見よ、あなたの王が来る

「見よ、あなたの王が来る。」「棕梠の日礼拝」  副牧師 石垣茂夫 2017/04/09
 招詞 ゼカリヤ書9:9 (旧約・新共同訳p1489)   
聖書 ルカによる福音書19:28~40(新約/・新共同訳p147)

今朝の礼拝は、「棕梠の日礼拝」と呼びます。新しい王さまを迎えようとするエルサレムの人々の喜びに溢れた聖書の記事がそうさせるのでしょう。
この「エルサレム入城」の後、聖書に何が書いてあるのかと言えば、主イエスの十字架に向かうお姿なのです。歓迎ムードは一変して、主イエスは十字架の死に向かうのです。その出来事は、その日を含めて六日の後にエルサレムで起きました。
招詞で読まれました御言葉は、旧約聖書・ゼカリヤ書9章9節です。
9:9a 娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。
わたしたちは、「棕梠の日」の礼拝で、ただ過去のことを振り返るのではありません。わたしたち自身が、どなたを王として、自分の内に迎えて歩むのか、この「棕梠の日」の礼拝で、改めて問われるのです。そうした意味で、主イエスの「エルサレム入城」は、わたしたちが「どのような方を王として迎えて歩むのか」、これを決意するために、神が起こされた出来事なのです。
ゼカリヤ書に記された、わたしたちが迎えるべき王とは、どのような方なのでしょうか。
9節後半には、こう書かれています。『神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。』
王と呼ばれる方が“ろば”に乗るということはあり得ないことです。まして“子ろば”には、人を乗せる力は、まだありません。これは明らかに、軍馬に乗る王や兵士と対比しているのです。力で支配する王ではないと言っているのでしょう。
この朝聖書朗読で読まれました箇所は、ルカ福音書19章です。『弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。』
人々がどのような思いで王なる方をお迎えしたのか、ルカならではの特徴があります。
主イエスを囲むようにして、エルサレムに到達した弟子たちの一団は、興奮気味に、城門に向かって進んで行ったのです。他の福音書には、多くの群衆や、エルサレムの人々が主イエスを迎えたと書かれていますが、ルカ福音書ではそれらの人たちは、遠巻きにして冷やかに弟子たちの騒ぐ様子を見ているのです。ルカには、「弟子の群れはこぞって」との言葉によって明らかです。冷ややかな人びとの視線を浴びながら、「弟子たちの群れ」だけが異様にはしゃぎ、歌い、祝いながら進んで行くのです。
19:39 すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。
群衆の中から、「黙れ」、「騒ぐな」と、次々と声がかかったのです。しかし主イエスは、もう黙ってはおられなかったのです。「この者たちが黙れば石が騒ぎだす」(19:40)と言われたのでした。これがルカ福音書の「棕梠の日」」の情景なのです。
ある方は、ここに、現代のわたしたちへのメッセージがあると言われました。
“わたしたちはどうだろうか。「とりあえず」、平和の象徴である“子ろば”に乗った主イエスを歓迎する。そのように迎えつつも、全く別なあるときに、軍馬に乗った強い王の出現することを期待しないだろうか。
あるいは“子ろば”に乗っていながらも、実は強い力を秘めていて、突然、強い力を発揮する、そのような王を期待しないだろうか。“と、警告していました。
その証拠に、熱狂的に騒いでいた弟子たちは、この後わずか六日の後の十字架の時には、主イエスを知らないと言って逃げてしまうのです。なぜなら、主イエスは、弟子たちの期待を裏切った王だったからです。弟子たちですら「とりあえず」主イエスを王として迎えていた一団でしかなかったのです。

間もなく、主イエスは十字架におかかりになられます。
「主イエスの十字架」。それは、わたしたちを苦しめる心の闇、わたしたちを取り巻く病や死に対して、主イエスはわたしたちと共に戦ってくださるということを表わしています。主イエスは十字架に架けられてまで、わたしたちに勇気と力と支えとをお与えくださろうとされるそのような王なのです。
この主イエス・キリストを、この朝、わたしたちは真の意味で「わたしたちの王として」お迎えしましょう。主イエスの、わたしたちへの入城、主イエスのご到来に備えて、わたしたちの信仰を目覚めさせていましょう。
これからも主の御言葉を共に味わい、共に賛美し、主イエスにお会いしつつ、信仰の道を歩ませて頂きましょう。
[祈り]
神さま。御言葉の導きを感謝します。
わたしたちはこの朝、「どのようなお方を王として迎えて歩むのか」を決意するようにと促されています。この世界は、依然として武力に頼る世界です。いつも解決は武力に頼ってしまいます。
そのようなわたしたちに、柔和なろばに乗り、敢えて危険なエルサレムに向かい、十字架に掛る決意をされた主イエスを、王として迎え歩むようにと示されました。
この世界の多くのことに責任を持つ方々に、あなたの支えと導きを与えて用いてください。礼拝の恵みに感謝して、主イエスキリストのみ名によって、この祈りを、みまえにお捧げします。アーメン