私と一緒に目を覚ましていなさい

宣教『私と一緒に目を覚ましていなさい』大久保バプテスト教会副牧師石垣茂夫         2021/03/21

聖書:マタイによる福音書26章36~46節(新共同訳p53)

招詞:ヘブライ人への手紙5章7~10節(p406)

はじめに

この度の緊急事態宣言の期間は、思ってもいなかった長い日数となり、多くの、困難な問題を今後に残しています。ウイルス感染危機の、終わりの見えない中ですが、皆様はこの期間をどのように過ごしてこられたでしょうか。

私はこの宣言期間中も、週に一日、南浦和にあります日本バプテスト連盟事務所に通い、自分が関係する委員会の準備や、連盟の重要な会議の記録などの整理をしてきました。私にとりまして、大久保教会に来ること以外で、この一年間でただ一つの外出でした。

私が7年前に、連盟資料室の勤務に就きました時には、およそ30年分の資料が整理されぬままになっていましたが、その整理も終わり、そのうえ、近年までの資料を、3年ほどかけて、データとして残すこが出来ました。このデータは、これからの時代の中で活用されていくことと思います。

週に一日の通勤ですが、私は体力的な限界を感じ、二年前に退職の希望を出していました。

昨年秋、幸いに後任が決まり、1月からこの3月まで、引き継ぎも含めて後任の方と二人で資料室に勤務し、業務をしてきました。私一人ではできなかったいくつかの仕事があり心残りでしたが、後任の方と一緒に勤務することで、短い期間でしたが滞っていた仕事を終えることが出来ました。

特に、「一緒に」ということの有難さや、力強さを感じさせられた三か月間でもありました。

そのためでしょうか、今朝の宣教には「私と一緒に」との言葉を、直前になって加えさせていただきました。

お読みいただきました聖書には「わたしと共に目を覚ましていなさい」(26:38)との言葉がありました。

この言葉をもっと具体的に、「私と一緒に目を覚まして、祈ってほしい」と翻訳した方がありました。

この礼拝では、「私と一緒に、祈ってほしい」、「私と一緒に、目を覚ましていてほしい」、そのように弟子たちに願い、弟子たちと共に歩もうとされる主イエスの思いに触れ、今も一緒に、わたしたちと共におられる主イエスに出会いたいと願っています。

「ゲッセマネで祈るイエス」

聖書朗読では、「ゲッセマネで祈るイエス」の個所を読んでいただきました。

【写真・1】「ゲッセマネ」という場所は、エルサレム東側の正門の前、キデロンの谷を挟んだ向こう側にあります。エルサレムの正門は大きく立派な門ですが、「イスラエルを救うメシアは東側から来る」と言われていたことを恐れたアラブ民族が、占領当時にしっかりと塞いでしまい、塞がれてそのままになっています。少し不思議な光景です。

【写真・2】谷の向こう側ゲッセマネは、見えるオリブ山の裾野に、およそ4キロにわたって広がるオリーブの畑です。エルサレムの城が一望できる素晴らしい景色が広がっています。主イエスの時代には、垣根で囲われた私有地であったと言われています。

【写真・3】「ゲッセマネ」という地名は「オリーブの油絞り」という意味です。現在も大切に保護され、樹齢何百年かと思われる、太いオリーブの樹木を見ることが出来ます。主イエスは持ち主の好意で、この静かなオリーブ畑をご自分の祈りの場として、日常的に、使っていたと思われます。

主イエスは、弟子たちとの最後の晩餐の後、主だった弟子ペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人を連れて夕闇の中「ゲッセマネ」に向かいました。

ゲッセマネに着くと、三人の弟子にこう言いました。

「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」(36)と言いました。

ここに座っていなさい」という言葉をもう少し厳密に、「わたしが祈っている間、ここにいて、見張っていなさい」と翻訳する方もあります。

ユダの裏切りなど、緊迫した状況の中で、主イエスは最後の晩餐の後、この夜の祈りに、心を定め、緊迫感をもって祈り始められました。

そしてこのようにも言われました。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」(38)と。

弟子たちには、「目を覚まし、起きて私を見張っていてほしい。祈りを共にしてほしい」と願ったのです。それほどまでに、この夜の主イエスは、不安と孤独の中にあったと想像します。

「祈りを中断する主イエス」

ところが、一度祈り終えた主イエスが弟子たちのところに戻ってみると、彼ら弟子たちは皆眠っていたのです。

少し不思議だと思うことがあります。三度祈ったとあります。これは何度も何度も祈ったということです。しかもその祈りを中断しては、待たせておいた弟子たちのもとに戻られるのです。なぜ祈りを中断し弟子たちの方へ戻ったのか、皆様は不思議に思われないでしょうか。

この時、主イエスの祈りは、「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」(26:39)。この祈りを何度も繰り返しておられたのです。

「この杯をわたしから過ぎ去らせてください」。この祈りの言葉は、十字架から逃れさせてくださいという意味です。主イエスはこの祈りを繰り返しておられたのです。しかし、父なる神の答えは与えられなかったのでした。そのように、主イエスが苦しみ悶えて祈る間、弟子たちはいつも眠っていたのです。

この静かなオリーブ畑で、孤独な主イエスにとっては、今、一緒に祈る「祈り手」が、何としても必要であったのです。それほどに孤独で苦しかったのです。そのため、この夜の主イエスは繰り返して『私と一緒に目を覚ましていなさい』と、言葉を続けたのでした。

「私と一緒に」

マタイ・マルコ・ルカ、この三つの福音書は、ゲッセマネで苦しみ悶える主イエスを描いています。

それぞれ特徴があるのですが、実は今日の聖書、マタイ福音書はその全編で「一緒に」あるいは「共に」という言葉をたくさん使っていることで知られています。

原語のマタイ福音書には「一緒に」という言葉が70回もあるそうです。そしてこれは皆さまがよくご存じの言葉ですが、マタイだけが、彼の福音書の初め、1章23節で「その子の名は“インマヌエル”」、「神がわたしたちと共におられる」というイザヤ書の言葉を引用しています。

そしてマタイ福音書の最後、28章20節では、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる

と記して文章を閉じています。それほどに、マタイは、「復活の主は今、わたしたちと共にいるのだ」と伝えようとしているのです。

マタイが福音書を書いた時代とは、主イエスの十字架の死と復活の出来事から40年以上の月日が過ぎていて、十字架・復活の出来事に直接出会った人々がほゞいなくなり、その教会の、復活の主イエスへの信仰が弱っていたのです。そのためにマタイは「私はあなた方と一緒にいる」という言葉をたくさん使い、復活の主イエスへの信仰を強めようとしたと言われます。

今日のわたしたちはどうでしょうか。復活の主イエスへの信仰を強くしているでしょうか。

「心は燃えても、肉体は弱い。」

26:41で「 誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」このように主イエスは言われました。

主イエスが苦しみに悶える姿を目にしながらも、弟子たちは眠ってしまうのです。それが人間なのです。

弟子たちの最初の眠りの後、

「心は燃えても、肉体は弱い。」これは、まさに人間を指しています。人は、強い思いがあっても、体がついていかないという面があります。この夜、主イエスご自身も同じ人間の感覚に陥っておられました。

血の汗を流して祈っても父なる神は答えてくださらない。頼ろうとした弟子たちは、皆眠ってしまう。

しかし、眠ってしまう弟子たちの様子に繰り返して接した主イエスは、同じ祈りを重ねることによって、次第に、「十字架とは、私が引き受ける働きだ」、その決心を強くしていったのでした。

「激しい叫びと涙の祈り」

招詞でお読みいただいたヘブライ人への手紙5章には、このゲッセマネでの祈る主イエスに触れて、次のように書かれています。

5:7キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。

なんと激しい言葉でしょうか。主イエス・キリストは、わたしたちと同じ肉と心をもって生きられましたが、その生きられた日々は、「激しい叫びと涙の祈り」であったとヘブライ人への手紙は言っています。

私たちはどうでしょうか。少し熱心に祈っても、これほどまで叫ぶでしょうか、またこれほどまで涙を流しながら祈ることがあるでしょうか。

【写真4】 私は、ゲッセマネの祈りを思い浮かべるとき、アウシュビッツの体験を内容とした『夜と霧』の著者、オーストリアの精神科医師フランクルを思い出します。フランクルはユダヤ系オーストリア人であることで、ナチに捕らえられ、最終的にはアウシュビッツに収容されます。

アウシュビッツでは、来る日も来る日も飢えと死の恐怖にさらされ、強制労働に明け暮れていました。時には耐えられなくなって「こんな人生に何の意味があるのだ」と、神に向かって怒りが込み上げてきたと告白しています。しかし、フランクルが何度問うてみても、神の答えはありません。そうしたことが続いたある日、彼は、これまでとは視点を変えてみようと思ったのです。自分の立場からのみ神を仰ぎ見ていたことを止め、神は見ていてくださるという視点に立ったのです。

今、絶望的で無意味な人生に突き落とされていても、これが自分の人生なのだと受け入れるようになり、自分はこの人生を、怒りや絶望感で無意味に終わらせて良いのかと問い始めるようになった。

そしてこのような状況にあっても「今、生かされていることに感謝しよう」、「明日に向かって希望を持ち、今与えられている仲間を愛し、一緒に生きよう」、そう思うようになった。

その時から、自分中心でなく、「沈黙して答えない神と共に生きる生き方」に転換できた。それが生きる力となったと言っています。

神がおられない中で、神を信じることが出来た。

自分が中心でなく、神中心に生きることに導かれたのでした。

このことは、同じ苦しみに生きていたボンヘッファーも言っていました。「神がおられない中で、神を信じる」。

この夜の主イエスは、まさに、答えてくださらない神のみ心を求めて祈り続けておられました。そのみ心とは何であったのでしょうか。

それは神が、ご自分の独り子イエスを、人間の死と滅びの只中に送ることでした。人間は、生まれたそのままでは、罪びとであり、神に受け入れてもらえません。

人間はその罪が砕かれなくてはならないのです。しかし、神が人の罪を砕こうとすれば、人間は滅びてしまいます。神は独り子イエスを、この滅びの世界に送り、滅びゆく人間に、キリストとともに生きる道を備えてくださいました。

「大祭司イエス」

主イエスは、この夜、「御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、・・・」

こうした激しい言葉で祈っておられたと、ヘブライ人への手紙の著者は伝えています。

そして主イエスは死に向かって立ちながら、ただ叫び、涙を流して祈っておられたのではありません。

この日の、主イエスは「大祭司の役目」をしていたのだと、ヘブライ人への手紙は言っています。

【スライド5】 同じヘブライへの手紙5章2節には「大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることが出来る」(ヘブライ5:2)とあります。

この宣教の途中で、「なぜ祈りを中断してまで弟子たちのところに戻るのか」というお話をしました。主イエスは、ただご自分の祈りを叫ぶように祈り、涙を流されていただけでなく、いつも忘れることなく、共に歩み共に祈る弟子たちを思いやっておられたに違いないと思いました。その思いが祈りを止めて弟子の元に行くと言う行動を起こしたのだと思います。

この主イエスは、わたしたちと共にいまし、今も私たちの苦しみと戦ってくださるお方です。

過ぎました3月11日には、2011年のその日から満10年を迎えました。解決されない問題は山積しています。帰宅困難者の方々の打ち続く苦しみ、家族を失った人々の悲しみ、加えて先の見えない放射能汚染の問題に苦闘する人々の声が途絶えることはありません。これらは悪夢となって当事者はもとより、私たちを覆っています。こうした状況の中で、わたしたちは主イエスの受難、十字架の死に耳を傾けるようにと促されています。

復活の主イエスは、今もなお苦闘を続ける方々と共に祈り、一緒に居てくださいます。

復活の主イエスは、一人一人の苦闘を見ておられます。「あなた方も私と一緒に祈ってくれ」と今日も、わたしたちに呼びかけておられます。その主イエスと共に、新しい一週を歩みましょう。

【祈り】

わたしたちには、神様、あなたが見えなくなる時があります。しかし、そのような時にこそあなたを呼び求める信仰を与えてください。あなたは復活のキリストとなってわたしたちと共に、今、ここにいてくださいます。

主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン