神さまからのラブレター

「神さまからのラブレター」 七月第二主日礼拝 宣教要旨 2016年7月10日

ヨハネの手紙一 1章1〜4節       牧師 河野信一郎

聖書は、神からわたしたちへ送られたラブレターです。確かに厳しいと思える言葉も聖書にちりばめられてはいますが、すべて神が義であり、聖であり、愛であり、真実なお方であられることを伝えるためであり、わたしたちが常に聞くべき御心が記されていると信じます。

わたしは、アメリカに住んでいた時、高校2年生の時に人生初のラブレターを同級生の女子から突然もらい、とても驚きました。これこそ、青天の霹靂でした。わたしは当時、このラブレターを喜びませんでした。その理由は一つのみ。その女の子に関心がなかったからで、正直に言うと、片思いの人がその時いたからです。わたしが冷たい人間だったのかというと、そうではありません。只々、ラブレターをくれた女子に関心・興味がなかったのです。関心もないのに、恋愛感情を抱くことはできません。まったく関心のない人からもしラブレターを受け取ったら、あなたはどうするでしょうか。その手紙が今どこにあるのか判りません。

さて、神からのラブレターも、受け取るわたしたちに関心がなければ、その聖書はただの分厚い本で、神からの思いはわたしたちに届かないのです。しかし、ここで重要なのは、神がイエス・キリストという神の愛の言葉を贈ってくださったという真実です。神がイエス・キリストを送ってくださったという事実は、神が人類を愛してくださっている証しです。わたしたちがどう思っているのか、関心があるかないかではなく、わたしたちを愛してくださっている神がおられるということ。その恵みを共に感謝し、喜びで満たされたいのです。

さて、わたしは友人を通して神学校卒業後に妻と出会い、付き合い始めましたが、日本とアメリカという遠距離の付き合いでした。赴任する教会を求めている最中、わたしは、二つの仕事をしていましたが、夜は日系ビジネスホテルのフロントで働きました。夜の仕事ですから時間は十分あり、わたしは毎晩、日本の彼女に長文の手紙、いわゆるラブレターを送り続け、半年間で150通ぐらい送りました。しかし、彼女からの返信は同時期で2・30通でした。しかし妻は、当時のわたしからの手紙を今でも大切に保管してくれています。わたしが婚約者に書いた手紙の内容は、その日にあった出来事の報告、彼女へのわたしの強い思い、そして彼女に対する多くの質問でした。今から思えば、わたしは一方的に自分の思いを伝えて、自分の知りたい情報を得ようとする身勝手な手紙を彼女に出し続けていました。

皆さんはどうか判りませんが、当時のわたしの聖書の読み方も、そして祈り方も一方的なもので、自分の関心のある箇所だけを切り取って読んだり、情報を得ようとするものでした。祈りも一方的に自分の思いを神にぶつけ、祈りがすぐに聞かれないと神を不信に感じたり、しっかりと神のラブレターを読み、神に祈る時間を持ちませんでした。聖書は、わたしたちの欲求を満たすものではなく、神の愛と言葉を受け取るラブレターです。神の子として生きてゆくために必要なことが聖書には記されており、それを日々たいせつに聞いて、従ってゆくことがわたしたちのなすべきことです。

そもそも、神は何故イエス・キリストというラブレターをわたしたちにくださったのでしょうか? そして神の愛を神に興味のない人にも与え続けるのでしょうか? それは、すべての人を神は愛しておられるからです。神にとってわたしたちは大切な存在であるからであり、神の愛を受け取って欲しいからです。ヨハネは、わたしたちに対する神の愛を1章4節でこのように伝えています。「わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びがあなたがたの心のうちに満ちあふれるようになるためです。」と。「わたしたち」とは、イエス・キリストの弟子たちです。ここで重要なのは、「わたしたちの喜びがあなたがたにも満ちあふれるため」ということで、このヨハネの言葉を聞いてすぐにピンと来る人もいると思います。主イエスがヨハネ福音書15章11節で、「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである」と言っておられます。

つまり、ヨハネをはじめ、主イエスの弟子たちは、主イエスがおっしゃられた言葉を忠実に真似て、主イエスが生きられたように生きようとしていたということがここから判ります。主イエスがおっしゃられたように生きる。主イエスを真似て生きる。それが主イエスを愛するということであり、そのようにわたしたちが生きてゆく事、互いの喜びを満たすために生きることが互いに愛し合い、仕え合うということではないでしょうか?

主イエスはヨハネ福音書15章12節で、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」とおっしゃいました。

さて、第一ヨハネの手紙1章1節から3節を読みましょう。西暦2016年を生きるわたしたちは、ヨハネたちのように主イエスの声を実際に聞いたり、見たり、触れた事はありませんが、神のラブレターを読む中で、ご聖霊のお導きと励ましの中で、神の愛を体験することができ、主イエスを救い主と信じ、主につながることができると約束されています。

主イエス・キリストを信じ、主に従う者の使命は、周囲の人々に神のラブレターを届けることです。神が主イエスを通してわたしたちすべての人を愛しておられることを分かち合いましょう。

わたしは、妻以外の人にラブレターを先週送りました。わたしがとても大切に思っているアメリカに住む伯父です。わたしは彼にとても大切にされ、愛されました。しかし、彼はクリスチャンではありません。また、ガンの宣告を受けました。わたしは、「愛しているよ。祈っているよ」と伝えるために手紙を書きました。彼の心が死に対する恐れでなく、神に愛されている喜びで満たされるためです。

皆さんにも、大切な人がおられると思います。その人に、「愛しているよ。いつもありがとうね。お祈りしているね。」とラブレターを出してみてはいかがでしょうか。わたしたちはみんな、神と主イエス・キリストに愛されています。聖書を読み、祈る生活を送りましょう。