救い主は仕えるために生まれた

「救い主は仕えるために生まれた」  クリスマス礼拝 宣教     2018年12月23日

マルコによる福音書 10章45節              牧師 河野信一郎

おはようございます。メリークリスマス!

クリスマスは、イエスさまを通して神様から受ける愛と慈しみを喜び、感謝する時です。イエスさまのお誕生がなければ、私たちはこのように出会い、ご一緒にイエスさまを礼拝することはなかったでありましょう。イエス・キリストがお生まれになっていなかったなら、いま私たちが生きている世界も、日本も、社会も、今とはまったく違ったものになっていたことでしょう。ここにいらっしゃるすべての方に当てはまるわけではないと思いますが、イエスさまがこの地上に誕生していなければ、存在し得なかった人も、私を含め、いらっしゃると思います。ですから、クリスマスシーズンは、私たちの喜びと感謝を神様とイエスさまにおささげする、とっても大切な時でもあるのです。ですから、私たちがこのように生かされ、出会って、共に礼拝できる幸いを喜び合い、感謝し、賛美と祈り、礼拝をおささげしたいと願います。

 

さて、私たちが親しみを持ってこれまでずっと賛美してきましたクリスマスキャロル、賛美歌の歌詞をよく見ますと、この世にお生まれになられたイエスさまについて、様々な言葉で宣言され、告白されています。イエスさまは、神の御子、救い主、キリスト、インマヌエル、王さま、まことの光、生命の御子、神の小羊、贖い主であると告白します。これらの呼称には、それぞれ大切な意味があり、イエスさまが神様からこの世に遣わされた使命、この地上を歩まれた目的を表す言葉として用いられ、それがキリスト教会から全世界へと告白されています。

イエスさまは「まことの光」であるということについては、明日夕方のクリスマス・ワーシップでお話しいたしますが、例えば「インマヌエル」というのは「神は我々と共におられる」という意味の名称ですが、このインマヌエルであるイエスさまは、私たちといつも共に生きてくださり、歩んでくださって、導いてくださるお方であるという神様がイエスさまをお遣わしになられた使命と目的が明確に示されています。イエスさまが「生命の御子」であるというのは、イエスさまが私たちに新しい命、永遠の命を与えてくださるということで、そのためにお生まれになられたということを示す言葉です。イエスさまが「神の子」であるとは、イエスさまの神聖、つまりイエスさまが神であられるということを表すことと、それだけでなく、すべての人を神の子としたいという神様の愛情が示されている呼称であります。私たちをご自分の子としたいという強い思い・願いが神様にはおありですが、神様はそのことをまったく強要・強制せず、私たちに自由な意思と決定権を与えてくださり、自分の意思でイエスさまを信じる自由を与えてくださいます。ですから、イエスさまを信じる者に対して、その信仰によって、神さまの子となる身分を与えてくださるのです。イエスさまは「王さま」であるという信仰告白が聖書にも賛美歌にもありますが、イエスさまは愛をもって私たちの心を治め、私たちの生活に平和と安定性をもたらす力強きお方であるという告白であり、イエスさまを信じる者たちの全幅の信頼を表す呼び名です。

また、イエスさまは私たちの「救い主」です。イエスさまは私たちを罪の中から、永遠の死から、真っ暗闇から、恐れや不安、痛みや悲しみ、孤独感や虚しさから救うためにお生まれになられた救い主です。イエスさまは、私たちが神様に愛されていること、神の子として生きて欲しいと神様が願っておられることを伝えるためにお生まれになりました。私たちが暗闇の中で迷わないで、苦しまないで、痛まないで、悲しまないで生きて欲しいので、神様はイエスさまをこの地上にお遣わしになられ、イエスさまを救い主として私たちにプレゼントしてくださいました。この神様の贈り物に勝るプレゼントは地球上には存在しません。ですから、幸せになりたい、心に平安が欲しいと切望している方は、イエスさまを救い主と信じ、イエスさまと共に歩めば、幸いな人と誰からも呼ばれるようになるでしょう。

イエス・キリストは、神の子、救い主、王、まことの光、新しい命、永遠の生命を与えてくださるお方であられると聖書は私たちに宣言しています。このイエスさまは、ご自分のことをマルコによる福音書10章45節で、このように言っておられます。「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」と。

今朝は、このイエスさまの言葉から三つのことを短くお話ししたいと思います。

まず「人の子」というのは、神が生身の肉体をとって、人としてこの地上にお生まれになられたということを示す名称で、イエスさまはよくこの名称を使って、ご自分が神様から遣わされ、この地上に生きている目的を弟子たちや人々にお話されました。これが第一のポイントです。イエスさまは、「私は(人々に)仕えられるためではなく、(人々に)仕えるために来た」のですとご自分の使命、存在理由、目的をはっきりと語っておられます。

皆さんは、ご自分の存在理由、生きている目的は何であるか知っておられるでしょうか。何のために自分は生まれ、何をなすために生きているのか、知っておられるでしょうか。知っておられる方は幸せな人であると思いますが、私たちの多くはそれが分からないので悩み苦しんだり、ストレスを感じたり、自暴自棄に陥ったりします。できるだけ悩まない、いつも楽しく、自分のやりたいことをやって生きるという方もおられるでしょう。人のために何かをしてあげるということよりも、人から何かをしてもらいたいといつも願い、自分の欲求が満たされることに一生懸命になって生きておられる方もおられるでしょう。愛する家族のために働いて、生きておられる方も多くおられるでしょう。しかし、他人の幸せのために全身全霊で生きておられる方は少ないのではないかと思います。そのように生きておられる方は、しっかりとした自分の使命、人生の目的を持った人ですから、本当に幸いな人であると思います。

さて、話を元に戻しますが、イエスさまは「仕えられるためではなく、仕えるために来た」とご自分の使命をはっきりとおっしゃいます。これが宣教の二つ目のポイントです。つまり、イエスさまは、ご自分の命、体、時間、能力などは、全て自分のために、自分の幸せのためにあるのではなく、人々の幸せのために生きるためにあるとおっしゃっておられるのです。

そして今朝、私たちに対して、「私は、あなたに仕えられるためではなく、あなたに仕えるために生まれた。あなたのもとに来た」とおっしゃられるのです。イエスさまは神であられますが、その神様が「あなたに仕えたい」とおっしゃるのです。神様が、「あなたに仕えたい。あなたのために仕えたい。そのためにわたしはいるのだ」と言っておられ、願っておられるのです。これは本当に信じがたいことです。天皇が、王様が「あなたに仕えたい」おっしゃったら、「滅相もない、私があなたにお仕えします」というようになるのではないでしょうか。しかし、聖書に記されている神様、イエスさまは違うのです。イエスさまは、私たちに仕えるために人として、人の形を取られてお生まれになられ、その死に至るまで従順に生きられたお方です。この2018年のクリスマスに、皆さんとご一緒に覚えたいことは、イエスさまは私たちに仕えるためにお生まれになられたという真実。

そしてもう一つ覚えたいというか、認めたいこと、それは、私たち一人ひとりは、私に仕えてくださるイエスさまが、神様が必要であるということです。このようなことを聞くと、ある人は、それこそがキリスト教の問題だ、キリスト教は弱い人のための宗教だと言います。自分の力では何もできない人がしがみつく宗教だと言います。自分はそんなに弱くない。自分には神など必要ない。朝は自分で起きれるし、勉強も仕事も難なくできるし、自分の頑張りようでお金を稼いでちゃんと家族をサポートすることもできるし、何事も自分で考え、決定して自分の力で幸せに生きて行けるから自分に仕えてくれる神など必要ないと思われる方が多いのではないでしょうか。皆さんも、人に迷惑をかけずに責任をもって生きてゆけるでしょうし、私はそのように思います。

しかしそういう中で、質問をさせてください。新しい朝を迎える時に必要な息は、命はどこから与えられるのでしょうか。1日を生きてゆくために必要な食物や水やエネルギーを誰が供給してくれるのでしょうか。一生懸命に日々働くことができる技能や才能や知恵や力をあなたはどこから得たのでしょうか。あなたが家族や友達を持つことを可能にしてくれたのは誰でしょうか。あなたでしょうか。私たちでしょうか。私たちの中に、本当の意味で自給自足できる人は誰一人いません。自分の力だけでは生きてはゆけない存在なのです。私たちは、本当の意味で、神様に頼って生きる者なのです。神様を認めない人であっても、神様が嫌いな人であっても、現実は、神様に生かされている人なのです。神様に仕えられている私たちなのです。今、私たちは当たり前のように呼吸していますがこの息も、息する酸素を与え、肺も、心臓も全てを動かし、命をつないで与え続けて仕えてくださっているのは神様であり、私たちではないのです。私たち一人ひとりには、私たちに仕えてくださる神様が必要なのです。そのことをはっきりと悟ること、理解することから神様との関係が始まります。そのことを私たちに伝えるために、イエスさまはお生まれになられ、仕えてくださったのです。神様が私たちに仕えてくださる、それがイエスさまを通して神様が望まれていることなのです。これはとっても信じ難いことだと思いますが、しかしこれが私たちに対する神様の愛なのです。

宣教の三つ目のポイントです。イエスさまはどのように仕えてくださるのでしょうか。それは、私たちのすべての罪を取り去り、私たちが犯したすべての失敗、つまり怒りや嫉妬や不満や欲望、それらが原因となって生み出される苦しみや悩みや痛みを取り去り、私たちを慰め、癒し、救いを与え、平安を与え、生きる目的を与えるために私たちに寄り添い、私たちと共に歩んで仕えてくださるのです。私たちの罪の代償を私たちに代わって支払ってくださり、罪を取り去り、私たちの弱さを強さに変えてくださるために、イエスさまは十字架でその命を献げてくださいました。「多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」というイエスさまの言葉はそういう意味なのです。私たちを救うために、私たちのために命を献げるために、私たちに仕えるためにイエスさまはお生まれになられたのです。その愛を覚え、自分の罪を、弱さを認めて悔い改め、神様の憐れみに感謝し、賛美と礼拝をおささげするのが本当のクリスマス、神様とイエスさまが心から願われているクリスマスです。その思いを大切にいたしましょう。