わたしに、お言葉をください

宣教『わたしに、お言葉をください』 大久保バプテスト教会副牧師 石垣茂夫         2021/02/21

聖書:マタイによる福音書8章1節~13節(新共同訳p13)  招詞:イザヤ書53章4節、5節(口語訳)

「はじめに」

この一年間、世界中が新型コロナウイルス感染に振り廻されてきましたが、この後もしばらくは、この影響下で過ごすことになります。ウイルス感染症は、古い時代から、度々発症し、現在に至るまで克服できていない厄介な病であり、人々を恐怖に追い込んだ出来事として歴史に刻まれてきました。

昨年の今頃、コロナ発症と同時に話題になった小説があります。70年前のカミユの『ペスト』という小説です。これを読みました時、小説の終わりに、このように書かれていました。「ペストは消えたわけではない、またいつか、ひょいと顔を出す」、その言葉を思い出します。終わったように見えても、活動が静まっただけで、決して死滅したのではないというのです。

コロナウイルスも、それ自体がしつこい病原菌です。人口が増え、人々の交流もけた違いに大きくなりました現在と、ペスト菌流行の時代状況を考慮せずに単純な比較はできないのですが、ペスト菌とは異なった脅威を与え続けてています。

特に、医療従事者の皆さまには、過酷な取り組みを強いてきました。その働きによって回復の希望が見えてきました。しかし、現在も変わらず猛威を振るい、多くの困窮者を生み出し、社会を混乱させています。

わたしたちは、皆様が願っている日常が回復されるよう、最低限のことですが、お互いの生活を正し、小さいながら努力してまいりましょう。

わたしたちは、信仰者であっても、この病の拡散によって否応いやおうなく、自分の将来に不安を抱きました。人を助けようにも、力のなさを覚え、嘆いてしまいます。主を見上げるよりも、自分の足元に目を落としてしまう、信仰の薄い者です。すぐには答えの得られない課題が重なっていますが、この朝は、“二つのいやしの物語”から、わたしたちの叫さけび求める声を聴き、助けてくださる主イエスのみ言葉に従う信仰に導かれ、共に神を仰ぎましょう。

「重い皮膚病のひと」のいやし

聖書には「病と信仰」について多くの事が記されています。お読みいただきました聖書箇所、マタイ8章の初めには、主イエスが、「山上の説教」を終えて平地に立ったとき、すぐに、病に侵された一人の男が、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言って近寄って来た。そのように書かれています。

この人は「重い皮膚病を患っている人」と書かれています。ユダヤの決まりでは、この病の人は、遠くから「わたしに近づかないでおくれ、あなたが汚れるといけないから」と叫びながら歩き、人々を遠ざけなくてはならなかったのです。旧約聖書レビ記35章には、具体的な規定が書かれています(レビ記13:45)。

山を下りたばかりの主イエスは、いきなり「重い皮膚病を患っている」この男に出会いました。

男は「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」(8:2)と言った。

すると主イエスは、その男の願いをがっちりと受けとめ、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われた。

主イエスは、絶望の果てのような世界に生きているこの男に近寄り、この人を救うため、ためらうことなく、ご自分の手で触れ、ご自分の方から敢あえて汚けがれてゆかれました。

するとたちまち、重い皮膚病は清くなったのです。

「よろしい。清くなれ」。「この人は清くなるのだ」、それが主イエスの強い意志であると伝わる言葉です。

主イエスの、心からの接触、主イエスの交わりは、なんと豊かな恵みをもたらしたことでしょうか。

「重い皮膚病のユダヤ人」は、ユダヤ人でありながら、その枠の中から追い出され、捨てられていた者でした。主イエスに出会ったときも、「御心ならば」、とへりくだって癒いやしを求めていました。

「御心でしたなら」というこの態度について、ある方はこう言っていました。これは「たとえ自分が癒されなくても、そのことを受け入れる」と言う、この男の信仰の決断を含んでいると言われるのです。「たとえ自分が癒されなくても」という思いです。

そのある方は続けて、『これまで自分を縛っていたことから自由にされた男は、この後どのように生きたでしょうか。この人は、人の痛みの分かる人として、社会に復帰して行ったに違いない』と、そのようにも言っていました。皆様はどのようにお感じになられるでしょうか。

わたしの若いころには、“いやし”という事を実際に演じて人々を引き付けるキリスト教の一派がありました。今でもあると思います。目の前で起こる肉体のいやしは、それなりの迫力があり人々を引き付けていました。

信仰者もこれに惑わされ、あちらが本物ではないかと、自分がいただいた信仰を疑うと言うことも起きていたのです。しかしそうしたことで注目を集めたものは、やがて消えていきました。

それにしても、現在の教会で、“いやし”という事はなされなくなったと思われます。特に、目に見える体ののいやしはなくなり、むしろ魂のいやし、心のいやしが教会の働きであると受け止めるようになりました。

しかしどうでしょうか、“体のいやし”と“魂のいやし”、そのどちらにしても、「人の病を負う」ということは、わたしたち人間には限界があります。完全にはできないのです。人の病は、主イエスによって背負ってていただかなければ、本当のいやしにはならないと、1節から4節の癒しの物語から示されるのではないでしょうか。

「百人隊長の僕のいやし」

続いて5節以下に、「百人隊長の僕のいやし」が記されています。

そこに、主イエスはカペナウムに入られたと書かれています。カペナウムはガリラヤ湖西岸の町であり、ここには漁師ペトロの家がありました。ペトロが弟子となってからは、ガリラヤ伝道の拠点として主イエスが用いた場所です。

そこに、ローマの百人隊長がやってきて、主イエスに、一つのことを熱心に願ったのです。

それは、自分の僕が、中風で寝込み、ひどく苦しんでいるということでした。

主イエスはこの願いに対して、即座に決心され、「わたしが行って、いやしてあげよう」と答えました。

百人隊長は、驚きました。

自分は異邦人であり、ユダヤ人である主イエスを家に迎えることは出来ないことを知っていました。そのような事をすれば、主イエスが汚れてしまうと分かっていたからです。

そうしたことを主イエスは当然承知していながら、「わたしが行って、いやしてあげよう」と答えたのです。

百人隊長は、「行って、いやしてあげよう」、この言葉に驚くとともに、この主イエスの思いに心を打たれたのです。

百人隊長は、「お出でいただくには及ばない、ただ、ひと言おっしゃって下さい。そうすればわたしの僕はいやされます」と答えた。「ただ、わたしにお言葉をください」と言ったのです。 

主イエスは、遠く隔たっていても、自分の言葉は力を及ぼすのだと信じた異邦人・百人隊長の信仰に驚いた。

「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。(8:10)」と言った。

ユダヤ人より、「信仰において」この異邦人百人隊長の方がはるかに勝ると言ったのです。 

新約聖書には、この「百人隊長」という地位の兵士が、このあと幾人か登場します。

マタイ27章、主イエスの十字架の死を見届ける責任者として、「この人は本当に神の子だった」と告白した百人隊長がいました。。使徒言行録10章で、使徒ペトロによって、初めて異邦人クリスチャンとなったカイサリアの百人隊長・コルネリウスという人物がいました。そしてパウロがローマ市民権を主張した時、裁判のためローマに送られるパウロの護送に当たった百人隊長ユリアスがいました(27:1~)。

「百人隊長centurion」とは、百人足らずの兵を率いる部隊の長官です。

不思議なように、「聖書の百人隊長」は皆、好人物として登場します。皆、いい人です。

わたしにはこのことで、一つの思い出があります。

10年ほど前に、わたしは、九州長崎の「切支丹きりしたん」の歴史を辿る度に参加したことがあります。

日本に初めてキリスト教が伝えられたのは,今から500年ほど前、鹿児島ですが、「切支丹きりしたん」と呼ばれた人々の信仰が広まったのは長崎県一帯であり、多くの教会堂や遺跡が残されています。

その旅行に、一人の元自衛官が居られました。わたしよりも少し年上に見えたのですが、背筋のぴんとした方でした。少人数のバスの旅でしたので、途中で席が一緒になることもありました。その方は、ご自分の方から、「わたしは自衛官だった」と話しかけてこられ、このように話されました。

『自衛隊には、カイサリアのコルネリウスにちなんで名付けた「コルネリオの会」というクリスチャンのグループがあります。集会を開いたりニュースレターを発行しているのです。その紙面には、証しを書いたり、信仰者としての軍務について意見を交換しています。わたしはそのような集まりを作り、50年間活動をしてきました。メンバーは250人ほどです』と話してくださいました。

全国に散らばっている自衛官の中から、どのようにしてクリスチャンのメンバーを集めたのか。そのほかのことも詳しく聞くこともなく別れてしまいましたが、その方は、「コルネリオの会」の中心的なメンバーであると感じました。

その折に、わたしが間もなく大久保教会に招かれて副牧師になると話しましたなら、握手をして祈ってくださいました。その方は、足がとても不自由そうでした。この先を歩くのは自分には無理だと判断すると、いつもバスの中でじっと待っておられました。不自由な体になっておられましたが、誰にも迷惑をかけることなく、淡々と行動しておられるのが印象的でした。今朝の準備をしながら、旅先で出会った元自衛官の方を思い出し、聖書の百人隊長と重なって見えてきました。 

さて、マタイの百人隊長ですが、ルカによる福音書7章を読むと、この人の人格がもっとはっきりしてきます。

カペナウムには、イスラエルを監視するために、この隊長以下のローマに雇われた兵士たちが駐留して居ました。

兵隊の位くらいで言うならば低い方で、外国人の「雇い兵」と思われます。紛れもないユダヤ人の嫌う異邦人でした。異邦人の彼らにとっては「ユダヤ人の神」など、どうでもよかったはずです。そうした百人隊長が、主イエスに、ぜひわたしのところに来て、わたしの僕を癒してくださいと頼んだのです。

主イエスは、「異邦人のあなたが、わたしに来てくれと言うのか」と、少し疑って問い返したことでしょう。

百人隊長は『わたしにはあなたを家に迎え入れる資格はありません。ただ、わたしが欲しいのは、わたしの僕に対しての「あなたの言葉」なのです。』と言った。

この百人隊長は、自分のことではなく、自分の僕の病やまいのことで苦しみ悲しんでいた。自分の病のことではないのです。

そのことがきっかけとなって、主イエスのところに行き、そのお言葉を聞くことになった。彼は主イエスの業を、直接、見ることはなかったのですが、主のお言葉を聞き、お言葉を信じて帰っていきました。わたしたちは、この百人隊長に、見ないで信じる信仰と、主の恵みの業を見ることが出来るのではないでしょうか。

「イザヤ書53章の言葉」

マタイは、一連の“いやし”の物語の終わり8章17節に、大事なみ言葉を、引用しています。それを今朝は、招詞としてお読みいただきました。特にイザヤ書53章4節です(口語訳))。

53:4まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。

マタイによる福音書の著者は、イザヤ書の「主の僕」の言葉に、イエス・キリストの姿があると確信していました。

マタイは、「山」を降り、人々の中に来られた主イエスの、重い皮膚病の人との接触という、律法を超えた深い交わりに、「主の僕」の姿を見ました。「彼はわれわれの病を負い」という言葉です。

イスラエルの選民の枠を超え、異邦人・百人隊長の僕のいやしをなさった主イエスに、「主の僕」の姿を見たのでした。「われわれの悲しみをになった」という言葉です。

マタイは、イザヤ書に預言された「主の僕」こそ、すべての人の救いのため、自ら十字架への道を歩まれる主イエスであると確信しました。この「主の僕」こそ、父なる神の意思に従い、すべての人の救いを果たさんがために、捨てられる者としての道を歩む、十字架の主イエスであると告白して、「いやしの物語」を締めくくっています。

主イエスは、わたしたちのために、そのすべてを捨ててくださったのです。

53:4まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。

 53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。

先週17日からレント(受難節)に入りました。わたしたちはこの後40日に及ぶイースターまでの暫くの期間、救い主のみ言葉を求め、救い主のみ言葉に導かれて霊の糧をいただき、歩ませていただきましょう。

神に結ばれて生きる幸いを味わいつつ、信仰を強くして歩んでまいりましょう。

【祈り】

教会の頭である主イエス・キリストの父なる神さま。み言葉の導きをありがとうございます。

わたしたちは、あなたのみ言葉を聞き続けます。教会の歩みに、いつもあなたの聖霊を注いで、お支えください。礼拝に連なるおひとりおひとりが、主イエスへの信仰に生きることが出来ますように、あなたが、み言葉をもって、これからの日々も、励まし守ってください。感謝して、主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン