同じ熱心を抱こう

「同じ熱心を抱こう」 一月第五主日・協力伝道を覚える礼拝 宣教 2022年1月30日

 コリントの信徒への手紙Ⅱ 8章16〜24節     牧師 河野信一郎

おはようございます。全国的にオミクロン株の急拡大が続き、過去最多の感染者数を連日更新しているような厳しい状態ですが、感染症の専門医のアドバイスに従い、オンラインのみの礼拝に先週から切り替えて良かったと神様に感謝し、アドバイスくださった兄弟に感謝しています。今朝も、皆さんとご一緒に礼拝をおささげできて、本当に感謝です。

東京都の過去1週間の一日の平均感染者数は1万4千人と昨日報道がありました。自宅療養者の数が5万人を優に超えたそうですが、今は誰が感染しても本当におかしくない状態です。また、様々な施設(病院や高齢者施設、学校や保育園、郵便局やコンビニ等)で働く人を確保することが非常に難しく、綱渡り状態であるということですが、牧師とその家族も感染から例外ではなく、また奏楽の奉仕者、配信作業をしてくださっている方々も同様です。教会の機能と言いますか、礼拝と宣教の働きが滞ることがないようお祈りください。

さて、ここで皆さんに一つ質問です。皆さんが歩いている時、目の前で子どもや大人が突然倒れたり、あるいは倒れていたら、皆さんはどうされるでしょうか。他にも歩いている人がいるので、そのうちの誰かが助けるだろうと思い、通り過ぎるでしょうか。では、自分の家族が倒れていたら、他の誰かが助けてくれるだろうと思い、何もしないでしょうか。

先週、とっても腹立たしく、悲しい事件が起きました。皆さんもご存知だと思います。電車内の優先席で寝転びながら加熱式タバコを喫煙していた28歳の男に「タバコは止めてください」と言った高校2年生に対して、逆上した男が暴行を加え、重傷を負わせたという事件です。この高校生は喘息の持病があり、タバコの煙で発作が出る危険性があったと聞きました。年下に注意されたことに逆上した男は、高校生を威嚇し、彼が男を少し押したということで土下座させ、殴る蹴るの激しい暴行を15分も続け、駅のホームでも暴行は続いたそうです。

昔わたしも小児喘息を患った苦しい経験がありますし、タバコやお線香などの煙と匂いは今も苦手です。逮捕された男は、「喧嘩を売られた。正当防衛だ」と主張しているそうですが、本当に怒りがこみ上げてきます。しかし、この事件の内容で最も驚いたのは、車内にいた他の大人や同級生たちが被害者を助けなかったということ、傍観者でいたということです。

ここ1年の間に電車の車中での悲惨な殺傷事件が立て続けに起こっています。今回の事件についてテレビのニュースを見ていましたら、防犯学校の校長が「相手を刺激しないよう視覚に入らない場所から通報する」ことを推奨し、「相手が凶器を持っている危険性があるため、居合わせた乗客が止めに入るのはNG」、さらに「ちょっと離れた場所から誰かが動画を撮ること、最近は誰でもスマホを持っているから動画を撮れば、後で証拠になります」と言っていることに、自分の家族が被害に遭っていてもそうするのかと不信感を抱きましたが、大怪我を負った高校生と何もしなかった、できなかった同級生たちが高校での最終学年、またその後の人生でも、どのような友情関係性を持つのかと心配になってしまいます。

もし自分の家族、兄弟姉妹が危険な状況に置かれている時、誰かが助けてくれるだろうと思い、何もしないで傍観者のままでいられるでしょうか。「自己責任だ。家族にいっさい迷惑をかけないでくれ」と云えるでしょうか。それって、果たして本当に家族でしょうか。はい、そういう家族もあるのかも知れません。家族でも薄情な人は確かにいます。もしかしたら、誰も助けなかったことに怒りを抱いているわたし自身が、そのような暴力の現場に遭遇したら、すーっと消えてしまうのかも知れず、偽善的な綺麗事を言っているのかも知れません。

さて、今朝の礼拝は、「協力伝道を覚える礼拝」としてささげ、わたしたちの教会が加盟しています日本バプテスト連盟という協力伝道体の働きと連盟に加盟している全国の318の教会・伝道所の歩みを覚えて祈る8日間、「協力伝道週間」のスタートを切る礼拝としています。今朝は、礼拝の第二部で週間のアピールをする予定ですが、第二部に参加できない方々もおられますので、あえてこの第一部の宣教の中で大切なことを分かち合わせていただき、コリントの信徒への手紙Ⅱの8章から、神様の御心をご一緒に聴いてゆきたいと願っています。今朝の宣教の主題とチャレンジはキリストにあって「同じ熱心を抱こう」ということです。

1947年に福岡の地で16教会が集まって日本バプテスト連盟は結成され、2022年の現在では、北は北海道・旭川市から南は沖縄・那覇市まで、全国に318の教会・伝道所があります。数字だけ見れば比較的大きな伝道協力体ですが、内実はそんなに明るいものではありません。

2020年度の連盟のデータを見ますと、フルタイムの牧師を招聘するための目安として、経常献金は最低でも年間500万円必要とされていますが、318ある教会・伝道所の約半分に当たる164の教会・伝道所が経常献金500万円以下の状態です。300万円以下の教会・伝道所、7年前は77でしたが、現在はプラス23の100です。100万円以下の教会・伝道所は16あります。

大久保教会は、現在会員数は30名と少ないのですが、祝福されていて、経常献金は770万円ほどでした。しかし、連盟には経常献金が1000万以上の教会が58もあります。大きな教会ほど大規模な施設を持ち、光熱費や維持費、人件費だけでも相当な額になりますから、一概には言うべきではないですが、この不釣り合いさを感じていただきたいと思います。

今朝の第二コリント8章は、マケドニア地方に滞在する使徒パウロから商業都市コリントにある諸教会へ献金のお願いがされている箇所ですが、パウロ先生は諸教会に対して、強制されてではなく、自発的で信仰からくる喜びと感謝を持ってささげられる献金を励ましています。その中の14節に、「あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです」とあります。

ここに「釣り合い」という言葉があります。他の聖書訳ですと、「平等」という言葉に訳されています。この「釣り合い・平等」というギリシャ語には「一体となる」という意味があります。つまり、諸教会がお互いの欠乏を補い合うということは、ユダヤ人クリスチャンの教会と異邦人クリスチャンの教会が一体となる、一体と成りうるということをパウロ先生は言わんとしているのだと思います。そして一つとなることが神様の御心だと聞こえてきます。

健康な体は、すべてにバランスがとれています。心も、体も、日々の生活も、家庭も、人間関係も、良好なバランスが大切です。心や体のバランスが崩れると健康が弱くなってしまいます。人間関係もアンバランスになると裁き合い、悩み、苦しみ、傷つき、祝福から転げ落ちてしまいます。家庭も、教会も、連盟もみな同じです。心のバランス、健康が大切です。

連盟の全国の諸教会は、13に分けられた地方連合に入り、その連合内で協力しあって活動することが多いのですが、13ある地方連合の中で、経常献金が500万円以下の教会数と500万円以上の教会数でアンバランス、つまり500万円以下の教会数が500万以上の教会よりも多い連合は7つあります。特に大変なのが関西と南九州、そしてその次が中四国と北九州です。

皆さんは、「協力伝道週間」と聞くと「あぁ、また献金の要請か」と思われるかも知れません。確かにお祈りのお願いと献金のお願いがセットになっている形です。「やだなぁ」と思われる方もおられると思いますし、「自分には経済的にそんな余裕はない」と直感的に思われる方もおられると思います。私もそのうちの一人です。正直に言えば経済的なゆとりはありません。

すべての人が経済的に余裕のある生活をしているわけではありません。金銭的に日々綱渡りの状態か、なんとか毎月やりくりして生活している、そういう人もおられるわけです。しかし、自分の家族、兄弟姉妹が倒れかかっていたら、わたしたちはどうするでしょうか。心の中で「ごめんなさい」と叫んで、目をつむって、その場所を足早に離れるでしょうか。あまりにも悲惨な状態に圧倒され、傍観者として何もせずに、ただそこに立ち尽くすでしょうか。

パウロ先生がコリントの教会にこの手紙を書いている最中、飢饉で苦しんでいるエルサレム教会の兄弟姉妹のことが頭から離れませんでした。パウロ先生も一緒に苦しみ、どうにかできないかと探しあぐねていましたが、エルサレム教会を支援したいと最初に手を挙げたのはマケドニア州(ギリシャ北部)の貧しい土地に立てられていた諸教会の兄弟姉妹たちでした。

パウロ先生は、「彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなった」、「彼らは力以上に、自分から進んで、聖なる者たち(エルサレム教会の会員たち)を助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりに願い出た」と言っています。このマケドニア州の諸教会と同じ愛と熱心さがコリントにある諸教会にも伝わってゆきました。

今朝、わたしたちもマケドニアの諸教会の兄弟姉妹たちと同じ愛と熱心さを抱かせていただきたいと思うのです。しかし、この愛と熱心さを抱くため、いえ、抱かせていただくためには、いくつかのステップがあります。一つ目は、イエス様に目を注ぐということです。主イエス様に目を注ぐとは、イエス様がわたしを救うために何をしてくださったのかという真実・恵みに目を留め、その恵みを確かめるということです。そのために、二つ目のこととして聖書を読み、聖書からイエス様の心を知るということです。そして聖書に聞いたならば、三つ目に、主の導きと励ましを求めて祈るということです。この三つがあってこそ、神様とイエス様から聖霊を通して愛と熱心さが与えられるのです。

主イエス様の愛と恵みをパウロ先生は次のような言葉で表現しています。「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです」と9節にあります。主の貧しさによって豊かにされている。

困窮している諸教会を支援すること、その支援を継続してゆくことは容易いことではありません。一つの教会ではできないのです。だからこそ、主から与えられた愛と熱心さを抱く小さな諸教会が一緒になって、それぞれ貧しいものを持ち寄り、分かち合うとき、主イエス様が5つのパンと2匹の魚をもって五千人を満たされたように、わたしたちの献げるわずかなものを祝福して用いてくださるのです。「自分の力でなんとかしなければ!」と意気込んだり、「自分にはこれしかない」と最初から諦めてしまう前に、まずイエス様を見上げましょう。聖書に聴きましょう。そして心を一つに祈りましょう。そうしたら、お金では求めることのできないもっと素晴らしい祝福を神様は与えてくださるはずです。

主イエス・キリストを通して神様に助けを祈り求めた時、パウロ先生はテトスという協力者、同志を得ました。それだけではありません。テトスと同伴して働く評判の良い人を二人も備え、与えてくださいました。エルサレム教会を危機から助ける誠実な人々が神様から与えられ、主イエス様を通して彼らにパウロ先生と同じ愛と熱心さが与えられました。

イエス様を通して神様から与えられる愛と信仰と熱心さは、ユダヤ人、異邦人関係なく、イエス様を救い主と信じるすべての人に伝わり、広がってゆきます。この広がりはわたしたちに平安と希望と喜びを与えます。絶妙なバランスが与えられ、一致が与えられます。これは人の業ではなく、神様の御業であり、恵みです。この働きに手を挙げて協力する時、23節にあるように「キリストの栄光となります」。だから、24節、主にある愛と熱心さを抱きつつ、わたしたちの愛と信仰と祈りの証しを全国で苦闘している諸教会と分かち合いましょう。心を柔らかくし、感謝と喜びをもって、協力伝道の働きに参加できる恵みに生かされましょう。