真理の霊があなたを強くする

「真理の霊があなたを強くする」 六月第二主日礼拝 宣教 2022年6月12日

 ヨハネによる福音書 16章1〜15節     牧師 河野信一郎

 おはようございます。今朝も皆さんとご一緒にこの礼拝堂から、そしてオンラインで賛美と礼拝をおささげできることを恵みの主に感謝いたします。東京は6日から梅雨に入ったと気象庁から発表がありましたが、これから1ヶ月半ほど、雨の多い不安定な気候になりますので、体調の管理には十分お気をつけいただきたいと思います。お祈りしています。

さて、先週とても嬉しく、感動したことがありましたので、最初に分かち合いをさせていただきたいのですが、皆さんはベルマークをご存知だと思います。ベルマーク運動に協賛してくれる企業の商品を購入し、その商品にあるベルマークを集めて小学校等に持っていきますとPTAの方々が仕分けしてベルマーク財団へ送り、そこで1点が1円として換算され、協賛会社に金額が請求され、受け取った金額を資金としてベルマークを集めた学校に必要な備品や教材を購入したり、厳しい教育環境に置かれている子どもたち、へき地や被災地にある学校に役に立つものを購入する資金となります。日本のすべての子どもに等しい教育を受けて欲しいというのがこの運動の願いですが、海外の子どもたちの教育へも援助がされています。

大久保教会でも、15年近く前からこのベルマークを集めています。教会の子どもたちが小学生になり、ベルマークを集め始めたからです。教会の皆さんも集めくださるようになり、子どもたちが卒業した後は、年に2度ほど、わたしが近隣の小学校へベルマークを持ってゆきます。この小さなベルマークを集めるのは地道な作業で、取り組む決意と根気が必要です。多くの消費者はベルマークなど関心がありません。買い物に行って棚に同じような商品が複数あって、ベルマークがついているからという理由で商品を選ぶ人はごく少数だと思います。

しかし、わたしは先週気づいたのです。ベルマークがいっぱい入った瓶が教会の玄関にあったことを。これが実際の瓶ですが、相当な数のベルマークが入っています。これだけ集めるのには長い年月と根気が必要であったと思いますが、教会に戻れるようになった時に、その瓶を一緒に持ってきてくださったのだと思います。誰であるか分かりません。ある人は、「1万円をポンと募金した方が楽じゃない」と思うかもしれません。しかし、わたしはそのような地道な努力をされる方がこの教会に与えられていることを大変嬉しく思いますし、誇りに思います。心から神様に感謝します。誰であるか分かりません。しかし、このような地味なことをコツコツとなさるその方のひたむきさ、根気、忍耐力、その愛はすごいと思います。

わたしたちの教会には派手な人はいません。みんな神様からいただいている賜物を心からささげ、地道にコツコツとひたむきに働いてくださる方ばかりです。外から見たら地味で静かで控えめな教会に見えるかもしれませんが、愛と優しさに満ちた方々、忍耐と熱意に満ちた方々が集まった素晴らしい教会です。わたしはそういう真の優しさのある教会を誇りに思います。神様はこの教会をこれまでずっと守り導いてくださり、必要を満たしてくださいましたし、これからも祝福し、守り続けてくださると信じています。

わたしたちを祝福してくださるのは神様だけです。整えてくださるのは主イエス様だけです。わたしたちを守り導き、励まし、一つの教会にしてくださるのは神様の霊であるご聖霊だけです。わたしたちが神様を共に礼拝し、イエス様が救い主であることを告白し、この教会から地域へ、世界へと宣べ伝え、この教会を共に建て上げて行くことを決意し、信仰と祈りを持って歩むことを選びとってゆくならば、神様は必ず祝福してくださいます。つまり神様にはいつも忠実に、人にはいつも誠実に、実直に生きてゆけば、神様から祝福があります。

さて、先週は、イエス様の代わりとしてこの地上に派遣された聖霊の降臨日をご一緒にお祝いしましたが、その後に「正直言って、聖霊の必要性がまだよく分からない」というご意見を受けましたので、今朝は、聖霊とは何であり、わたしたちにどのような関わりがあり、どれほど重要な存在であるのかをお話しさせていただこうと思います。

まず大切なことを最初にお伝えいたします。神様のことをもっと知りたいと願うならば、イエス様の言葉に聞くしか方法はありません。イエス様が神様を一番ご存知であるからです。イエス様の言葉をもっとよく聞きたい、知りたい、学びたいと願うならば、聖霊に頼るしか方法はありません。何故ならば、「聖霊があなたにすべてのことを教え、わたしが話したことを『ことごとく』思い起こさせてくれるから」とイエス様ご自身がおっしゃるからです。イエス様は、神様とわたしたちをつなげるためにこの地上に派遣されました。聖霊は、たくさんあるイエス様の言葉をつなげて、イエス様の真意をわたしたちに教え、神様の御心へ正確に導くために地上へ派遣されました。神様とイエス様とわたしたちを一つにするためです。

さて、今朝の聖書箇所はヨハネによる福音書の16章ですが、14章にも聖霊についてイエス様が弟子たちに話しておられる箇所がありますので、そこから2点お話ししたいと思います。まず14章16節と17節でイエス様は弟子たちに次のようにおっしゃいます。「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は真理の霊である」と。ここでイエス様は「父なる神が別の弁護者を遣わす」と言っていますが、この「弁護者」という言葉は、他の聖書では「助け主」と訳されています。また「別の」という言葉は「同じ種類の、もう一つの」という意味のギリシャ語が使われ、イエス様と「同じご性質を持った助け主」が神様から派遣されたということです。その理由と目的とは何であるのか。まず理由ですが、「あなたがたといつも共にいる」との約束を守るためです。

 イエス様は人として、肉体をもってこの地上に生まれ、神様の愛を教えてくださいましたが、肉体がある以上、時間と空間という物理的制約の下におられたので、世界中いつでもどこでもすぐに対応することができませんでしたから、イエス様の代わりに時間にも空間を越えて存在できる聖霊が神様から派遣され、この聖霊は「真理の霊」とイエス様に呼ばれています。

 2点目、聖霊が派遣された目的です。14章25節と26節に「わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」とあります。わたしたちに聖霊が派遣されているのは、イエス様の言葉の意味、真意を正確に教え、その都度イエス様が話された言葉を思い起こさせるためです。どういうことか。つまり聖霊はイエス様の語られた言葉となされた業に新しい要素や意味を一切付け加えず、イエス様の言葉の意味を正確にわたしたちの心に感じさせてくれる働きを担います。

 イエス様に神様がわたしたちに伝えたいことはすべて完全に啓示されているので、それを想起させたり、リマインドさせたり、立体的に感じさせたり、鮮明に見させるために聖霊は働きます。イエス様の「真理」を思い起こさせ、真理を伝えるために聖霊が与えられています。ですので、わたしたちに必要なのは、心を開いて聖霊をお迎えすること、お迎えしたら聖霊が豊かに働いて、わたしたちにイエス様のみ言葉の養い、成長を与え、聖霊の実を結ばせるのです。

 さて、16章に聴いてゆきますが、1節に「これらのことを話したのは、あなたがた(つまり弟子たち)をつまずかせないためである」とあります。「これらのこと」というのは、弟子たちが迫害されるというイエス様が15章18節からずっと語って来られた迫害を受けることです。2節に「人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る」とイエス様は厳しい未来が待ち受けていることを包み隠さずに伝えます。「人々」とはユダヤ社会という意味で、会堂から追放されるというのは、今まで当たり前のように自分の身を置いていた場所から追い出されてしまうということです。ウクライナで厳しい迫害に遭い、愛する国から離れて外国に避難している人々と重なります。

「あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る」とありますが、これは使徒言行録の3章後半から12章前半に記されているユダヤ教からの厳しい迫害のことで、その先頭に立っていたのがサウロです。この人はキリスト教徒を捕らえ、キリスト教を撲滅することは神様に奉仕していることだと真剣に考えていた人です。しかし、イエス様は「彼らがこういうことをするのは、神をもわたしをも知らないからである」と3節で言っています。

 ユダヤ教の熱心な信徒であったのなら神様の御心は知っていたであろうとわたしたちは考えるのですが、イエス・キリストを通してでなければ、誰一人として神様の御心を知ることはできないのです。何故ならば、イエス・キリストのみが神様の御心に従って歩むことができる信仰を与える唯一の道であるから。そしてこの道を常に明確に示してくれるのが聖霊なのです。

 4節後半で「初めからこれらのことを言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである」とイエス様はおっしゃいますが、これを卑怯だという人がいます。イエス様を信じれば救われると思っていたけれど、迫害に遭うということを最初から聞いていればイエス様に従わなかったというのです。しかし、ここでイエス様がおっしゃっているのは、これまで弟子たちはイエス様によって守られていたということ、そしてこれからはイエス様の代わりに神様から遣わされる聖霊によってずっと守られるということです。イエス様との別れに加え、厳しい迫害が自分たちを待ち構えていると聞いて、恐れと不安、悲しみに満たされている弟子たちに対して、イエス様に代わる助け主・ご聖霊が派遣されると約束し励まします。

 7節に「実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者・助け主はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る」とありますが、先ほど申しましたように、イエス様の代わりに、時間も空間も越えて存在できるご聖霊が神様から遣わされ、いつも共にいて助けてくださるという約束がここでされ、ペンテコステの日に現実に弟子たちの上に注がれます。

 8節に「この方が来れば、罪について、義について、また裁きについて、世の誤りを明らかにする」と主は言われますが、9節から11節にその意味を説明されています。「罪」とは、イエス様を信じようとしない、拒み続けるということです。「義」とは、イエス様がわたしたちの罪を贖うために来てくださり、十字架の死を通して神様の愛を伝えてくださった救い主であることです。「裁き」とは、世界を支配しているのは神様であって人や悪ではなく、人が企てる悪は必ず明るみにさらされて裁かれる、世の誤りを示すのが聖霊であるということです。

 12節に「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない」というイエス様の言葉があります。弟子たちの心がイエス様の死と自分たちの迫害の予告を聞いて悲しみ、騒ぎ立っていたからそう言われたのではありません。その時の弟子たちの心に真実を受け入れるキャパシティがなかったからです。苦難を受け入れる力がまだなかったからです。わたしたちは乳児に肉を食べさせません。それを受け付けて栄養に変換されるだけの成長がまだ体にないからです。しかし、数々の試練を越え、鍛錬され、成長してゆきますと、イエス様の言葉を受け止め、理解できるようになります。その時にイエス様が言っておきたかったこと、伝えたかったたくさんのことを聖霊が思い起こさせ、理解できるように導いてくださるのです。

 わたしたちの心は弟子たちと同じで、これから起こることへの不安や恐れ、日常生活の中での迷いや疲れによって心が騒ぐことがあります。なぜこんなに苦労しなければならないのか分からない。自分の存在意義も人生の目的も分からず、喜びも平安も希望も感じない。しかし、イエス様の言葉に心を傾けて開くならば、わたしたちの努力や願いの力ではなく、愛の神様が働いて、わたしたちの心に聖霊が入ってくださり、わたしたちを強くしてくださいます。

 13節になんとあるでしょうか、「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」とあります。真理の霊・ご聖霊が主を信じる者を強くし、神様の御心と真実さを理解させてくださるとイエス様は語られ、わたしたちはただ心を神様に開けば良いだけなのです。

 真理の霊は、「これから起こることをあなたがたに告げる」と13節後半にありますが、「これから起こること」とは、イエス様の十字架の死とご復活、昇天、そして聖霊降臨ということであり、主の再臨も含まれますが、その一つ一つの意味を聖霊がわたしたちに教えてくださるという約束です。ですから自分の限られた知恵や経験ではなく、神様にお委ねしたら良いのです。

 真理の霊は、わたしたちに神の愛の確かさ、真実さを教え、イエス・キリストの救いの確かさを教え、日々わたしたちを作り変え、整え、強め、この地上に生かされている間、わたしたちが何を聞き、何を語り、何をすべきかをすべて教え、導いてくださいます。イエス様の言葉に聞き従う中で、真理の霊が神様の御心を示し、御心に沿って生きることを通して神様とイエス様の栄光を表す者としてくださいます。これがわたしたちと聖霊が共にいてくださる理由です。だから、わたしたちに聖霊が必要で、この聖霊なくして真の喜びと平和と一致はないのです。