神に信頼されて生きる者の恵み

「神に信頼されて生きる者の恵み」 九月第二主日礼拝 宣教要旨 2016年9月11日

ヨハネの手紙一 3章19〜24節       牧師 河野信一郎

当教会の初代牧師であられ、現在は4月に被災された東熊本教会牧師であられる保田井建先生と電話で久しぶりにお話し、教会の屋根修復工事が人材不足と資材不足のために来年1月まで待たねばならないとお聞きし、これからも東熊本教会を覚えて祈り続けると約束し、すぐに祈りました。そうしましたら、翌日、半世紀前に娘さんと共に大久保教会で信仰生活を送られたW姉(88歳)からお電話があり、その翌日に被災地支援献金を携えて横浜戸塚から来会くださいました。この出来事を通して、主なる神は真に生きておられ、くすしき備えをもって私たちの必要を満たしてくださる方であることを実感し、神の慈しみに感動しました。

この出来事を通して、去る主日に聞いたヨハネの手紙一の3章17・18節が再度明確に示されました。「世の富を持ちながら、兄弟姉妹が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。」とあります。この御言に聞き従いましょう。

私たちは、互いに愛し合うために神から愛され、愛を日々受けています。私たちを闇から光へと、永遠の死から永遠の命へと移すために、神はその御子イエス・キリストを十字架につけられ、私たちの罪を贖ってくださいました。16節に「イエスはわたしたちのために命を捨ててくださいました。そのことによって、私たちは神の私たちに対する愛を知ったのです。」とある通りです。この神の愛、主イエスの犠牲を知り、受け取り、その愛の内に生かされている私たちは、主イエスの十字架という視点から現実を見てゆくことが大切です。イエス・キリストによって罪赦され、神の子とされているという恵みが生活の土台となり、考え方と言動の原動力となる。そしてその恵みへの応答として神と主イエスには忠実に、人々には誠実に生きて行くことが神から求められていることで、私たちが結ぶべき実であります。

人々、隣人に対して誠実に生きて行くことが神に対して忠実に生きる証しとなり、それを神は喜ばれます。では、「誠実に生きる」とは具体的にどういうことでしょうか。先ほどの16節と17節から判ることは、神から与えられ、委ねられている命、時間、富、心を捧げ、用いて隣人・兄弟姉妹に仕え、互いに支え合ってゆくことが誠実に生きる事だと示されます。

私たちが誠実に生きる事が真理、つまりイエス・キリストに属していることを証明し、確信を与える事なので、神の御前で安心することができるとヨハネは言います。「安心することができる」とは、神が喜んでくださることを見て、私たちも喜びに満たされ、心が穏やかであるということです。たとえ、私たちに自分がしたことに不十分さを感じ、「あれもできた。これもできた」と後悔の念があったとしても、20節にあるように、心の広い神は全てをご存知で、全てを益に変えてくださり、喜んでくださるということです。

「私たちは心に責められることがなければ」と21節にありますが、それは「私たちが神の掟を守り、日々、御心に適ったことを行なうことによって、神から責められることはない」ということで、祝福として次の2つのことが神から与えられます。21節後半から22節前半です。1)神の御前で、神に喜ばれているという確信を持つことができる。2)神に願い求めることは何でも叶えられるという恵みです。しかしながら、この「何でも」というのは、神が喜ばれることであって、私たちの欲望を満たすだけのものではないということをよく覚えておく必要があります。

さて、私たちが守るべき神の掟が23節に記されています。1)神の子イエス・キリストを信じることとこのキリストが私たちを愛してくださったように私たちも互いに愛し合ってゆくということです。これが神と救い主イエスが私たちに求めておられる「実」です。

次の24節には、神と主イエスの掟を守る人とは、神の内にいつもとどまる人で、その人の内にも神の霊がとどまってくださるという恵みが約束として記されています。この節には「とどまる」という言葉が3度用いられていて、主イエス・キリストにとどまり続けることの重要さと恵みが示されています。

さて、イエス・キリストを救い主と信じる者の内に神がとどまってくださっているという証拠は、神の霊によって判ると記されています。つまり、神の霊・ご聖霊がキリストを信じる者の心のうちに内住して働いてくださり、日々力を与え、慰め、励まし、神の働き人として整え、用いてくださり、私たちに結ばせてくださる「実」によって判るというのです。

私たちに神の霊が与えられているのは、私たちにその資格や資質があるからではなく、神が私たちに信頼をよせ、期待し、私たちを用いようとしてくださっているからです。罪と闇の内に生きる私たちを救い、光の内に置いてくださったのは、私たちを造り変えて、神の御用のために用いるためです。私たちが罪赦され、新しい命が主イエスを通して与えられ、神の霊が与えられているのは、この聖霊に励まされ、私たちが互いに愛し合い、仕え合い、支え合う愛が、誠に愛の神が生きて働いておられること証しするために他なりません。私たちを愛し、信頼し、期待し、用いてくださる神に、私たち一人一人も信頼をおき、聖霊に励まされて神の喜ばれる「実」を結び続けてまいりましょう。