「キリストはすべての支配や権威の頭」 一月第二主日礼拝 宣教 2026年1月11日
コロサイの信徒への手紙 2章6〜10節 牧師 河野信一郎
おはようございます。大久保教会にお帰りなさい。今朝も、皆さんとご一緒に礼拝をおささげすることができて感謝です。今朝は、7ヶ月ぶりにS宣教師ご一家と一緒に礼拝ができて主に感謝です。ご一家は、先週火曜日に日本に無事戻られ、宣教師としての二期目が始まりました。一期目では、日本文化と生活に慣れることと日本語習得に励まれて素晴らしい適応と日本語の上達がありましたが、二期目は宣教師としての働きが本格的になります。今週17日はNS宣教師のお誕生日ですが、元気な子どもたちとご夫妻の日々の健康と生活と働きが祝され、主の御用のために用いられますように祈りましょう。また、ご一家を送り出してくださったアメリカのご家族、教会、バプテスト宣教団を覚えて祈りましょう。
さて、メッセージに入る前にもう一つのアナウンスメントです。この1月は、皆さんの2025年の漢字一文字を募集しています。皆さんにとって2025年はどのような年であったでしょうか。わたしは、一年を通して神様の憐れみをたくさん受けましたので、「憐」にしました。皆さんが昨年を振り返る中で思い浮かぶ漢字とその理由をぜひお分かち合ってください。イニシャルでも、匿名でも大丈夫です。座席前にあります色のついたカードをお用いくださり、礼拝堂入口にある献金箱にお入れください。1月末までお待ちしています。
さて、先週は新年礼拝ということで、「神の御心に従って生きる唯一の道」と題してコロサイの信徒への手紙1章からメッセージをさせていただきました。内容は、神様の御心に忠実に従って生きるための道は一つしかないということ、それは神の御子であるイエス・キリストを救い主と信じ、イエス様に結ばれて、イエス様と共に生きる道です。その理由は簡単です。イエス様のみが神様の御心を完璧に知っておられるからです。神様の御心をわたしたちに伝えるためにイエス様はこの地上に来られました。主イエス様を救い主と信じることによってご聖霊が心に入ってくださり、このご聖霊がわたしたち一人ひとりに御心を悟る力、知恵と理解力を与えてくださるということを去る4日の礼拝の中で分かち合いました。必要と感じる方は、教会ホームページから先週のメッセージをお読みいただければと思います。
さて、神様の御心を行って生きる唯一の道、それはキリスト・イエスに従って生きることです。イエス様の言葉に聴き、イエス様の生き方に学ぶのです。「イエス様が生きられたように生きなさい」と言われると「自分は絶対無理!」と思うでしょう。しかし、安易にそう思う前に、まずイエス様にフォーカスする。十字架上のイエス様を、復活されたイエス様だけを見る。イエス様の十字架と復活はわたしの救いのためであることを再確認する。そして復活の主イエス様の力によって神様の憐れみを祈り求める中で、ご聖霊がわたしたちの中で豊かに働いて、わたしたちに善い業を行う力、神様に喜ばれる霊の実を結ぶことができる力を与えてくださる。イエス様につながり続ける重要性をわたしたちは見出すことができます。
「イエス様のように生きることは自分には絶対無理!」と思う時点で、その人は神様により頼むのではなくて、自分の力でなんとか頑張って生きようとしていると思います。つまり、自分を事柄の中心に置いてしまい、自分の努力で何とかしようとしてしまいます。しかし、重要なのは、わたしたちには不可能でも、神様には出来ないことは何一つない、神様にはすべて可能と信じる信仰、神様に信頼することです。神様は、イエス・キリストを通してすべてを可能にされました。可能にされた理由は、わたしたちの罪を赦し、わたしたちを神の子として神様との交わりの中に永遠に生かすためです。わたしたちに必要なのは、神様とイエス様への信仰とこの世の惑わしに耐える忍耐です。
今朝は、神の御心に従って生きる唯一の道がイエス・キリストであるという理由をコロサイの信徒への手紙の2章から聴いてゆきたいと願っています。今朝のメッセージタイトルは、2章10節後半をそのまま用い、「キリストはすべての支配や権威の頭」としました。神の御子イエス・キリストこそが、この地球上の、宇宙上のすべてのすべてを支配し、すべてを治める権威を持たれたお方であると使徒パウロはコロサイの地に生きるキリスト者たちに書き送り、イエス様を信じ続けなさいと励ましています。
旧約聖書の時代、ダビデも同じようなことを言っています。歴代誌上の29章11節と12節で、「偉大さ、力、光輝、威光、栄光は、主よ、あなたのもの。まことに天と地にあるすべてのものはあなたのもの。主よ、国もあなたのもの。あなたはすべてのものの上に頭として高く立っておられる。富と栄光は御前にあり、あなたは万物を支配しておられる。勢いと力は御手の中にあり、またその御手をもっていかなるものでも大いなる者、力ある者となさることができる。」(旧p669)と言っています。力ある神様がすべてのものの頭として君臨し、すべてを支配されている。権威と真とをもって治めておられるとダビデは言っています。
わたしたちが日々の生活の中で様々なことに惑わされ、悩まされ、「自分は無力、御心を行う知恵も、御心を理解する力もない存在」と感じ、劣等感に苛まれたとしても、「神様の御手がいかなる者でも主の御用のために大いなる者、力ある者と変える力がある。祝福をもって新しく変えてくださる」とありますので、「神様には何でもできる!」と信じて主と共に生きることが、御心を行いたいと願う者に聖霊を通して霊的成長を与えてくださるのです。わたしたちに必要なこと、それはイエス様こそがこの教会の頭であり、すべての支配や権威の頭であると信頼し続けるということです。具体的にどのような歩み方でしょうか。
今朝は、コロサイの信徒への手紙2章6節と7節からその知恵を受けて参りたいと思います。もう一度読みましょう。「あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい。キリストに根を下ろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝しなさい。」とあります。
パウロはここで「あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから」と言います。ここに大切なことが2つあります。一つ目は、イエス様はわたしたち一人ひとりの「主」であること故にこの「主人」の言葉に聞き従うことが信仰生活の条件であり、それ以上でも、それ以下でもないということです。自分の心の声、周囲の人々の声、外部からもたくさん声が入ってきますが、主イエス様の言葉だけに聞き従う道を選び取るのです。
二つ目は、通常の「イエス・キリスト」ではなく、「キリスト・イエス」となっている点です。コロサイの信徒への手紙の特徴の一つは「キリスト」という名称を数多く使って、イエス様の「キリスト性、メシア性、救い主」であることを強調している点です。イエス様はわたしの救い主であり、贖い主であり、復活の主であると信じて生きることが力となります。
7節には、4つの動詞が記されています。1)「キリストに根を下ろす」、2)「造り上げられる」、3)「信仰をしっかり守る」、そして4)「溢れるばかりに感謝する」です。
第一に「キリストに根を下ろす」という動詞は現在完了形が使われています。すなわち、過去にあったことであるけれども、今も影響を及ぼしている時に用いる文法です。ここでパウロが伝えたいことは、わたしたちがイエス・キリストを救い主と心に受け入れ、信じ、告白した時がイエス様に根を下ろした時ですが、それは過去に一度あったことだけではなく、今もなお、わたしたちの信仰を支え続け、多くの良い影響を恵みとして受け続けていることを感謝しなさいということです。イエス様に根ざすことによって、絶え間なく神様から祝福がわたしたちに豊かに注がれています。それを喜ぶことが主と隣人に仕える力となります。
第二に「造り上げられる」ということですが、これは受動形です。キリストに結ばれて初めて主の言葉とご聖霊によって造り上げられ、霊的成長があるのです。わたしたち一人一人を日々造り変え、建て上げてくださるのは、主キリスト・イエスであり、神様なのです。
第三に「信仰をしっかり守る」ということですが、これも受動形です。つまり、信仰はイエス・キリストを通して神様から与えられた賜物、贈り物でありますが、それを持ち続けるために、神様とイエス様とご聖霊が片時も離れずにわたしたちと共にいて働いてくださり、信仰を守ってくださり、イエス様においては信仰がなくならなうように祈り続けてくださっているということです。それ程までにわたしたちは神様に強く愛されているということです。
第四に、神様の豊かな愛に対して「溢れるばかりに感謝する」ことです。イエス様がわたしたちの救いのために成してくださったすべての業に感謝することが神様から与えられている恵みへの誠実な応答です。神様への礼拝、福音を人々に宣べ伝えること、献身と献金をもって教会を更に強く建て上げることが恵みへの応答です。感謝する一年を共に歩みましょう。
