「キリストにあって神に感謝しなさい」 年末感謝礼拝 宣教 2023年12月31日
エフェソの信徒への手紙 5章15〜20節 牧師 河野信一郎
おはようございます。2023年最後の日の朝を迎えました。ゲストの皆さん、大久保教会へようこそ!教会の皆さん、お帰りなさい。2023年最後の日が主の日であること、そしてその日の朝を皆さんとご一緒に過ごし、賛美と礼拝をおささげできることは神様のご計画であり、恵みです。この素晴らしい幸いを与えてくださる神様に心から感謝いたします。
そして、この礼拝堂に集められたお一人一人、またオンラインで礼拝に出席されている方々にも感謝いたします。ありがとうございます。なぜ皆さんに感謝するのかと言いますと、わたしは牧師の息子なのですが、クリスマスの次の日曜日、礼拝出席者数が必ず落ち込むということを物心ついた頃から非常に不満に感じる子どもであったからです。牧師として懸命に働く父が可哀想だと、子どもながらに思っていたのです。しかし、アメリカの南部バプテスト神学校で学んでいた頃、説教学のジェームス・W・コックス教授がその授業の中でわたしたち学生たちに対して、「あなたの目の前にいる会衆に向かって、神のみ言葉を大胆に語りなさい。聖霊に満たされて、真理を語りなさい」と言われました。クリスマスのすぐ後の日曜日に礼拝者数が減るのは悲しく感じることも時折ありますが、虚しさを感じることはありません。何故ならば、皆さんがこの場所に居て、共に礼拝をおささげできるからです。
さて、この礼拝堂は、クリスマスの飾りが付けられたままです。明日の元旦礼拝も、7日の新年礼拝も、その翌週も、このままの状態です。それはクリスマスにはその後があるから、み子イエス・キリストの誕生物語はまだ続くからです。新しい年の1月のスケジュールですが、明日1日の元旦礼拝では「謙遜を身に着けて新しい年を歩み出す」ことを第一ペトロ5章からメッセージします。7日と14日の礼拝ではマタイによる福音書2章後半からメッセージをします。クリスマス物語はすべて華やかではありません。暗い部分もあります。その闇に光を放つためにイエス様はお生まれになりましたが、誕生してから幼少期は苦難の連続です。その苦難を無言のままに背負ったのがヨセフという人で、この彼にフォーカスします。
21日のメッセンジャーは石垣副牧師です。3月で退任される石垣牧師のメッセージも残すところ3回ですのでお聴き逃しなく。28日の礼拝では、S宣教師がメッセージをしてくださいます。彼の日本語は格段と上達しています。わたしは、28日、大泉バプテスト教会の礼拝でのメッセージです。1月のメッセンジャーのために祝福をお祈りください。
2週間後の14日ですが、朝の主日礼拝後に2024年度の執事を選出する教会総会が開かれます。御心に適った執事たちが選出され、立てられますようにお祈りください。4月から新年度が始まりますが、選出された執事たちと次年度の計画を立てて行きます。
さて、大久保教会の皆さんにもう一つお願いがあります。先週発行しました月報にも募集記事を記載しましたが、2023年の漢字一文字を募集しています。今日で終わる2023年、皆さんの2023年を象徴する漢字を一つ選んで、その漢字を選んだ理由・背景を分かち合って頂きたいと思います。1月14日が締め切りとなります。月報1月号に掲載しますので、神様から頂いた恵みをぜひ教会の皆さんとシェアしてください。ご応募、お待ちしております。
さて、先日、アメリカのGood Morning Americaという有名な番組をYouTubeで見ている時に、明日から始まる2024年と1996年のカレンダーが完全に一致しているという事実を知りました。2024年は1996年と同じ閏(うるう)年であり、月曜日から始まることから暦が完璧に一致しているそうです。今から28年前、皆さんはどこで何をしておられたでしょうか。まだこの世界に生まれていない人もたくさんいますが、わたしは当時アメリカのケンタッキー州ルイビル市にある南部バプテスト神学校で牧師としての教育を受けていました。
NS宣教師のご両親が先週水曜日から来日され、今朝は大久保教会の礼拝に出席くださっていますが、お父様のAさんはわたしと同時期に南部バプテスト神学校で学ばれていました。当時、わたしたちには接点は一切なかったのですが、神様には特別なご計画があったようですね。息子さんのNさんとMさんを神様は宣教師として日本に送り、わたしたちの教会につなげてくださり、今朝、この大久保教会で出会う恵みの接点が与えられました。神様は、本当に素晴らしいですね。愛しいお孫さんたち、EちゃんとW君と祝福され充実した時間を過ごしておられると思いますが、残された日本滞在期間がさらに祝されますようにお祈りいたします。今日から1月3日までは大勢の人が故郷に帰省していて、東京の人口は非常に少なくなっていますので、どうぞ楽しんでください。
さて、2023年が終わろうとしていますが、皆さんにとって、この2023年はどのような一年であったでしょうか。ゆっくり進んで一年であった方もいれば、あっという間の一年であった方もおられるでしょう。変わり映えのない日々であったでしょうか。喜びを感じる時もあれば、あまり歓迎できないことも体験されたかもしれません。私の2023年の漢字は苦しみを表す「苦」という字です。今年は、大変キツイ一年になると最初から分かっていました。
東京地方連合のユース・サマーキャンプのデイレクターと講師の二役の責任から来るプレッシャーが1月から7月まで重くのしかかり、JBCでも二つの委員会の委員として選ばれ、オンライン会議や教会訪問などで忙しかったです。いちばん嫌だったのは、会議の議事録を輪番で作成することでした。書記としてのスキルがまったくありませんので、議事録を作成する順番が回ってくることは拷問を受けるようでした。5月には一家全員で同時にコロナに罹りましたので、今年のゴールデンウィークはコロナウィークでした。5月にはKTさんを神様の御許にお送りしました。ベ宣教師夫妻を7月に送り出しました。
しかし、感謝なことも多数ありました。教会の屋根修繕と壁の塗装工事が無事に終わって教会の外観が見違える程きれいになりました。Nさんに加えて、Nさんがピアノの奏楽を月に二度担ってくださるようになりました。礼拝のライブ配信の操作を担ってくださる方が増え、夕礼拝の出席人数も徐々に増えています。S家にW君が誕生し、献児式を行うことができました。教会に与えられた子どもたちの成長を見ることができました。今年も新しい出会いが多く与えられ、その中から教会の礼拝に加えられた方々もおられて感謝です。東京リビングストーン教会の牧師たちと出会いと交わりが与えられました。
他にも感謝なことはたくさんありますが、主の日の礼拝を神様におささげすることができたこと、それが最も感謝すべきことではないでしょうか。わたしにとっては、大久保教会の皆さんの愛と祈りに支えられたこと、教会以外の方々の愛と祈りに支えられたこと、家族のフルサポートが与えられたことが最も感謝すべきことです。
確かに、使徒パウロがエフェソに生きるクリスチャンたちに手紙を書き送った時代と変わることがなく、今は「悪い時代」、混沌とした時代です。戦争がウクライナでも、パレスチナの土地でも続いています。世界的な問題、社会的な問題、環境の問題、自然破壊と甚大な自然災害の問題、倫理的問題、宗教の問題がエベレスト山脈のように山積していて、どこから手を付けて良いのかも分からない混沌の状態です。
だからこそ、まず神様に心を向けて、神様の言葉に聴いてゆかなければなりません。エフェソ書5章6節に、この悪い時代の「虚しい言葉に惑わされてはなりません」。虚しい言葉に惑わされると神様から離れ、闇に戻されてしまうと7節にあります。しかし、8節で、「あなたがたは今や主イエス・キリストに結ばれて光の子として光の中を歩む者とされている、だから神に対して不従順な者に戻るな」と励まします。使徒パウロは、9節で「光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです」と言っています。光とはイエス・キリストです。この光から、この光を通して、神様に対して従順に生きるために必要な善意と正義を真実が与えられ、それがベースとなって誠実に生きる力となってゆくということだと信じます。
10節に、「何が主に喜ばれるかを吟味しなさい」とわたしたちは励まされていますが、主なる神様が喜ばれることとは何を指しているのでしょうか。神様に喜ばれることは数え切れないほどありますが、よく吟味して、その中からベストを選び取ってゆく必要があります。そのベストの選択をするためには、イエス・キリストという神の言葉に聴いてゆく以外に方法はありません。それでは、イエス様は弟子たちに何と教えられたでしょうか。
まず、「心と精神と思いを尽くしてあなたの神を愛し、隣人を自分のように愛しなさい」とお命じになり、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも愛し合いなさい」と新しい戒めをお与えになりました。そして、神様の許に戻る前に「全世界に出て行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」とお命じになりました。
これらは神様が喜ばれることです。しかし、わたしたちがこれらを吟味し、自分自身の喜びとするためには、まず自分という存在が神様のご計画の中にあって造られ、神様の愛に生かされ、イエス様によって罪赦され、神様からの一方的な憐れみ・恵みによって生かされていることを体験し、感動していなければなりません。神様の愛に感動しなければ、「感謝の気持ち」(Gratitude)が湧き上がってきません。この感動と喜びと感謝の気持ちが、14節にある「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ」というイエス様の言葉に応えて生きる者の力となり、光の内に生かされる者となります。それが神様の喜びです。
イエス様と共に歩むと、神様の御心を求めますので、「愚かな者としてではなく、賢い者として」、細心の心配りをしながら歩むことができるようになります。細かく気を配って歩むというのは、神様と人々に仕えて生きるということです。
16節に「時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです」とあります。今の時代は、人を制圧して仕えさせる悪い時代です。光のうちに生かされている者は、今の時をよく用いて生きなさいと命じられていますが、それは今が悪い時代だからこそ、イエス様がわたしたちを愛し、仕えてくださったように、わたしたちも出会ってゆく人々を愛し、仕えてゆく、それが時をよく用いることであり、神様の喜ばれることです。
17節に「無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい」とありますが、わたしたちが日々出会ってゆく人々に神様の愛を、イエス様を、福音を分かち合ってゆくことが隣人を愛することであり、仕えることであり、神様の御心であることを覚えましょう。18節に「酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです」とありますが、簡単にリフレイズすると、「自分の至福のためだけに生きてはいけない」ということです。
使徒パウロは、「むしろ、あなたがたは聖霊に満たされなさい」とわたしたちを励まします。神様の霊に満たされる時、日常生活のすべてに、ほんの些細で日常的なことにも神様の愛と配慮を見つけることができて、日々神様の愛に感動し、喜び、感謝し、恵みを分かち合い、主に向かって心からの賛美をささげることができるようになります。それは、神様がイエス・キリストを通して与えてくださる幸いです。
20節に、「そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい」とあります。この一年、数え切れないほど多くの愛と恵みを神様からいただきました。この感謝の気持ちをわたしたちはどのように表すべきでしょうか。それは、1)神様に対して、2)いつも、3)すべてのことを、4)救い主イエス・キリストの名によって、つまりイエス様に助けられて、心から感謝をささげるのです。今日も、これからも、主イエス様の伴いとお守りと助けの中で、神様に感謝をささげ、神様を賛美して生きる者とされてゆきましょう。それが、神様の御心であり、神様の喜ばれることです。