試練に打克つ信仰

「試練に打克つ信仰」 七月第二主日礼拝 宣教 2022年7月10日

 詩編 27編1〜14節     牧師 河野信一郎

おはようございます。神様のお導きと祝福の中、今朝このように皆さんとご一緒に礼拝をおささげできる幸いを神様に感謝いたします。正直申しまして、この宣教の出だし、最初にどのような言葉で切り出して良いか、どこから話し始めて良いのか、本当に苦慮いたします。

先々週の猛暑とは打って変わって、先週はとても過ごしやすい1週でした。期待したほどの雨が降らなかったのが残念でしたが、暑さから少し解放されて感謝でした。しかしそういう中で、水曜日あたりから全国的にコロナの新規感染者数が増え始め、東京ではあっという間に8千人を超え、昨日は先週土曜日の2倍以上になる9716人と報告されました。教会員の方から早速メールがあり、収束するまでオンライン礼拝に切り替えますとの連絡がありました。

そして金曜日のお昼前に、安倍元首相襲撃事件という耳を疑う衝撃的な一報が入り、アメリカでなくて日本でもそういう事件が起こったかと非常に動揺しましたが、夕方5時過ぎにお亡くなりになられたという悲しい報道を耳にしました。安倍さんの突然の死に日本中が衝撃を受け、アメリカの友人たちからも「お悔やみ」のようなメールが何通も届きました。

とても自己中で、身勝手なことを言って、皆さんを躓かせてしまうかもしれませんが、わたしにとって、新型コロナ新規感染者の再拡大と安倍元首相の痛ましい死のニュースがなければ、先週は嬉しい事や楽しみにしていた事ばかりでした。予期せぬプレゼントが妹から届いて感動したり、娘の誕生日があったり、大リーグの大谷翔平選手の投打の大活躍とオールスター選出のニュース、そして一番はアメリカの教会の姉妹たちとの再会、しかも礼拝で特別賛美をしてくださるという大きな期待と喜びで心がワクワクの状態でした。しかし、神様の御心はわたしの喜びの中にだけあるのではないということを再び味わうことになりました。

人生には、いろいろな事が起こります。予定通りのこともあれば、不測の事態が突然起こったりします。良いことも悪いことも、嬉しいことも、悲しいことも起こります。人生は平坦でも、まっすぐでもなく、紆余曲折、上り坂も下り坂もあり、「ま坂(まさか)」も起こります。しかし、真実は一つです。それは、主なる神様が、本当に不思議で、驚くべきご計画をもって、すべてをご支配されている。しかし、わたしたち人間はそれをすべて把握することも、プロセスすることもできないということです。わたしたちには選択肢は二つしかないと思います。それは、神様を今までと同じように無視し続けて生きるか、それとも神様を畏れ敬いて生きるか、このどちらかしかないと思います。神様を無視して生きるとは、すべて当たり前の権利、自由として捉え、当然のように生きるということです。神様を畏れ敬いて生きるとは、すべてを神様からの恵みとして感謝して、主を賛美して生きるということです。

わたしたちの、特に物質的にも経済的にも豊かな国に生きている人たちの弱さは、当たり前でないものを当たり前のように捉え、受けて当然かのように生きる傲慢さです。それを心の貧しさと呼び、傲慢な人々の中に差別やむさぼりや争いが起こります。貧しい国に生きている人たちの強さは、すべては当たり前、当然ではなく、恵みであると捉える心の豊かさです。

今朝、皆さんとこのように礼拝をおささげできるのは、当たり前でも、当然なことでもなく、すべて神様からの恵み、憐れみ、祝福なのです。礼拝の基盤・根底は神様の愛と憐れみです。

今朝の礼拝の中で、驚くべき音楽の賜物がある若きチェリストの素晴らしい特別賛美を神様と一緒に聞く事ができたのも、神様からの恵みです。礼拝堂での礼拝に出席された方々は、姉妹を通して、大きな感動と祝福を神様から受けられたと思います。5月の兄弟のビオラの賛美と今朝の姉妹の演奏をどちらもお聞きになられた方々は最高だと感じておられると思いますが、姉妹にはこれからも演奏の技術と感性を磨いていただき、世界を飛び回って活躍していただき、来日された際にはまた来ていただきたいと思います。ありがとうございました。

さて、大久保教会の誕生月であるこの7月、大久保教会の伝道所の時代から設立された時期までに歴代の牧師たちを通して神様が語られたみ言葉を一緒に聴いてみるという大それたこと、大冒険をすることにしましたが、先週は1965年の教会設立直前に保田井建牧師を通して語られたみ言葉に聴きました。今朝は、1961年の西大久保伝道所の時代の牧師であられた丹羽勇牧師を通して語られたみ言葉をご一緒に聴いてゆきたいと願っています。今から61年前に語られたみ言葉です。皆さんの中には、「自分には関係がない」とお感じになられる方もおられると思いますが、もしかしたら、そのようにお感じになられている方に最もふさわしい神様からの語りかけ、宣教になるかもしれませんので、お付き合いいただきたいと思います。

ここに一枚の伝道所時代の写真があり、黄色い円で囲っているのが丹羽牧師です。教会に残されています古い週報によりますと、丹羽先生は大阪のご出身で、大阪大学建築科を卒業された後、アメリカの三つの大学で、宗教学、心理学、神学を学ばれ、卒業なさった秀才であられますが、1958年頃からバイブルスタディー、夕礼拝等で宣教師の通訳として関わり始めてくださり、日常は当時の厚生省・国立ろうあ者厚生指導所で働かれていました。今の日本に必要なバイボケーショナルの牧師、平日は一般の会社で働いて、日曜日は教会で働くという兼職牧師でありました。1959年11月15日の週報には神様が丹羽先生を牧師として遣わしてくださったという喜びの報告が記され、1963年まで牧師の働きを担ってくださいました。その後、国連で働かれることになり、スイス・ジュネーブの事務所に転勤になられました。

さて、1959年代の週報を見ていて驚くことは、礼拝の次第に当日の聖書箇所や説教題が記されていないことです。週報にはテンプレートがあったようですが、それでも多くの部分は手書きで、綺麗な字で書かれています。礼拝の次第やお知らせなど書き記すのに相当な時間を要したと思います。記されているのは賛美歌の番号だけで、説教者の名前も、聖書箇所も、説教題も記されていません。そのような情報が毎回週報に記されるようになったのは、もっと先です。宣教師の方々や二足の草鞋を履いて奉仕くださった丹羽牧師のご苦労を感じられます。週報に最初に記された丹羽先生の説教の聖書箇所は、エペソ人への手紙4章1節から7節で、題は「教会の使命」でした。他にもイエス様の十字架の7つの言葉をシリーズで説教されたり、クリスチャンの本質や姿勢、また教会の本質に関わる主題が多いようでした。

そのように神様が丹羽牧師を通して語られたみ言葉は多々ありますが、61年前に丹羽先生を通して神様が語られたみ言葉で、わたしが今回選ばせていただいたのは詩編27編です。先生が付けられ説教の主題は「試練に打克つ信仰」。古い言葉使いですね。漢字も違います。現代であれば「試練に打ち勝つ信仰」になるでしょうが、あえて61年前の週報どおりにしました。

では、なぜ詩編27編を今朝の聖書箇所として選んだのかという理由ですが、61年前の週報に記されていますお知らせや祈りの課題の欄を念入りに読み進めてゆく中で、その当時に伝道所に集っていた人々が負っておられた重荷と今日のわたしたちが負っている重荷、課題、問題になんら変わりがないということが分かったからです。そういう事を丹羽先生は牧師として全て理解し、教会に集う皆さんの重荷を共に引き受けた結果、詩編27編が導かれたのだと強く感じました。私の勘など当てになりませんが、これは一種の牧師の「勘」です。

さて1959年と1960年の週報を一枚一枚読んでゆきますと、様々な情報が記されています。誰々さんが手術を受けて入院されている。誰々さんのお子さんが結婚された。誰々さんが大学に入学された。お父様やお母様のお見舞いに郷里に戻られている。ご家族の中に不慮の事故に遭われたとか、大切な人との死別の知らせもありました。残念ながら遠くへ転勤になられたとか、実に様々な祈りの課題が記されています。バプテスマを大井教会で何名受けたとか、バプテスマ準備クラスに何名参加されているとか、そういう嬉しいことも記されていますが、試練のただ中に立たされている方々や神様を求めておられる方々がひっきりなしに集会に集われて求めていることが記されています。丹羽先生ご自身も持病があられたようで、週報には何度も「ご健康の一日も早く回復されんことを何卒御祈り下さい」とあります。

今は、インターネットにつながっていると、スマホやパソコンで問題解決方法を検索して、情報をささっと得ることが当たり前の時代になっています。しかしその反面、人間関係が希薄になって、どんどん孤立し、独りで問題を抱え込み、苦しみ悶えてしまう人が大勢います。しかし、61年前は、情報は少なかったけれども、人間関係、絆はもっと強く、助け合いはごく自然であったようですから、人生に課題のある人が周りにいたら、すぐに教会に誘って連れてくることが多かったようです。当時の教会のほうが、今よりももっと人間味があって、思いやりがあって、少しおせっかいでも、輝く光のように魅力的であったのかも知れません。

さて、今朝わたしたちに与えられている詩編27編に聞いて参りましょう。この詩はダビデの詩とありますが、彼自身が非常に困難な状況、試練に置かれていたようです。1節で「主はわたしの光、わたしの救いわたしは誰を恐れよう。主はわたしの命の砦わたしは誰の前におののくことがあろう」と言ってますが、主なる神様は「光」とは疑いや迷いや恐れの中にあっても歩むべき道を照らしてくださる方であるということです。「わたしの救い」とは、あらゆる困難や悪の力からも救ってくださる勝利の神ということです。「命の砦」とは、危険にさらされ、失意落胆しそうな時も要塞のように命と信仰を守ってくださる神ということです。ダビデは神様を第一とすることで、恐れや試練に対して先手を打ったのです。先手必勝です。2節と3節は神様への信頼があるので何があっても動じないという確信に満ちた言葉です。

わたしたちが日々の不安や恐れから解放されて生きる一つ目の秘訣は神様を信じ、委ねてゆくことです。ダビデの願いが4節にあります。「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り主を仰ぎ望んで喜びを得その宮で朝を迎えることを」とあります。二つ目の秘訣は神様との親しい交わり、関係性を持ち続け、神様の恵み深さをよく味わい、主の愛と慈しみを喜び、感謝するということ、礼拝をささげるということです。それが信仰生活、教会生活、礼拝生活の基本です。教会につながることは大切なのです。

5節と6節に「災いの日には必ず、主はわたしを仮庵にひそませ幕屋の奥深くに隠してくださる。岩の上に立たせ、群がる敵の上に頭を高く上げさせてくださる。わたしは主の幕屋でいけにえをささげ、歓声をあげ主に向かって賛美の歌をうたう」とあります。「仮庵、幕屋」とは、神様の家、隠れ家、懐の中で、主のご臨在の中で魂の安らぎと勝利が与えられます。わたしたちに大切なのは、この幕屋、教会を用意してくださっている神様を喜ぶことです。

7節から14節には、主なる神様に信頼することの大切さが記されています。苦しみや迷いの中でわたしたちの叫びを聞いて、憐れんで答えてくださるのは神様です。わたしたちに大切なこと、それは8節にあるように「主のみ顔を尋ね求める」ことです。「尋ね求める」とは、礼拝をおささげするということです。ここで重要なのは、神様が喜ばれる礼拝をおささげするということで、わたしたちが「恵まれる礼拝」ではないということ、主に仕える礼拝です。

9節の「御顔を隠すことなく、怒ることなくあなたの僕を退けないでください。あなたはわたしの助け。救いの神よ、わたしを離れないでください、見捨てないでください」という言葉は分かりづらいと思いますが、これは「わたしを主の家で礼拝者とさせ続けてください」という意味で、これからも礼拝者として生かしてくださいという嘆願、願いです。10節は、神様の愛と真実さ、保護の確かさは、親が子を思う思いよりも不変で強いということです。

11節に「主よ、あなたの道を示し、平らな道に導いてください。わたしを陥れようとする者がいるのです」とありますが、神様の道を求めること、その道を歩み続けることの大切さが叫ばれていますが、神様が与えてくださった道、それは救い主イエス・キリストです。このイエス様が、わたしたちを導いてくださり、わたしたち一人一人の歩みを守ってくださいます。

わたしたちに大切なのは、13節にあるように「わたしは信じます」という神様への信頼、信仰を持つことです。この信仰は神様から与えられる恵みであり、この信仰とは「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリスト・イエスの言葉を聞くことによって始まるのです」とローマ書10章17節にあります。

14節に「主を待ち望め」という言葉が2回記されています。新約の時代に生かされているわたしたちは、救い主を待ち望む必要はありません。救い主イエス様はこの地上にきてくださり、ご聖霊として常にわたしたちの近くにおられ、わたしたちがいつも主に目を注ぎ、主と共に生きることを待っておられます。救い主がいつも共にいてくださるので、わたしたちに試練が立ち向かってきたとしても恐れる必要はないのです。イエス様が、試練に打ち勝つ力、復活の力であるからです。

ローマ8章31節に、「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」とあります。主にあって日々謙遜に、心優しく生きましょう。それが「強く生きる」ということであり、本当の信仰ではないでしょうか。