宣教要旨「箱舟を造り、入りなさい」 副牧師 石垣茂夫 2017/08/20
招詞:哀歌3:32,33 (旧約聖書p1,290)
聖書:創世記6:5~22(旧約聖書p8) マタイによる福音書24章35節~39節(p48)
創世記6章以下、聖書のノアの時代になりますと、人間については、「地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計る」(6:5)と神さまは言われました。人は造り主である神さまの言葉を聞かなくなっていきます。その結果、人の心と行動には、深く根付いた「罪の力」が働いていくことを教えられます。罪、あるいは悪というものは、あらゆる人を飲みつくして、人間の中に広がっていったと、聖書は告げています。それでは、そのような罪にまみれたわたしたちはどうしたらよいのでしょうか。
6:6 地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。
6:13 神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。」
神は悲しみ、心に痛みを感じながら、まだ始められたばかりの世界を、もう終わらせようと、洪水を決断しなければならなかったのです。“心を痛められた”という言葉に、神の苦しい胸の内を感じます。ただ、この恐るべき神の決断を、ただ一人聞くことのできた人が居ました。それがノアでした。
「 これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢(むく)な人であった。ノアは神と共に歩んだ。」(6:9)。聖書では、神との交わりに生きている人、神と共に歩んでいる人、そのような人を無垢な人と言います。ノアは、「神なしで生きている人たち」の中で、ただ一人、神と共に歩んでいたのです。そのような時に、ノアに対していよいよ箱舟建造の命令を神が与えます。箱舟は水に浮かぶだけの巨大な木の箱です。自分で行く先を決めたり、進めたりすることの出来る“舟”ではないのです。神は、そのようなものを造りなさいと命じたのです。全てを滅ぼすと決心された神は、ノアの一族をもって命をつなごうとされる、憐れみの神でもありました。命をつなぐ役目を与えられたノアは、箱舟を出た時、真っ先に「主のために祭壇を築いた」(8:20)のです。
マタイによる福音書24章を合わせて読んでいただきました。主イエスは、自分を十字架につけようとしている人々に向って、ノアの物語を例として、次のようにお語りになりました。
24:34 はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。
24:35 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
24:36 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。 24:37 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
24:38 洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。
24:39 そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。
特に38節以下の言葉は、ご自分を十字架につけようとしている人たちに向かって、主イエスに「終りの日」の予告を聞かされても、「自分には関わりない」と、どこかで思っているのではないのか、そのように問うた言葉です。
『食べたり、飲んだり、嫁いだり』という日常生活のことが書かれています(ルカ24:38)。主イエスはこれが無意味だと言っておられるのではありません。終末は父なる神が決めることで、いつなのかは誰にもわからないし、主イエスご自身ですらご存知ないのです。問われているのは、そうした日常の中で、“神さまと向き合っていますか”、“滅びを知って生きていますか”ということです。
私たちも2011年の3・11の地震による大津波を目の当たりにしました。人々の目の前で、多くの命が失われていきました。ノアの洪水に描かれていることは、それ以上の、世界規模の想像を超えた壊滅的な出来事でした。これをノアの家族はどのような思いで見て、耐えていったのでしょうか。
ノアとその一族は、人間の罪と、それがもたらす結果が、どんなものなのかを嫌というほど見せつけられました。罪の裁きとしての死、滅亡ということを充分経験したうえで、彼らは新しい世界で生きるようにと導かれ、箱舟の外に出ることを許されました。
外に出たノアが真っ先にした事は、神を礼拝することでした(8:20)。
わたしは箱舟の中のノアも、日々礼拝を重ねていたと思うのです。そうでなければ、箱舟を出てすぐ、何をするよりも先に、礼拝の姿勢を取ることはできないことでしょう。
神の思いは、人類を滅ぼすことではありません。わたしたちを苦しめたままにしておくことではありません。神との交わりに生きる人を生み出すことです(創世記1:27,哀歌3:32,33)。
教会は現代の箱舟と言われます。主イエスの十字架の死を通して立てられた教会の門は、いつでもすべての人に解放されています。罪の奴隷として、滅びに向かって生きるしかなかったわたしたちは、キリストに手を差しだされて、この箱舟としての教会に引き入れられた者たちです。キリストはこの朝も、この教会で「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(ルカ24:35)と言ってくださっています。
わたしたちは、主イエスが、ご自分の命を捧げ、滅びる事のない言葉を聞く礼拝へと、今朝も招かれました。
「あなたがたも箱舟を造りなさい。そしてそこに入りなさい」と神はわたしたちに呼びかけておられます。わたしたちは「現代の箱舟」である教会を形造(かたちつく)りながら、神さまのご用を続けてまいりましょう。
『ここに箱舟があります。ここに来て、滅びることのない神の言葉を聞き続けましょう』。このように人々に告げるため、この一週も、それぞれの場に遣わされて参りましょう。