をしているのではありません。自分の意思で、自分から離れてしまう道を選ぼうとしている信徒たちと、彼らを惑わす人々に対してパウロ先生は言っているわけです。

でも、まだ遅くない、主イエス様を通して神様から与えられたあなたの信仰はまだ死んでいない、まだイエス様につながっている、まだ大丈夫、まだ希望がある時、どうしてもあなたに信仰的にも死んでほしくないと思う時、わたしたちを愛する思いから、そういう厳しい言葉がパウロ先生の心から出たのです。パウロ先生は、キリストの福音をねじ曲げ、愛する人たちを惑わす人々を許すことはできなかったのです。

福音をねじ曲げるとは、どういうことですか。それは、わたしたちに対する神様の真実な愛を、キリストの十字架の尊い犠牲を、わたしたちに救いと平安と希望を与える復活の力を否定し、キリストの恵みを台無しにすることです。

わたしたちは、神様に愛され、イエス様によって救われています。信じて、つながっているだけで、神様が祝福して、み霊の実を結び、その実によってわたしたちは互いを祝福しあい、真の平和、恵みのうちに生かされ続けるのです。わたしたちを惑わすものから離れましょう。いつもわたしたちの近くに共にいて優しく言葉をかけてくださるイエス様に心をよせ、従い続けましょう。神様は、イエス様は、今日もわたしたちを愛しておられます。愛と恵みのうちに生かされましょう。