キリスト者として生きる

「キリスト者として生きる」 七月第五主日礼拝 宣教 2022年7月31日

 フィリピの信徒への手紙 2章12〜16節     牧師 河野信一郎

おはようございます。今朝もオンラインでこの礼拝に出席されている皆さんと礼拝堂に集っておられる皆さんとご一緒に賛美と礼拝をおささげできること、主に心から感謝です。

先週、誠に残念ながら、日本はコロナウイルス新規感染者数で世界一になりました。嬉しくない世界一です。身近にも感染者が増えて苦しんでいます。健康を回復することを祈っています。政府から行動規制が出ないまま、夏休みに入ります。自分で行動を制限できる人もたくさんおられますが、配慮に欠ける人もおられると思います。神様の愛と憐れみが日本全土を覆ってくださいますようにと祈る者です。どうぞご一緒にお祈りください。

さて、今朝は宣教に入る前にアナウンスが三つあります。一つ目は、だいぶ前にも告知しましたが、来たる8月7日の主日から旧約聖書のヨナ書に聴く新シリーズが始まります。12回を予定しており、11月末まで続きます。ウクライナでの戦争、世界中の混乱、日本社会が抱える深刻な諸問題に対し、怒りや不満を抱く中で、神様の御心は何であるのか、怒りや不平不満を抱くわたしたちのその思いは、果たして正しいのかということを聴いてゆきます。

二つ目です。時を同じくして、夕礼拝で私がメッセージする時ですが、8月からヨハネの手紙に聴くシリーズを始めます。第一の手紙から第三の手紙までを聴きます。ヤコブの手紙シリーズが今月終わりましたが、夕礼拝のメッセージは月一度のペースですので、だいぶ時間がかかると思いますが、少しずつ聴いてゆきます。第四主日の夕礼拝ではべ宣教師がサムエル記上からメッセージしてくださっていますが、夕礼拝がさらに祝福されるために、礼拝出席者が増し加えられてゆくこともそうですが、新たな奉仕者が起こされるようお祈りください。

三つ目です。水曜日の祈祷会では、4月からルカによる福音書を1章から聴いています。新しい発見や恵みを毎回受けて祝されているのですが、祈祷会の出席者だけでこの恵みを味わうのはもったいないなぁと思いましたので、教会ホームページに掲載するようにしました。写真のように「宣教要旨」というページに今後も掲載してゆきます。すでに3章まで終わりましたので、14回分を昨日掲載しました。「最新記事」という所をクリックしていただけると先週の分まで読めますので、もしよろしければ、どうぞお読みください。24章にもおよぶルカ福音書の学びは、あと2年は要すると思います。ぜひディボーション等にお役立てください。印刷されたものをご希望の方は、いつでもお渡しできますので、遠慮なくお申し出ください。

さて、7月は大久保教会の誕生月ということで、西大久保伝道所の時代から大久保教会が創立した時代に、神様が歴代の牧師たちを通して語られたみ言葉を共に聴いてまいりました。私の独りよがりになっていないことを心から願いますが、60年以上の教会史の中で、伝道所から教会への新たなステージに入ってゆく中で、神様が丹羽勇先生、保田井建先生、川口正雄先生を通して語られた聖書箇所に聴きました。み言葉を通して、神様がこの教会の群れをずっと力強く導き、信仰のチャレンジを与え、同時に励まし続け、育て上げてきてくださったその愛の深さ、配慮と素晴らしいご計画があったことを何度も感じ、込み上げてくる感情を抑えきれないで感動の涙を流すことも多くあり、何度も感謝の思いと喜びに満たされました。

今朝は、このシリーズの最終回として、この新宿・大久保の地にわたしたちの教会の基礎となる福音の種まきを最初にしてくださり、大久保教会がこの地に息づくきっかけを作るためにアメリカから派遣されたアーネスト・ハロウェイ宣教師を通して神様が語ってくださったみ言葉を共に聴いてゆきたいと願っていますが、まずハロウェイ先生のことをお話しします。

ハロウェイ先生ご家族は、1949年7月12日に来日されました。サンフランシスコから横浜まで、船に揺られて約1ヶ月かけて来られました。当時の写真があります。右側の息子さん、ビルさんが後に二世宣教師となって名古屋へ来られます。夫人の膝の上の赤ちゃん、スティーブンさんは、アメリカで牧師となられます。次の写真は伝道所時代のクリスマス祝会の時の写真です。箸づかいも見事なもので、日本食が大好きな先生でした。神学校時代、私はテネシー州ナシュビルにあるご夫妻のお宅に何度も招かれ、孫のように可愛がって頂きました。

先生ご夫妻は名古屋でも働かれ、その後、日本バプテスト連盟の教育主事として長い間従事くださいました。ここに先生の博士号論文があります。次男のビルさんから譲り受けたものですが、1947年に連盟が結成されてから1960年までの連盟のキリスト教教育・宗教教育がどのように発展していったかが、つまびらかに記録されているたいへん貴重な資料です。

スクリーン上の写真は、1965年5月16日に、大久保教会での最後の礼拝と送別愛餐会後に撮られた写真です。イダネル夫人はご病気のため、お独りで一足先に帰国されていましたので、写真には写っておられませんが、三男のスティーブンさん、四男のマークさん、そして末っ子のお嬢さんのレベカさんが一緒に写っています。引越し等、さぞかし大変だったでしょう。

当日の週報に記されていることを少し紹介します。「本日はハロウェイ宣教師ご一家の送別礼拝です。昭和33年(1958)6月、ハロウェイ宣教師のご尽力によって大久保伝道所が発足して以来、宣教師としてご指導とご奉仕を頂きましたことに心からのお礼を申上げるとともに、米国に於て療養中のご夫人が一日も早くお元気になられるように、ご一家の上に主の豊かな恵みを切に祈ってやみません。ご一家は28日午後7時パンアメリカン機で羽田を発たれます。」

その後にさらに感謝なことが記されています。「本日、礼拝に引き続いて、ハロウェイ師の司式でバプテスマ式を行います。石木ひでよ姉と尾崎康代姉が、バプテスマを受けられます。会員としてお迎えできることを、心から喜んでいます。これからの信仰生活に神の祝福を祈ります」とありました。集合写真と照合しますと、その時の写真がこれのようです。

大久保教会は、当日とても忙しかったようで、礼拝とバプテスマ式と送別会の後に臨時総会が開かれています。教会組織に向けての準備が着々と進められています。その日は神様への賛美と礼拝、教会の家族が加わる喜び、先生ご家族を送り出す寂しさ、教会を形づくる生みの苦しみなど、たくさんの恵みをみんなで一緒に味わえる素晴らしい一日であったと週報から伝わってきます。ハロウェイ先生にとっても、非常に感慨深い一日であったと思います。日本での18年の働きの後、1965年5月28日に羽田空港から日本を離れられました。

そのハロウェイ先生を通して、神様は何を語られたのでしょうか。日本を離れる前に、先生は教会の皆さんと最後に何を分かち合ったのでしょうか。一つお願いです。今朝はご自分に語られる言葉として聞くと同時に、愛する大久保教会での働きを終え、日本を離れる直前、この教会で最後に宣教されたハロウェイ先生の気持ちを感じ取って頂きたいのです。2022年を生かされているわたしたちも、いつの日か敬愛する裵宣教師ご夫妻をアメリカか新しい地へ送り出すことになります。そういう心持ちをもって、今朝のみ言葉を聞いてみてください。

ハロウェイ先生が最後の宣教に付けられた主題は「キリスト者として生きる」で、導かれた聖句はフィリピの信徒への手紙の2章12節から16節です。では、「キリスト者として生きる」とは、どういうことでしょうか。その日バプテスマを受け、キリスト者として歩み始める姉妹たちもおられました。まだまだ霊的成長が必要な人たちがおられたと思います。「キリスト者として生きる」ということには、大切なことが二つあると思います。第一に「キリスト者」とは誰か、第二に「どのように生きるか」ということです。ご一緒に考えてみましょう。

「キリスト者・クリスチャン」とはいったい何者なのか。使徒パウロはフィリピの信徒たちに手紙を書き送る中で、1章1節で、「キリスト・イエスに結ばれている者」がそれだと言っています。イエス様と固くつながっているということです。わたしたちがつい手を離しそうになっても、イエス様がわたしたちの手をいつもギュッと握りしめて離さない、それがわたしたちです。また1章5節では、キリスト者とは、「福音にあずかっている」人だと使徒は言っています。神様の愛と憐れみを恵みとして一方的に受けた人、イエス様を通して罪の赦しを受けた人、平安と永遠の命の希望を受けている人という意味もあるのではないでしょうか。

では、そのようなキリスト者は「どのように生きるか」ということが次の問いかけになりますが、神様とイエス様から受ける恵みにどのように応答して生きるのかが問われるのだと思います。一人一人がどのように生きてゆくのかということではなく、信仰が与えられている人たち、教会の家族と一緒にどのように恵みに応えて生きてゆくのかが問われているのです。

パウロは2章の1節から11節で、キリスト者たちが、もし本当にキリスト者であるならば、救い主イエス・キリストを模範とし、主にあって、同じ想いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして神様の栄光をあらわしなさい、神様の喜びを満たしなさいと叱咤激励します。「何事にも利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いの相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい」と励ますのです。イエス様が恵みに生きる模範なのです。

12節の最初にある「だから」という言葉は、主の恵みに生きる者であるからという意味があります。読んでみましょう。「だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい」とあります。キリスト者としてどのように生きるか、それは神様とイエス様に対して「いつも従順に生きる」ことです。

ハロウェイ先生は何を思われていたでしょうか。「これまでの月日、一緒にいた時、神様を愛し、イエス様に従ってきたように、私があなたがたを離れても、主に従順に生きて欲しい。神様を畏れ、イエス様に従い続けなさい。そうすれば主があなたを助け、あなたの信仰を守り、さらなる成長を与え、神様が喜ばれる実を結ぶことができるようになる。アメリカから祈っているから、自分の救いを達成するように努めなさい」という声が聞こえてきます。

12節に「自分の救いを達成するように努めなさい」とありますが、これは「イエス様の十字架の贖いだけでは足りない、自分でも頑張らなければいけない」という意味の言葉では決してありません。イエス様の贖いの死によって、すべての罪は赦されています。しかし、赦されているという真実を信じる信仰、神様の愛に畏れおののきつつ、その愛を日々受け取ってゆく信仰が必要であるということです。しかし、自分の努力とか強い意志ではなく、神様に委ねて生きる謙遜さと従順さが必要なのです。ですから、パウロは13節で「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神である」と言います。すなわち、わたしたちは、ただ神様を信じ、恵みを受け取り、イエス様に従順に従うだけで良いのです。

神様の恵みの中に生きるとは、喜びと感謝、平安と希望、約束の中に生きることです。神様の愛で満たされている中で生かされるということです。ですから、14節から16節前半、「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう」と使徒パウロは励ますのです。

そのように歩み続ける大久保教会となってほしいとハロウェイ先生は最後に思われたのかもしれません。「こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう」と感じられたのかも知れません。今朝のみ言葉を皆さんはどのようにお聞きになり、受け止められるでしょうか。

実は、今朝の開会賛美は、ハロウェイ一家の大久保教会での最後の礼拝の開会賛美としてささげられた教団讃美歌7番でした。ハロウェイ先生の説教への応答賛美として歌われたのは教団讃美歌494番でしたが、新生讃美歌になかったので前奏曲として弾いてもらいました。「わが行く道 いついかに なるべきかは つゆ知らねど、主はみ心 なしたまわん。備えたもう 主の道を 踏みて行かん ひとすじに」とあります。

わたしたちの道、教会の道はいついかになるか分かりません。しかし、一つだけ確かなことがあります。それは主なる神様の御心が成るということです。つまりそれは、神様がわたしたちの道を備えてくださっているということです。わたしたちはひたすら主だけに信頼して、従順にその道を、イエス・キリストという真理の道を、信仰をもって歩んでゆくことが求められていて、その道が神様の愛と祝福につながっているのです。主に心から感謝いたします。