2015年12月賛美曲

2015年12月の大久保バプテスト教会の賛美曲

 新生讃美歌176 「主は豊かであったのに」

(初行)飼い葉おけのなかに (曲名)OKUBO CHRISTMAS

作詞 中條謙治、中條智子(1997)       作曲 山中臨在(1997)

 

今年わたしたちは、大久保バプテスト教会 教会組織50周年という記念すべき一年を過ごしております。12月の賛美もこのアニバーサリーイヤーにふさわしく、大久保バプテスト教会から生まれた賛美歌を選びました。

作詞者の中條先生は、50周年記念感謝礼拝のときに宣教を担ってくださり、私たちと一緒に50周年をお祝いして下さいました。この大久保バプテスト教会の前任牧師でいらっしゃいます。連盟から出されている「新生讃美歌ハンドブック」より、この賛美歌ができた背景をご紹介したいと思います。

「1997年、中條先生ご夫妻が三島教会に赴任する前の大久保バプテスト教会での最後のクリスマスに、当時、やはり大久保バプテスト教会員だった山中先生(現・浦和教会牧師)から、教会内での賛美歌創作の推進を受けて、クリスマスのために教会オリジナルの賛美歌を作る提案がなされ、この賛美歌が生まれました。

『聖書が語ることをそのまま歌いたいと願いつつ、“貧しくなられた主”に従うものでありたいとの思いを込めて作りました。賛美歌は“民(共同体)の信仰であると思います。みなさんで(会衆によって)歌っていただけると嬉しいです。クリスマスに作りましたが、いつでも主の生涯を覚えるときに賛美してください』

わたしたちは、11月からアドヴェント、クリスマスまで『希望』を大きなテーマとして過ごしています。わたしたちの希望の源である神さまはどのようにこの世に来てくださり、その生涯を過ごされた方なのかということが、フィリピの信徒への手紙2:6-8の聖書のみことばをベースにしたこの賛美の歌詞の中で語られています。

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピの信徒への手紙2:6-8)

神のひとり子であるイエス・キリストがりっぱな王室ではなく、普通の客間でもなく、馬小屋のなかに生まれてくださったのがクリスマスの出来事です。だからこそ、貧しい羊飼いたちが真っ先に拝みにくることができました。この出来事の中にもわたしたちの主であるイエスさまがその神であるという身分に固執せず、ご自身が貧しくへりくだられる方であること、豊かな社会の片隅で貧しく弱く小さくされている者に寄り添い、その者と共に生きてくださる方であることがあらわれています。大久保バプテスト教会がこれまでもこの貧しくなられた主に従って歩んできたように、これからもこの主に従い、この主に希望を置きつつ、主と共に歩む私たちでありたいと願います。