「あなたに力を与える神」 新年礼拝 宣教 2023年1月1日
詩編 84編6〜8節 牧師 河野信一郎
おはようございます。新年、明けましておめでとうございます。2023年の初日の朝、礼拝堂に集っておられる皆さん、そしてオンラインで礼拝に出席されている方々と共に新年の礼拝をおささげできる恵みを神様に感謝いたします。大久保教会に連なる皆さん、今年もどうぞよろしくお願いいたします。元日と日曜日が次に重なるのは、11年後の2034年ですので、今朝の新年礼拝に招かれ、礼拝者とされている幸いを神様に感謝したいと思います。
また、今朝の礼拝は、ロスアンゼルスの教会の皆さんもビデオで出席されることになっていますので、ドイツ在住の姉妹とあわせて、日本から新年のご挨拶をさせていただきます。新年、明けましておめでとうございます。今朝の礼拝者の皆さんの新しい年の歩みの上にも、神様のお守りと祝福とが豊かにありますようにお祈りいたします。
また、YouTubeやフェイスブックのビデオを後でご覧くださる方々にも新年のご挨拶いたします。新年、明けましておめでとうございます。どなたが、いつ、世界のどこから参加されているのか、まったく見当がつかないのですが、とても嬉しいです。歓迎いたします。
先週のクリスマスの夜、とても不思議な現象が起こりました。大久保教会ではYouTubeで礼拝をライブ配信し、ビデオでも礼拝できるようになっていますが、朝のクリスマス礼拝の視聴数は、今朝までの数字ですが29回です。前の晩のイブ礼拝の視聴数は69回。しかしクリスマスの夕べの礼拝は、なぜか186回でした。今年一番目の多さです。ちなみに二番目に多かったのは、全国と沖縄に知り合いの多いG牧師がメッセージされた時で111回です。
どうしてそんなに多いのか、その理由は分かりませんし、わたしは何でも数字で判断するのは好きではありません。あまり信用していません。しかし、とても不思議なことです。礼拝ではKさんとPさんご夫妻が主を賛美してくださいました。わたしは、歌い出しで何度も失敗しましたが、アカペラで主を賛美しました。出席者の皆さんとクリスマスキャロルも賛美しました。だからと言って、数がこんなに一気に増えるでしょうか。最初にわたしの家族が気付きました。そして家族と話している時に、「朝の礼拝の後に、駅前や交差点で教会のトラクトや韓国海苔を配ったからではないか」という意見が出ました。わたしは、すぐにそれに違いないと思いました。祈りと信仰の力によるものに間違いないと感じました。
イブ礼拝の時にも新しい来会者が2名与えられました。夕礼拝の時にも2名与えられました。このクリスマスシーズンにYouTubeやフェイスブックで礼拝に参加された数、礼拝をご覧になられた数は分かりませんが、その中から神様の愛を知り、イエス様につながる方々が起こされることを一緒に祈りましょう。神様にできないことは何一つないからです。わたしたちを祝福してくださる唯一の方は、神様です。父なる神、御子イエス・キリスト、そして聖霊の三位一体の神です。わたしたちの願う祝福の源は、愛の神様だけです。
さて、今朝は皆さんに一つお願いがあります。礼拝堂におられる皆さんの前に小さな紙と鉛筆があると思います。オンラインの方は何か筆記用具をご準備いただければと思います。もしお手元に何もなければ、お心に書きとめてください。よろしいでしょうか。お願いというのは、今からお尋ねすることに一つ、二つの言葉を書いていただきたいのです。
はい、それではお尋ねします。今朝から新しい年、2023年が始まりました。皆さんにとって、この年はどのような年になるでしょうか。とても楽しみすぎて、期待で気持ちが高ぶっている方もおられるでしょうし、不安材料があまりにも多すぎて心が落ち込み気味な方もおられるかもしれません。この新しい年を歩み出してゆく中で、得られるものならば、皆さんは、どのような「力・強さ」を得たいと願われるでしょうか。一つ、二つ、三つでも結構です。手にしたい「力・強さ」を書いてみてください。「能力」でも良いでしょう。
英語では、力を「パワー」とも言いますが、どちらかと言うと精神的な強さを意味する「ストレングス」という力です。わたしのよく知っている若者は、すぐにアイアンマンのスーツが欲しいと言うでしょう。アメリカ映画のスーパーヒーローの悪と戦う時のアイテムです。スパイダーマンの力とか、そのような力、能力、強さは実在しませんので、もっと現実味のある、ご自分のキャパシティーに合った「力・強さ」をいくつか考えてみてください。いかがでしょうか。笑点の「大喜利」をするつもりはありませんので、頓智は必要ありません。ウケ狙いをする必要もありません。ご自分に必要な「力・強さ」は何でしょうか。
いかがでしょうか。どのような「力」を皆さんはいま求めておられるでしょうか。どのような「強さ」を身に着けたいと心の中で願っておられるでしょうか。話がすこし逸れますが、今朝のこのメッセージの準備をしている最中に、大久保教会の2023年度の年間標語と聖書箇所の候補が一つ与えられました。副牧師や執事会の皆さんと相談してからになりますが、大久保教会としての新しい年度の歩みはもちろんのこと、わたしたち一人ひとりの日常生活、信仰生活、信仰の歩みにとっても非常に重要なことなのかなぁと感じています。
さて、皆さんに考える時間が必要と思ったので時間稼ぎをしたつもりですが、何か思いつかれたでしょうか。ある「力・強さ」をもし得ることができたなら、この殺伐とした社会の中で、あなたの日々の営みが幾らかでも楽になるでしょうか。どのような「力」を得たら、あなたの心が柔らかくなるでしょうか。どのような「力」を得たら、心に余裕ができて、人にもっと優しくなれるでしょうか。いろいろな「力」があると思うのです。そして様々な力をわたしたちは求めていると思うのです。人の数だけあると思います。皆さんは、どのような力や強さをいま欲しいと心の中で願われているでしょうか。
さて、いま皆さんが書かれた、思い浮かべられた力・強さを分析してみましょう。とても簡単です。それらは、三つに区分することができると思います。まず一つ目は、自分のためのものです。二つ目は、他者のためのものです。三つ目は、神様のためのものです。つまり、一つ目は自分を喜ばすための、自己満足のための力や強さです。二つ目は、自分以外の人のために用いて、その他者が喜ぶ力や強さです。三つ目は、神様が喜ばれる力や強さです。
これらをさらに細分化すると、六つに区分することができると思います。1)自分の喜びのためだけの力、2)他者の喜びのための力、3)自分と他者の喜びのための力、4)他者と神様の喜びのための力、5)神様が喜ばれる力です。6)自分も、他者も、そして神様もみんなが同時に喜ぶ力です。皆さんが求めている力や強さや能力と言うのは、この6つのどこかに入ると思います。どこかでオーバーラップしていると思いますが、一番問題のあるのは、自分のためだけに使おうとする力や強さです。しかし、自分の欲求を満たすだけに力や強さを求める人はいないと思います。もしそういう人が存在すれば、その人は天涯孤独な人のはずです。しかし、そういう人が実在すれば、神様が最初に近づかれると思います。
さて、わたしたちは様々な力・強さを求めます。皆さんは、何を求めておられるでしょうか。もう一つ、もう二つあれば、もっと幸せになれるのに、もっと暮らしが楽になるのに、もっと優しくなれるのに、あれもこれも出来るようになれるのに、と思われることがあると思います。求めているものが非現実的なものでなければの話ですが、いかがでしょうか。
わたしも考えてみましたが、色々と思い浮かんできました。思いついたまま、順不同でご紹介したいと思います。感謝する力、喜ぶ力、希望を抱く力、忍耐する力、諦めない力、愛する力、謙遜になる力、働く力、学ぶ力、優先順位を定める力、育てる力、許す力、妥協する力、受容する力、前向きに考える力、若さという力などです。他にも皆さんからうかがってみましょう。どのようなものがあるでしょうか。お聞かせください。
さて、わたしたちがいま挙げた「力や強さ」をカテゴライズすると、6つのうち、どこに入るでしょうか。新年早々、難しいことを言ってしまい、すみません。しかし、わたしたちが生きてゆくために、幸いな日々を送ってゆくために必要なのは、自分のためだけに生きるのではなく、他者のために生きるということです。この「他者のために生きること」、それが神様が最も喜ばれるわたしたちの生き方であり、神様のために生きることになるのです。
わたしたちが生きるためには、力が必要です。家族や友人や他者のために生きるためには様々な力や強さや能力が必要です。その必要なものを日々与えてくださるのが、肉眼では見えない大きな力、愛の力、神様なのです。生きるために必要な力を満たしてくださるのは、神様であり、祝福の源は神様なのです。わたしたちの必要に応じて、神様がいつも適宜、愛と祝福をもって与えてくださっているのです。わたしたちは、その事実を知る必要があります。なぜでしょうか。答えは簡単です。自分の力、頑張りようだけでは、いずれ息切れを覚え、そのまま無理して突き進むと取り返しのつかない間違いを犯してしまうからです。つまり、喜べない、感謝できない、希望を抱けない、忍耐できないですぐに諦める、謙遜になれない、優先順位を定められない、人も自分も許せない、一向に前向きに考えられなくなるからです。
詩編84編の6節に、「いかに幸いなことでしょう。あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は」とあります。「あなた」とは神様のことです。つまり、勇気の源は神様であるということです。「心に広い道を見ている人は幸いです」とありますが、広い道とは希望のある未来です。神様につながる道です。御国への道です。苦しいことや辛いことがあると、わたしたちの心は塞がり、視野は狭くなります。心が固くなってしまいます。そのような心と心がぶつかったら、みんな傷つき、苦しみます。それは幸いとは言えません。
7節に、「嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう」とあります。今日から始まる新しい年の中でも、嘆きの谷を通らされることも幾多とあるでしょう。迷ったり、苦しんだり、涙することもあるでしょう。しかし、その渇き切った心に恵みの雨を降らせ、わたしたちの心を祝福で覆ってくださる神様が確かにおられるのです。わたしたちの心を愛と喜びという恵みで満たし、わたしたちの周囲の人たちが喜びで満たされる「泉」としてわたしたちを用いてくださる神様がおられるのです。
8節に、「彼らはいよいよ力を増して進み、ついに、シオンで神にまみえるでしょう」という希望が謳われています。「彼ら」とは、わたしたちのことです。そして神様が祝福をもってわたしたちに「力」を与えてくださるのです。「いよいよ」とは、さらに豊かにという意味であり、わたしたちが喜びと感謝、平安と希望の中で、共に生きてゆくために必要なすべての力を神様が惜しみなく与えてくださるということを表しています。わたしたちに必要な力の源は、自分でも、人でも、人類の知恵でもなく、愛と慈しみに富まれた神様なのです。
ですから、わたしたちに本当に必要な力、わたしたちが常に心から求めるべき力というのは、すべての恵みの源である神様に信頼すること、信頼する力なのです。この神様への信頼が、日々の生活の中で神様を近くに感じ、恐れや不安に直面しても揺らぐことのない平安となり、喜びとなり、生きる力になり、人のために生きることを喜びとし、人のために生きること、仕えて生きることが神様のために生きることであるという確信が与えられるのです。
皆さん、まず主なる神様に信頼しましょう。そうしたら喜びと平安で満たされ、主をほめたたえる賛美が心に湧き上がってくるでしょう。いつも神様に信頼して、それぞれが託されたこと、なすべきことをコツコツと誠実に成してまいりましょう。神様の祝福を祈ります。