「あなたの必要を知り、与えてくださる神」 二月第三主日礼拝 宣教 2026年2月15日
マタイによる福音書 6章25〜34節 牧師 河野信一郎
おはようございます。今朝も神様によってこの礼拝堂へ招かれ、ご一緒に礼拝をおささげすることができて主に感謝です。オンラインで出席くださる方々も歓迎いたします。今週18日の水曜日から今年の受難節・レントが始まり、4月4日まで過ごします。わたしたちを罪と死から救うため、十字架で命を与えるため、わたしたちの身代わりとして十字架への道を歩んでくださったイエス・キリストに信仰の目を向け、心を注いで歩んでまいりましょう。
さて、先週火曜日の朝の事ですが、教会にお客さんがいらっしゃいました。初めてお会いしましたが、ハワイのグレイスポイント教会会員のTご夫妻でした。日系のご夫妻です。2018年から毎年6月に10名から20名ほどのミッションチームがGP教会から派遣されていますが、ご夫妻は仕事の関係上、夏のチームに参加できなので、此度休暇で東京に来たので、大久保教会を探し当てて訪問くださったそうです。「いつも大久保教会のことを覚えてお祈りしています」と言って励ましてくださり、感動しました。来週22日の礼拝にはGP教会のLTさんが出席される予定ですが、この方も大久保教会のことをいつも覚えて祈ってくださっている方です。再会を楽しみにしています。
また、故障して使えなくなっていた礼拝堂左側のスピーカーですが、この度S宣教師家族の派遣教会であるアメリカのOバプテスト教会から新しいスピーカーが贈られました。まったく予期しなかった贈り物でしたので、わたしは非常に驚きましたが、実際にスピーカーが先週届き、後はみんなで設置するだけです。O教会の皆さんへわたしたちの感謝を表すカードを近日中に準備しますので、いつも礼拝堂で礼拝をささげておられる皆さんにもお名前を書いていただき、一緒に感謝を表していただきたいと願います。
わたしが今朝皆さんに申し上げたいのは、わたしたちの教会は世界の様々な場所で覚えられ、愛され、祈られているということです。すでに出会った方々もあれば、まだ出会っていない方々もある。しかし、この大久保教会は確実に愛され、祈られています。それは神様からの慈しみ、励ましであり、恵みの備えです。この恵みへの感動と感謝をわたしたちはどのように表せば、神様は微笑まれるでしょうか。それはわたしたちもGP教会やO教会を覚えて神様の祝福を祈ることであり、神様の励ましを必要としている日本の諸教会のために覚えて祈ることです。苦境に立たされている教会が全国に多数あります。
来月は東日本大震災発生から15年を迎える東北の被災地を覚え、その地に建てられ続けている3つの教会を覚えて祈る日曜日を過ごします。3月8日の主日礼拝を「3.11を覚える礼拝」としてささげます。この岩手、宮城、福島にある3つの教会のために祈り、献金をもって支援したいと願っていますので、この受難節を過ごす中でぜひ覚えてご準備ください。わたしたちの信仰と祈りと献金を神様が祝して用いてくださるように祈りましょう。
さて、2月は「神の備え」というテーマで御言葉に聴いていますが、この神様からの語りかけで最も重要なことは、主なる神様に信頼するということです。日々の生活の中で、神様の愛と慈しみ、備えがあることを見つけ出し、主に信頼し続けて生きるということです。この激しく移り変わる時代の中で、大久保教会が今後どのような歩みを進めて行くことができるのかは、神様のご計画の中にあることであり、神様がわたしたちの人知を遥かに超えた祝福を今からすでに備えてくださっていて、力強い導きと励ましを与えてくださると信じます。
そのような中で、神様が大久保教会を守り導いてくださる役割を負ってくださるだけでなく、この大久保教会に集められているわたしたちにも神様に対して果たすべき責任と役割があることをしっかり自覚したいと思います。この自覚と責任を負わずして、教会の成長も存続もありません。わたしたちを愛し、恵みを豊かに与えてくださる神様への信仰の応答がない限り、キリストのからだとしての教会形成と成長と結実はありません。大久保教会に植えられている間は、この教会で神様からの恵みへの応答をし、栄光を主にお返ししましょう。
今朝は、マタイによる福音書6章25節から34節にあるイエス様のお言葉から、神様はわたしたちの必要を知り、必要を満たしてくださる方であるから、この神様に信頼を置きましょうというテーマでメッセージをさせていただきたいと思います。この箇所を読んでゆきますと「思い悩む」という動詞が6回も出てきて、思い悩まないこと、思い悩みからの解放がイエス様の山上の説教の重大なテーマの一つであることが分かります。イエス様が熱心に語られた群衆だけでなく、今日を生かされているわたしたちにも思い悩むことが色々あるかと思います。その思い悩みを分類すると、どれくらいに仕分けすることができるでしょうか。
先日、とある講演会にオンラインで参加しましたが、その中でわたしたち人間には、1)肉体的悩み、2)精神的悩み、3)社会的な悩み、4)霊的な悩みがあると思い悩みは基本的に4つに分類することができると講師が言っておられました。肉体的な悩みとは健康の問題で、病気や怪我や老いなどです。精神的な悩みとは孤独や人間関係の歪み・もつれから来る不安や怒りなどです。社会的悩みとは貧困や少子高齢化、分裂や戦争などです。霊的な悩みとは人生の意味、生きがい、喜びを見失うことなどです。
肉体的悩みは医療従事者によって、精神的悩みは精神科医などによって、社会的悩みは社会的資源によって、霊的悩みは教会や牧師の寄り添いによって殆どは解消されるが、それらの背後には神様の愛と備えがあることを覚えることが重要だとこの講演から学びました。
イエス様はわたしたちに向かって、25節、「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。」と言われます。衣食住のことで悩むことが多いのですが、わたしたちの「命」が最重要だとイエス様は教えられるのです。この命は神様が与えてくださった素晴らしい「恵み」です。この恵みの源である神様を見失う、無視すると、自分の力で生きなければならないと思うようになり、自分の頑張りようで人生何とかなると思い込んでしまいます。しかし、神様ぬきの生活は、日々悩みの連続で、努力で減少するどころか増加するだけです。いつも不安や恐れ、悩み苦しみ続ける日々、人生になってしまいます。
そのようなわたしたちを憐れんでくださって、イエス様は26節で、「空の鳥をよく見なさい。」と言われ、28節では「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。」とわたしたちの人生の視点を変えなさい、神様に生かされている空の鳥や野の花に目を留め、これらの小さな生き物がどのように神様に取り扱われているかよく見なさいと励まされています。
イエス様は、25節、「空の鳥は、種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」、28節、「野の花は、働きもせず、紡ぎもしない。しかし、栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。」と群衆とわたしたちに言われ、「あなたがたは、鳥よりも、野の花よりも価値あるものではないか。」と、わたしたちは神様の目に高価で尊いと宣言してくださるのです。
イエス様は、「あなたがたには思い悩むことが確かに多くあるでしょう。しかし、限られた知恵と力によって頑張って、それでも思い悩む前に、あなたは神様に愛されていることを今日知り、神様から真実な愛を受け取りなさい。神様に愛されていることを聞いて知っているのに、それでも自分の力で生活の質を向上させようと日々あくせくすること、それによって思い悩むことは、信仰の薄い者がすることだ」と叱咤激励してくださるのです。
31節と32節で、イエス様は「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。」と言われます。ここでの「異邦人」とは神様を知らない、信じない人を指しています。神様を信じているわたしたちは、神様がわたしたちの必要な事や物をすべて知っておられ、本当に必要なものを祝福をもって与えてくださることを信じて喜ぶこと、神様に信頼を置くことが主の御心です。
イエス様は、33節で、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。」とわたしたちを励まします。何よりも最初に求めなければならないのは、「神の国」、神様のご配慮とご支配、御手の中に生かされていることを実体験することです。神様の愛を受け取れば、他に必要なものは神様が備えてくださいます。「神の義」を求めるとは、イエス様を信じて、イエス様の言葉に聞き従って生きることを求めることです。わたしたちがどのように生きたいかではなく、神様がわたしたちにどのように生きて欲しいかの御旨をイエス様から聞いて、そのお言葉通りに生きられるように求めることです。
「義」という漢字は、わたしたちが主にあってどのように生きるべきかを示す字であると思います。「我」という漢字の上に「羊」という漢字があります。この「羊」は、神の小羊イエス・キリスト、わたしたちに救いと平安と永遠の命を与えてくださったイエス様です。このイエス様を日々の生活の中で、自分の上に置きながら、自分の歩みの前にいつもイエス様を見つめながら生きる。そのように生きる人に、神様はすべての必要を与え、満たしてくださるのです。
34節、「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」、わたしを信じて従いなさいとイエス様は言って、わたしたちを祝福へと招いてくださるのです。
