キリストを紹介しよう

「キリストを紹介しよう」   世界バプテスト祈祷週間を覚えつつ 11月第四主日礼拝 宣教     2018年11月25日

テモテへの手紙二 4章2a節         牧師 河野信一郎

今朝は、賛美と証しのゲストとして伊藤真知子さんをお迎えできて感謝です。

私たちは、それぞれ、生まれ育った場所、年代、環境、境遇、みんな違いますが、一つの絶対的な共通点があります。それは、イエス・キリストです。イエス・キリストを信じていても、信じていなくても、今朝、私たちはこのキリストを中心とした礼拝の時間と場所を共有しています。それをキリスト教会では「恵み」と呼びます。

今朝は、新約聖書にあるテモテへの手紙第二 4章2節の最初の部分をテキストに、この「恵み」についてご一緒に聴き、そして考えたいと願っています。このテモテへの手紙は、パウロというイエス・キリストの弟子が、我が子のように愛している弟子のテモテへ書き送ったもので、パウロ先生のように、イエス・キリストを救い主と信じる者として、イエス様には忠実に、そして教会の仲間や隣人、これからの人生の中で出会ってゆく人たちに対して誠実に生きるようにと励ます目的で書かれています。

パウロ先生は、テモテに「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」と勧めますが、「御言葉」とは一体何を指しているのでしょうか。今日においては「聖書」が神の「御言葉」であるということができます。また、キリストの福音という「良き知らせ、グッドニュース」が「御言葉」であるとも言えます。しかしながら、パウロ先生にとって「御言葉」とはイエス・キリストの言葉であり、イエス・キリストそのものなのです。ですから、弟子のテモテに対して「イエス・キリストを宣べ伝えなさい」とここで励ますのです。

では、「御言葉を宣べ伝えなさい」というこの「御言葉」は、私たちの人生にどれ程のインパクト・影響を与えるのでしょうか。「御言葉」は、私たちにとって本当に有益で、生活に必要なものなのでしょうか。

今朝は、そのようなことを考えてゆきたいと思いますが、まず皆さんも良くご存知である日本の作家・三浦綾子さんの言葉を紹介したいと思います。もしかしたら、10代20代の若い人たちは、三浦綾子さんを知らないかもしれませんが、これからの人生の中で、彼女の名前を聞いたり、作品に出会って読んだり、映画を観たり、テレビでドラマを観るかもしれません。有名な著作に、「氷点」、「塩狩峠」、「銃口」、「道ありき」、「泥流地帯」などがありますが、この三浦綾子さんが「泉への招待」という本の「聖書と私」という章の中で、このように記しています。

「私が聖書に出会ったことは、即ち神の子イエスに出会ったことであった。その神の子の愛が私を変えた。こうして聖書は、私にとってなくてはならぬものとなった。聖書が、私になくてはならぬものとなって、初めて私の生きる目標が定まったと言える。それは聖書の言葉を一人でも多くの人に伝えるということであった。」とあります。

ウィキペディアで三浦綾子さんのことを調べましたら、三浦さんがどのようにして聖書に出会い、イエス・キリストに出会ったのかが記されていましたので、一部を抜粋してご紹介したいと思います。

旧姓・堀田綾子さんは、1939年から北海道旭川市で7年間小学校教員を務められましたが、終戦によりそれまでの国家のあり方や、自らも関わった軍国主義教育に疑問を抱き、1946年に退職します。しかしこの頃、肺結核を発病します。1948年、同じく結核のために北海道大学医学部を休学中の幼なじみ、前川正さんに再会し、文通を開始します。この前川さんがイエス・キリストを救い主と信じ従っている人、クリスチャンであって、この前川さんが綾子さんに多大な影響を与えます。綾子さんは1952年に結核の闘病中に小野村林蔵牧師より洗礼・バプテスマを受けますが、1954年に前川さんが亡くなります。その後1959年に三浦光世さんと結婚し、数年後に雑貨店を開きます。1963年に小説「氷点」が朝日新聞社の小説公募に入選し、作家デビュー、朝日新聞に連載が始まり、71万部を売るベストセラーになり、映画化にもなります。その後も意欲的に小説を発表してゆきます。

その中でご自分の人生を振り返って、先ほどの言葉を残します。「私が聖書に出会ったことは、即ち神の子イエスに出会ったことであった。その神の子の愛が私を変えた。こうして聖書は、私にとってなくてはならぬものとなった。聖書が、私になくてはならぬものとなって、初めて私の生きる目標が定まったと言える。それは聖書の言葉を一人でも多くの人に伝えるということであった。」と。

聖書、神様の御言葉には、私たち一人ひとりにインパクトを与え、物事の捉え方、考え方、心の持ちよう、価値観、私たちの人生そのものを変える力があり、私たちにとってなくてはならないものとなり得るものなのです。

パウロ先生も、三浦綾子さんも、イエス・キリストが神の御言葉であり、このイエスという救い主に出会って初めて、神様の愛を知った。信じるようになった。なくてはならぬものとなったと言うのです。

パウロ先生は、神の御言葉であるイエス・キリストに出会って、今までの人生が一新され、最初はキリスト教を弾圧し、先頭に立ってクリスチャンたちを迫害していた者が、イエス・キリストを通して与えられる神様の愛、憐れみ、罪の赦し、解放と自由、神との平和、希望を宣べ伝える者とされてゆきます。それがパウロ先生の生きる目標、目的、使命となってゆきます。

三浦綾子さんも、御言葉によって、「初めて私の生きる目標が定まった」と言っています。彼女の生きる目標、人生の目的、自分の使命、「それは聖書の言葉を一人でも多くの人に伝えるということであった」と言っています。

パウロ先生も、三浦綾子さんも、この御言葉・イエス・キリストから、自分の存在意義、価値、理由を見出し、真の生きがいを感じ、生きている、生かされているという喜びを感じ取っていったのです。

この方々がイエス様に出会っていなかったら、私たちにはパウロ先生のたくさんの手紙を聖書の一部として読み、また三浦さんの作品を読む機会はなかったでありましょう。

イエス様に出会った後のパウロ先生の人生、三浦さんの人生は順風満帆であった訳ではありません。喜びも悲しみもあり、良い時も悪い時もありました。数々の苦しみを通り抜けてゆきます。

三浦綾子さんのことを言えば、イエス様に出会った後も、脊椎カリエス、心臓病、帯状疱疹、パーキンソン病など、度重なる病魔に苦しみますが、77歳で亡くなるまで、イエス・キリストを救い主として信じる一人の人として、信仰に根ざした著作を次々と発表し、読者たちに命について考える機会を与え、励ましてゆきます。パウロ先生も、亡くなる直前まで、テモテをはじめ、イエス・キリストを救い主と信じ従う数えきれないほどの人たちに神様の愛を語り、イエス・キリストの十字架と復活を語り、希望を語って励ましてゆきました。

パウロ先生はこのようにテモテに、そして私たちに宣言しています。「聖書は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をする上で有益です」と。(2テモテ3:15−16)

ローマの信徒への手紙では、聖書、すなわち「福音」は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです」と宣言しています。(1:16)

この神の力に押し出されて、「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」とパウロ先生は私たちを励ますのです。

しかしながら、私たちの人生も、順風満帆では必ずしもありません。むしろ苦しむこと、悩むこと、痛むこと、腹が立つことが多い生活、ストレスの多い日々を送っています。将来のことが不安になることもあります。そのような中で自暴自棄に陥ったり、自分の無力さに失望することがあります。しかし、そのような私たちを神様は愛してくださっています。

「御言葉を宣べ伝えなさい」と言う言葉に耳を傾けるとき、神様からの招きの声が聞こえてきます。

まず、「御言葉、イエス・キリストを信じなさい」と言う招きの声が聞こえてきます。このイエス様を救い主と信じることによって、私たちは本当の自分、本当の存在理由、人生の目的がわかるようになり、変えられてゆきます。イエス様を救い主と信じることから祝福に満ちた人生が始まります。

「イエス様を信じる信仰に立ってゆきなさい」と言う招きの声が聞こえてきます。イエス様を人生の土台に据え、このイエス様を基にすべてのことを誠実になして生きてゆくのです。イエス様と言う固い岩盤の上に、神様が喜ばれる家を、宮を建てるのです。

「イエス様と共に歩みなさい」と言う招きの声が聞こえてきます。私たちは独りでは生きてゆけません。神様の助けがいつも必要です。その必要をよくご存知な神様は、イエス様を私たちにお与えになり、このイエス様が私たちに伴って、いつも支え、助けてくださいます。イエス・キリストがいつも共にいてくださるから、私たちは大丈夫なのです。人生の嵐が襲いかかってきても、主イエス様にあって安心できるのです。

「御言葉を宣べ伝えなさい」とは、「イエス様を宣べ伝えなさい」と言うことであり、「宣べ伝えなさい」とは「イエス様を紹介しなさい」とことではないでしょうか。「イエス様からいただく数々の幸いを、恵みを分かち合いなさい」と言うことではないでしょうか。

生まれ育った国を離れ、全世界に出ていって、イエス様を紹介している働き人たちのことを覚えて祈り、そして献げる週間を過ごす中で、私たち一人ひとりもイエス様を周りの人たちに紹介し、神様からいただく幸い、恵みを分かち合う働きが与えられていることを覚えて、「イエス様を紹介させてください。そのチャンスを与えてください」という祈りをして過ごして参りましょう。そのようにお祈りしたら、イエス様がそのように導いてくださいます。神様は素晴らしいお方。イエス様は私たちの救い主・キリスト、私たちを神様に導いてくださるお方です。このお方を信じましょう。