イエス・キリストの食べ物とは

「イエス・キリストの食べ物とは」 八月第一主日礼拝 宣教 2024年8月4日

 ヨハネによる福音書 4章31〜38節     牧師 河野信一郎

おはようございます。今年も8月に入りました。危険な猛暑日がまだまだ続きます。皆さんを不安にさせるつもりはありませんが、東京23区内で7月中に熱中症の疑いで亡くなられた方が123人おられたと昨日のニュースで知りました。同時に、コロナウイルスの新たな変異株で感染される方も増加の一途を辿っています。不要不急な外出はなるべく控えるようにしましょう。日曜日の礼拝も、不安に感じましたら、オンラインでおささげください。無理は禁物です。水分をよく摂取し、歩道を歩く時も日陰を探して歩いてください。先日、娘から「お父さん、男性用日傘をプレゼントするよ」と言われましたが、今年の夏、男性でも、女性でも、日傘が必需品になる猛暑が続きますので、どうぞお気をつけてお過ごし下さい。

さて、日本の8月は「平和月間」です。来週は、日本が戦争に負けて終戦を迎えてから79年目を迎え、明後日6日は広島を、9日は長崎を覚えます。オリンピックがフランス・パリで開催中ですが、時を同じくしてウクライナ、ミャンマー、パレスチナなどで戦争が続いています。イスラエルとイランとの間で新しい戦争が始まる危険があります。そういう不安と恐れの中で、わたしたちは神様を信じ、神様から与えられているそれぞれの命を喜び、大切にし、共に生きることを日々選び取る世界になることを共に祈り求める必要があります。

さて、そのように言っていながら、先週、強い憤りを感じたことがありましたので、ぜひとも分かち合いをさせていただきたいと思います。皆さんもニュースで知っておられるかもしれませんが、先々週、ある町の小学校から帰宅する際に路線バスを利用した男の子が、ICカードの残高不足に気づかずに乗車し、バスを下車する時にお金が足らずに困惑し、40代のバスの運転手から強い口調で注意され、挙げ句の果てに、乗り継ぎのバスにも乗れず、気温37.7℃の猛暑の中、徒歩で2時間も歩いて自宅に戻ったというニュースがありました。

小学生低学年の男の子です。ICカードが残高不足になっていたことを把握していなかった親を責める前に、他にもバスに乗っていた乗客たち、特に大人たちはなぜ男の子を助けられなかったのか、バスの運転手はもっと寛容になれなかったのかと憤りを感じました。運転手は、後日、自分の対応が不適切であったことを認めて反省しているとのことですが、皆さんがバスに乗車していたら、どのような反応を見せるでしょうか。イエス様がそのバスに同乗しておられて子どもが厳しく注意されているのをご覧になったら、どのように対処されたでしょうか。わたしたちは、もっと寛容で親切になる必要があるのではないでしょうか。

寛容になれない、親切になれない理由は何でしょうか。様々な観点から多種多様な理由を挙げられると思いますが、その理由の一つに、マニュアルに縛られているから、マニュアル通りでなければならないという生真面目さがあるからではないでしょうか。アメリカからの旅行者たちは、日本のタリーズやスターバックスコーヒーは、どの店舗に入っても同じ味で美味しいと口を揃えて言います。何故でしょうか。店員がマニュアル通りに作るからであり、会社も店員に対してマニュアル通りに作ることを徹底しているからです。

それでは、わたしたちクリスチャンのマニュアルは、何でしょうか。それは、神様の言葉である聖書です。聖書がわたしたちの人生のマ取り扱い説明書です。聖書には、わたしたちは何者で、何のために生きているのか、なぜ生かされているのか、どのように生きるべきか、どこに向かって生きているのか、その存在意義、存在理由、生きる目的、生きる使命が記されています。本当の自分、ありのままの自分を知るためには、わたしたちを愛と真理、ご計画と配慮をもって創造された神様と出会い、信じ、その言葉に聞いて行く必要があります。

わたしたちが神様の御心に沿って神様には忠実に、人々には誠実に、自分には信実に生きるために必要な御言葉、イエス様の教え、知恵、神様の御力が聖書に記されています。主なる神様とイエス様を愛し、隣人を愛し、互いに愛し合う。そして、神様の愛、イエス様の福音を地の果てまで出て行って人々に伝えて、イエス様の弟子とする。この御心に沿って生きるために、主イエス様は「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と励ましの約束を与え、聖霊が伴ってくださいます。ですから、その約束の言葉を信じて、神様の御言葉である聖書、人生のマニュアル、イエス様の言葉に従ってゆけば、わたしたちも、そして福音を聴く人々も、神様の愛と慈しみに満たされ、真の幸いを得ることができると信じます。

さて、6月から「神の御心を知る」シリーズを続けていますが、先週からヨハネによる福音書に聴いています。この福音書に「御心・御旨」という言葉が出てくる箇所を選んで、そこからイエス様の言葉に聴こうとしています。今朝のメッセージは、4章31節から38節で、タイトルを「イエス・キリストの食べ物とは」にしました。とても興味深い箇所です。

このヨハネによる福音書4章には、イエス様とサマリアの女の出会い、二人の言葉の掛け合いが記されていて、永遠の命に至る水とは何か、まことの礼拝とは何か、礼拝者とは何かという多岐にわたるトピックが繰り広げられています。最初は、水がテーマでしたが、途中で神様への礼拝がテーマとなり、次に食べ物がテーマになって行きます。非常に面白いです。

わたしたちの霊的渇きを潤してくださるのは誰か。わたしたちの霊的飢えを満たしてくださるのは誰か。それは神様です。霊的飢え乾きを満たし、人生に喜びと感動と生き甲斐を与えてくださるのは神様であって、この神様を第一にしてゆくことが礼拝であって、この主なる神様の御心に従って生きることが真の生きる喜び、力となるのです。

イエス様と話したサマリアの女性は、イエス様が彼女の求めていた救い主、キリスト、メシアだと感じ取ったので、人々をイエス様のところへ連れてくるために町へ出かけてゆきます。彼女と入れ替わりに、イエス様のために町に食べ物を買いに行った弟子たちが戻ってきます。31節から読んでゆきましょう。「弟子たちが『ラビ、食事をどうぞ』と勧めた」とあります。イエス様のために買って来たのです。喜んで食べてくれるだろうと思っていたでしょう。しかし、イエス様は何とおっしゃったでしょうか。32節に、「イエスは、『わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある』と言われた」とあります。33節、「弟子たちは、『だれかが食べ物を持って来たのだろうか』と互いに言った」とあります。彼らは残念に感じたでしょうか。それとも、自分たちの苦労が無駄になったと感じたでしょうか。

さて、ここで少し話題を変えたいと思うのですが、皆さんに質問してみたいと思います。皆さんは、食べる事が好きですか。日本には、「花より団子」という言葉がありますが、我が家は、美しいものをずっと鑑賞するよりも、美味しいものを食べるほうが好きです。一瞬で食べてしまいます。わたしたちは食べ物によって身体の養い、成長、健康の維持をすることができ、食べ物はわたしたちの活力源と言って良いと思いますし、楽しみであり、喜びでもあると思います。食べることが生き甲斐という人もいるかも知れません。

イエス様は、34節で非常に興味深いことを弟子たちに言われます。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである」と主は言われるのです。弟子たちの知らないイエス様の食べ物、イエス様の活力源、生きる楽しみ、生き甲斐を感じる喜びは、父なる神様の御心を行い、その業を成し遂げることだと言われます。

このイエス様の言葉で注目しなければならないのは、2点です。一つは、イエス様は父なる神様から派遣されたということです。その派遣には果たすべき目的・使命があったということ。もう一つは、イエス様は神様から託された業を成し遂げられたということです。この4章の時点では、託された業はまだ現在進行形でしたが、最後にはその業を果たされます。

イエス様は神様からこの地上に派遣されて忠実に果たされた業が大きく分けて二つあります。一つは、わたしたちがイエス様を信じることによって救われるために、十字架に架かって死なれ、その死によって永遠の贖いの業を果たされたということです。もう一つは、神様の愛、救いの福音を全世界の人々に正確に伝えるために、弟子たちを訓練されて、派遣されたということです。ここでわたしたちに問われていることは、イエス様のように、神様の愛を人々に分かち合うこと、イエス様を人々に紹介すること、教会に招いて一緒に礼拝することを喜んでいるか、楽しんでいるか、人生の生き甲斐にしているかということです。

生きることを自分だけの喜び、楽しみにしていないかということです。自分のためだけに生きていないかということです。わたしたちは、イエス様を通して神様から全世界へと派遣されている存在です。神様とイエス様から託されているこの地上でのわたしたちの使命、生きる目的を、神様の御心を知り、その業に励んでいるかという問いかけがここにあります。

35節をご覧ください。「あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている」とイエス様は言われます。確かに、大麦や小麦、米や大豆には収穫時期があります。しかし、イエス様は、「あなたの信仰の目を、霊の目を上げて人々を見なさい。人々は神様の愛を求めて、誰かが自分に歩み寄って神様の愛を分かち合ってくれることを待っている。彼ら、彼女らが待っているのはあなただよ」と言われるのです。

大いなる収穫を得るためには、種を蒔く大勢の人たちと刈り入れをする大勢の人たちが必要です。わたしたちがイエス様に出会い、神様の愛を知ったのも、福音の種蒔きをしてくれた人たちがいて、愛と祈りと忍耐をもって励まし導いてくれた人たちがいて、人生の喜びも苦しみも共に味わってくれた人たちがいたからです。それぞれ役割が違うのです。「一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる」のです。一人で全部しなくて良いのです。それが御心です。

イエス様を救い主と信じる者たちが、共に喜び合い、感謝し合い、神様に仕えてゆく、礼拝をおささげし、神様の栄光を現してゆくこと、それが神様の御心を行うことであり、神様が微笑んでくださることと信じたいと心から願い、祈ります。イエス様の食べ物をわたしたちの食べ物とし、イエス様の喜びをわたしたちの喜びといたしましょう。